あなたの習慣について教えてください!!

あなたが生きてきた実感として 作る力と壊す力はどちらが強いと思いますか?

自然は次々に生み出しますが人間は壊してしまいました

しかし人間は人工物を作ります

そして壊してまた作る 戦争で壊してまた這い上がる

結局は最後はどっちが強いのでしょう?

A 回答 (32件中21~30件)

#12関連で。



あほなさんの詩的表現を楽しみました。考えるヒントとして、そこのコメントの突っ込みどころを書いてみます。

世界の移り変わりを捉えるのにいきなりエントロピー増大の法則を持ち出すよりも、安定、不安定、安定、不安定、、、の繰り返しと言う切り口から捉えた方が、状況の整理が付き、今後の行く末や成り行きの予測が適切に行われるようです。その理由を述べて見ます。

エントロピー増大の法則の帰結として、系が変化するときに分岐現象をもたらすことが解っております。安定期での周りの環境の徐々なる変化や内部因子の物質量や情報の蓄積や散財による変化が進むと、エントロピー増大の法則によって、系は必然的に分岐点と呼ばれる不安点に近づいて行きます。その点に近づくと一寸した偶然でも系は左右に大きく揺らぎ出し、分岐点近傍ではゆらぎはどんどん増幅して大混乱が起こる。その反対に、分岐点から十分離れていた場合にはゆらぎは減少して元の安定状態に戻る可能性が十分高い。だから安定状態というのです。

ところが、その同じエントロピー増大の法則によると、その分岐点の不安定点の周りに、今までになかった複数個の新たな安定点が出現することも解っている。環境や内部自由度の違いによりますが、その新たな安定点はほとんどの場合2つです。そして、分岐点近傍の左右の大きなゆらぎによって、すなわち大混乱によって、いきなり新たな右の安定状態か左の安定状態へと予想不可能な状況で遷移して、その系は新たな安定した構造を手に入れる。そして、富(すなわち物質)や情報の蓄積が徐々に始まって行く。そして、エントロピー増大の法則によって、また新たな分岐点へと必然的に近づいて行く。これの繰り返しで、この世界はどんどん左右に分岐して多様で複雑な構造を手に入れてきたのです。

以前の安定状態から、分岐点近傍で新たな安定点に遷移するときに起こってくる不安定での混乱、それが戦争であり、革命であり、思春期の反抗期なのです。ですから、今までになかった新しい構造の出現期には混乱は避けられないと言うのがエントロピー増大の法則の意味するところであり、この法則のメッセージなのです。

安定状態とは変化のゆるい状態と言うことですから、安定状態には新たに出現した複雑な構造をもった安定状態もありますが、死滅という安定状態も含まれます。世界を眺めると、多様性が保持されておりますから、死滅でなく、右も左も別の違った複雑な構造を持ちながら分岐してきた場合がいくらでもあったのでしょう.そしてある者は蝶に進化し、ある者は蜻蛉に進化して今がある。

では、死滅と言う安定状態はどれくらいあったのか。生物の化石を調べたところろ、確か95%位は死滅の安定状態へと遷移してきたようです。事実、陸上であの巨大な草食恐竜を維持するためには現在の植物層では不可能で、この地球は今と比べて桁違いに多くの緑に被われていたことが判ります。ただし、環境の変化により緑が減少し、それが新たな分岐点を出現させ、陸上では恒温動物へと分岐した鳥類や哺乳類が主に生き残った。その分岐が人間の出現へと導いていったのです。

お釈迦様の言葉を意地悪に取れば、

「安定が至極の状態である。究極の安定は、なにも変化しない世界だ。だから皆さん死滅と言う究極の安定状態に遷移せよ。そうすればその後、新たな分岐点へ接近して新たな構造を生み出すという、混乱を必然的に伴ったあの産みの苦しみを二度と味あわなくてすむよ」

と言っているのだと、取れなくもなくもなくもなさそうですね。
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お礼ありがとう御座います。

理解してほしいと言われれば、理解したいと思うものの、まだ全容を理解するには至っておりません。

戦争はエントロピー増大の法則の帰結であり、それからの復興は存在性に依る、と言うことでしょうか?

