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室町時代後期の商人、農民などは自由に転居や移住、旅などができたのでしょうか?
その場合の手続きなども詳しく教えていただけると助かります。

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    回答ありがとうございます。農民には自由な移動の権利はなかったのですね。それでは逆に、比較的自由に他国に出入りができた職業ってありますか?

      補足日時:2016/05/01 20:19

A 回答 (4件)

室町時代というのは、日本で貨幣経済が広まった時代です。

そして商業の隆盛と宿場町の出現が特徴的です。

農民に関しては、土地に縛られている性格上、勝手に他の土地に行くことは流民になることを意味していました。流民がまともな仕事につけるのは都(京都)か大坂ぐらいだったでしょう。ですから農民が勝手に転居することはほとんどなかったといえます。
 しかし、旅行は別です。室町時代にはすでにお伊勢参りの記録があります。お伊勢参りがメジャーな娯楽になるのは江戸時代になってからですが、宿場町が整備されるにつけ「お金を持っていれば旅ができる」ということになり、少数ではありますが、お伊勢参りなどの旅行も行われていました。

これ以前は、お金を持っていても泊めてくれる宿などは無く、野宿は夜盗に襲われる危険が大きいですから、軍隊のように武装した夜警と組織だった宿泊陣地を作れる集団ぐらいしか旅行はできなかったのです。他りよ方の言う修験者はお寺の宿坊を利用できたり、そもそも誰もいない山のてっぺんなどで宿泊していましたので、襲われにくかったでしょう。

商人については、貨幣経済の隆盛によって国内での移動が段々活発になっていきます。宿場町の形成は商人の移動の活発化に伴って発展したといえます。この中で有名なのはたとえば富山の薬売りで、1443年の康富記には、薬売りが練り歩いた、という記述があります。このような商人が全国を渡り歩くようになったのが室町時代の特徴でもあります。

また、南北朝の時代には倭寇があり、その後は東南アジアとの貿易もだんだん盛んになっていきました。国内外の航路が整備されたのもこの頃で、宿場町だけでなく後に廻船航路となる輸送網と各地の港が整備されるようになっていきます。
タイのアユタヤには14世紀頃には日本人街ができ始めますので、アジアとの貿易は相当に活発であったといえますし、初期は倭寇が貿易商売をしていた可能性も高いといえます。

室町末期とくに織田信長は商人を囲い込み安土桃山の新しい都市に楽市楽座を作って商人を保護しますが、この流れは全国にあり、商人が各地で場所代を徴収されたとしても、それは逆に「徴収したその土地の政府が商人を守ってくれた」とみるべきで、やくざとかチンピラのような連中が「誰に断ってここで商売してるんだ」と難癖をつけても「ほれ、この通り許可をもらっているよ」といえるようになった、と考えるほうが適正でしょう。

 この室町時代の日本全体を巻き込んだ貨幣経済の勃興と物流の基本的な整備は、江戸時代の基礎となり、やがて元禄文化などの町人文化の基礎になっているといえます。

室町時代に日本に来た朝鮮通信使は、古事記が食べ物ではなく銭を欲しがること、街道が整備されていること、金を出せば何でも手に入ること、などを記載しています。

これらのことができるのにそれを利用する旅行者が居なかったということはなく、農民のほとんどは土地に縛られていたとはいえ、旅行は可能であったこと(ただし観光旅行が盛んだったわけではない)、商人は全国渡り歩いたこと、海外貿易も盛んで外国に日本人街もあったこと、などから現代の私たちが思っている以上に、たぶん教科書で教えられたこと以上に人々の流通は盛んだったと思います。
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この回答へのお礼

たいへん詳しくありがとうございます。とても勉強になりました。

お礼日時:2016/05/02 23:20

比較的自由に行き来してたのは、お坊さん。

外交官としての役も担ってました。
 時代は違いますが、義経や弁慶が逃避行のときに山伏に扮したことから、修験者も比較的自由。。ただしその格好で遊べないので、あまり面白い旅ではなかったかと。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2016/05/02 23:21

たとえば「欠落」などの罪がありましたね。


年貢の取り立てが厳しいとかで今の在所から逃げ出す罪です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A0%E8%90%BD
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この回答へのお礼

ありがとうございます。農民の移動はそういう意味合いになるのですね。勉強になりました。

お礼日時:2016/05/01 20:39

室町時代後期=戦国時代。

信長の楽市楽座までは、商人も移動、商いのたびにお金取られますから、経済的理由で、旅は控えめに。
 若き日の秀吉のように、手荷物ぐらいの価格も安い商品だったら、やや自由。

農民が他国に行くときは、徴兵されて足軽としてでしょう。今の総理のように、連休に外遊などは絶対にない。
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この回答へのお礼

楽市楽座、なつかしいです。ようやくピンときました。ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/01 20:39

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