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山本周五郎原作、黒澤明脚本、黒澤組の助監督だった小泉堯史が初メガホンを取った映画「雨あがる」を見ました。寺尾聰が、「やさしく」、且つ「朗らかな」サムライを見事に演じていました。
近年は、時代劇やドラマでも、こうした「やさしく」、且つ「朗らかな」男性像が描かれるケースが多いような気がします。NHKだけ取ってみても、大河ドラマでは、男女が分け隔てなく言葉を交わすシーンが多いようですし、朝の連続テレビ小説でも、元々女性ヒロインを表に際立たせようという配慮があるにしても、男性登場人物の「やさしさ」や「朗らかさ」が自然と目に付きます。象徴的によく見かけるのは、「妻に対してすら、敬語を使う夫」の存在です。「雨あがる」の主人公もそうでした。

(ひとつ付け加えれば、少し前にも、高倉健のように、「やさしい」男性像は描かれていたと思います。ただ、高倉に代表される「やさしい」男性は、無口で、さりげなく気を遣い、不器用で、女性に率直に感謝を述べるタイプの現代的男性像とは少し違うように思います。「やさしさ」に加え「朗らかさ」がないと女性を含め社会には伝わりにくい。好感を表だって感じにくい、と思います。)

まあ、こうした描き方は、時代の要請に応じたものだとは理解します。小説にしてもドラマや映画にしても、史実を忠実に伝えるばかりが能ではないと思います。むしろ、それらを鑑賞する人々がそれを読んだり見たりして、感動し、自分たちの栄養にしていけばそれでよいのだと思いますし、そうした効果こそが、小説やドラマや映画の役割・使命なのでしょう。(そこの所は、本質問の続編を、後日「映画」カテで質問したいと思います。)

ただ、先ず最初に聞いてみたいのは、やはり、「史実」として、この映画「雨あがる」の主人公のような「やさしく、且つ朗らかなサムライ」は存在したのか? 存在しえたのか? ということを伺いたいのです。
人間の言動様式は、生まれた家族や教育や社会の環境に大いに影響されます。
どんなにやさしく、朗らかな素地を持ち合わせていたとしても、封建社会、男性優位社会に生まれた制約は免れえなかったと思います。
そうした時代の、しかも武士と言う階級に生まれた以上、
「強く」、「たくましく」、「人々を押しのけてでも上にのし上がっていく」ことが全てに勝って優先されていた以上、「やさしさ」や「朗らかさ」は即、「弱み」であり、「人にスキを見せる」ことだったのではないでしょうか?

それでも尚且つ、そうした言動様式を取る余裕があり、しかも時代を渉って、生きぬいて行ける人が、存在しえたのか? お伺いできればと思います。又、実際にそうした人間がいたのであれば、実例をお聞かせください。

質問者からの補足コメント

  • 私なりに、この質問に回答を与えようとしたら、そのモデルとして
    司馬遼太郎の描いた人間像が参考になるような気がします。
    先ず、最初に名前のあがるのは、やはり「坂本竜馬」ではないでしょうか?
    彼のロマンチストな人間像は、司馬が見事に描き切っていると思います。
    どこまで彼の本来の人間像に肉薄しているのかは、即断できませんが、
    少なくても、乙女姉さんに始まり、数人の恋人や妻に見せた人間的な魅力は嫌みがなく、率直な好感を覚えますね。一方、「花神」の主人公、大村益次郎がイネに見せたプラトニック・ラブは歯がゆいばかりですね。

      補足日時:2016/05/08 18:17

A 回答 (6件)

たくさんいたと思いますよ。

なぜかというと「当時から女性の力は強かった」からです。

たとえば武家でも婿養子は普通に行われました。家督は婿養子の夫が取り仕切るのが建前ですが、実際には奥さんと従来からいる家老などの家来が牛耳っていて、婿はお飾り、ということも少なくなかったようです。そうなると、奥で妻と話していても敬語になるでしょう。
 藤田まことの中村主水とか東山紀之の渡辺小五郎など、嫁にいびられる婿殿もたくさんいたでしょう。

また、戦国時代の武士と言っても荒事(戦争)する武士ばかりではありません。記録係・会計係・総務など官僚的な役割を担っていた人々もたくさんいます。彼らは代々の家の仕事を継いでいるわけですが、記録係がやたらに武骨でも意味がありませんし、会計係がソフトでも一向にかまわないでしょう。

ですから、役割分担としてはそういう優しい人もたくさんいたと思います。

もうひとつ、日本の特に武士階級は「禅」を貴びました。無我の境地です。

つねに平明で穏やかであること、が武士の美徳でありましたから、やたら荒々しく強いだけでは人望がなかったはずです。石田三成がよく「切れ者だが嫌われもの」として描かれるのは、剃刀のような頭の切れるところを隠さなかったからでしょうし、それゆえに人望はあまりなかったようですから、人望篤い人物はそれなりに朗らかだったと思います。
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この回答へのお礼

なるほど・・・荒事だけでなく、事務系の仕事をするお侍さんもいたんですね。又、お婿さんとして嫁の家に入り、嫁さんの気を遣いながら活躍した男性もいたのですね。

もうひとつ「禅」という視点は大事でした。平明で穏やかでいることが武士の美徳とされていたことは、見逃すべきではなかったと思います。
色んな側面を見せて頂き、ベストアンサーを以てお礼します。

お礼日時:2016/05/14 22:45

若き日の秀吉なども、やさしさとユーモアを兼ね備えていたそうです。

愛妻家でもありました。
 出世したら、人間が変わってきましたけど。
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この回答へのお礼

若き日の秀吉も好例ですね。

お礼日時:2016/05/14 22:46

山本周五郎の原作が発表されたのは、1951年です。

高倉健がデビューした1956年より前です。
その原作でも、主人公はやはり、妻に対して敬語でした。いまどきの読者の好みに合わせて、つくった設定ではありません。周五郎の創意から生まれた人物像でしょう。

ちなみに原作の主人公は、映画よりさらに強いし、優しいですよ。5人の武士に真剣で斬りかかられても、抜刀もせずに避けながら、全員の剣をとり上げてしまうくらいです。映画のように、腹を立てて人を斬ったりもしません。

> 人間の言動様式は、生まれた家族や教育や社会の環境に大いに影響されます。
> 又、実際にそうした人間がいたのであれば、実例をお聞かせください。
「妻に対してどのように接していたか」などということは記録に残らないので、実例を挙げるのは無理でしょう。ただどのような教育を受けても、それを真に受けない人間というのは、いつの世にも必ず(数は少ないですが)いるものです。

たとえばの話、江戸時代の武士は家同士の取り決めで、互いに顔も知らないまま結婚するのが普通でした。だからと言って、みんながそれに納得していたかと言えば、そうではありません。柳沢里恭という人は、
「惚れた女を女房にするというのは、神代からの習わしだというのに、穴の中のムジナの値段を決めるように、顔も見なければ、心も知らず、滅多無性に女房を決めるから、離婚騒ぎの種を撒くことにもなる」
と書き残しています。
http://ameblo.jp/hajino-kakimalu/entry-113824879 …
誰もが必ず「当時の常識」に心から染まってしまうかと言えば、そんなことは全然ないのです。

当然江戸時代の武士にだって、いろんな性格の人がいたでしょう。周囲の影響に流されやすい人もいれば、そうでない人もいたはずです。誰にでも優しく朗らかで、妻を尊敬している武士がいても、少しもおかしくはありません。
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この回答へのお礼

なるほど・・・どのような家庭・社会環境でも、どのような教育を受けていても、それを真に受けず、いつも疑問を持って生きて行った人々もいたのですね。参考になりました。

お礼日時:2016/05/10 21:44

1612年に仙台範の支倉常長が、日本で初めての外航(南蛮)船を作り、航海術がなかったので、スペイン人の船長のもとで142人の総出で太平洋を渡りメキシコへ。

それからメキシコ横断し、大西洋を別の船で渡りヨーロッパへと。

チビで痩せてサル顔のズーズ弁丸出し侍だったんですが、行く先々の豪商・貴族の御婦人の心をとらえ、旦那に宿泊・食事・宴会の世話のOKを。やさしく、朗らかで、当時ですから1泊じゃなく大多数の者を最低でも1ヵ月以上を無料でさせる交渉を。それも、帰国までの12年間も。

道中で若者一人身が、現地での女性と恋に陥っても、無理やりに随行を強制せずに、現地留まりを遂行させたり。
やさしさと朗らかで、現地女性にも大モテだったそうです。
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この回答へのお礼

良いお話ですね。支倉常長の人柄と人生に興味を持ち、支倉常長と慶長遣欧使節団のことについて改めて以下ネット記事を読んでみました。
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/museum/syuuzou …
・・・が、その業績はわかっても、人柄の載っている資料は見つかりません。書かれたようなことが載っている本とかあれば教えて頂けると有難いです。

お礼日時:2016/05/10 21:41

下級武士になれば、生活レベルとか


考え方は、庶民のそれに近いと思われる
ので、そういう武士はいたと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。一口に「サムライ」と言っても、次男坊以下は生涯部屋住みの身だったりして、中々うだつが上がらなかったとも聞いています。まあ、サムライの世界でもエリートはほんの一握りで、ほかの大方はぼんくらだったのでしょう。幕末・万延の遣米使節でも、ポーハタン号に乗った正使・副使は凡庸な人物だったようですね。護衛の名目で並走航海した咸臨丸に乗っていた勝海舟や福澤諭吉は、身分の差を悔しがることしきりだったようですね。士農工商で先祖代々身分が変わらなくなると、やはり人間は進歩を忘れていったのでしょう。

問題は、ぼんくらが増えるのは仕方がなかったとしても、彼らが、ぼんくらならぼんくらなりに、身の程をわきまえて、「やさしさ」と「朗らかさ」を以て生活していたかということなのですが、そうした人間力を鍛える努力をしていたのかどうかが気になります。

お礼日時:2016/05/08 20:00

>そうした時代の、しかも武士と言う階級に生まれた以上、


>「強く」、「たくましく」、「人々を押しのけてでも上にのし上がっていく」ことが全てに勝って優先されていた以上、
ここの認識が間違っているようですね。
そうした時代というのがいつの事を指して言っているのか判りませんが、映画は江戸時代ですね。戦国時代や幕末期をのぞけば武士にそのような事は期待も優先もされませんしそのような事では出世が出来無いどころか下手をすれば浪人ですね。
戦時体制の人員のまま平時が長く続いているのですから人員過剰の過飽和状態各藩とも人員整理の口実がほしい、幕府も藩の整理をしたい中での武士です求められるのは協調性や事務能力です。
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この回答へのお礼

おっしゃる通り、江戸時代は「平時」であり、戦国時代やその前の「戦時」とは違いますね。大変重要なポイントで間違っていました。
それなら一層、そういう人物は存在価値があったのでしょうか?時代劇などにも描かれているようですが、具体的に挙げて頂ければ有難いです。例えば、大石内蔵助の家族なども、優しさがあふれているような気もしますが・・・。

お礼日時:2016/05/08 18:43

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