若き日のミケランジェロの傑作に、ピエタ像というのがあります。しかしこれは、1970年代に、気の狂った一人の歴史家によってハンマーで破壊されてしまいました。左腕と鼻などがもげたそうです。ミケランジェロが彫刻に費やしたエネルギーは、これを壊した精神倒錯者の費やしたエネルギーの何万倍もあった事でしょう。壊れるのは一瞬ですが。
このような事件もありつつ、或いはベルリンではカラヴァッジョの啓示をモチーフにした名作が戦争で焼失してしまいましたが、現代の世の中を見れば、カラヴァッジョの影響を受けた芸術、文化的産物は随分進化して巷に溢れています。或いはまた、アレクサンドリアの大図書館も戦災で失われたそうですが、今の世の中を見れば、そこは知識に溢れています。

以上のような現状から私は、作る働きは壊す働きに比べ圧倒的に強大であるという結論をだしています。実は前回答も、初めはその事を書こうと思っていたのですが、それでいいのかどうか迷い、六回くらい書き直した結果、近所の厄介について書く事になったのです;^_^

そもそも、破壊する作用の方が大きければ、すでに文明もなく、人間もなく、生物もおらず、また天体もとっくに無くなっていると私は思います。存在の起源から数えて何万兆年過ぎたのか私には計る事はできませんが、存在は作って作って、作りまくっては作り続けてきた。生まれ生じて飽くことなく生まれて来た。その結果が、今のこの世界なのです。それから見れば、滅びなどは僅かなほつれのようなものであり、気にも留めないような小さなことなのです。戦争の犠牲者と、現在生存している人の数を比べてみてください。犠牲者の数は随分と少ないでしょう。ものの数では存在することの方が圧倒的に多いのです。

ただしかし、人間の精神はそう言うことは許さない。一人一人の存在はかけがえのないものであり、比べるところのないものである。このように捉えて、一粒の涙を重んじるのです。また或いは、自分の潰して食べた他の生命を偲ぶのであります。苛烈な存在世界ではなく、静かに消え行くところに魂の故郷、安らぎを認めて、慰めとするのです。

さらに、原始経典にはつぎの様にあります。
神の子ナンダが詩句をもって唱えた。
昼夜は移り行き、青春の輝きは次第に我らを捨てて行く。この死の恐ろしさに注視して、安楽をもたらす善行を為せ。
釈尊は答えた。
昼夜は移り行き、青春の輝きは次第に我らを捨てて行く。この死の恐ろしさに注視して、世間の利欲を捨てて静けさを目指せ。 と。

この句のように、聖人の考えは、広く一般には理解され難いものです。多くの人がナンダの言うことに共感はしても、釈尊の言うことには頷けないでしょう。

存在をめぐる議題と言うのは、一筋縄では行かない深い題材なのです。いかに生きるべきかと、どのように生きているかということのギャップが、人を悩ませるのです。現実に即せば人らしくなくなり、清い想いに従えば現実は破綻しかねません。しかしこの僅かな人生を、諸々の存在の静まりへと向ける事は出来るわけです。その様にして、苛烈な存在の世界から、それらの静まったクリアな世界へと移行出来るのではないか。私はならばその様に考えるのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

苛烈な存在の世界は安定はしないでしょうね。熱帯雨林の生態系というより、核爆弾の炸裂した世界

とでも言いましょうか、夜空に無数に見える恒星も 何時かは星の最後を終えると言います

人間社会でも過酷な労働条件の非人間的職場?もありますねえ。そういう職場は長続きしないでしょうね。

作った分だけ壊れてきた、40億年かかって作った自然環境はたった100年前後で破壊的に激減させてしまいました

我々が育った「自然」を今の都会の子供は知らないといっていいでしょう

人は生まれますが 皆死にました。聖書でもない限り700才まで生きた人はいません。

皆死ぬのです。これは何でしょう?アメーバー等は分裂しますから 数億年生きてるでしょう。

それなのに何で人は死ぬのか? その答えは先人が死なないと新しい時代の人が生きるエリアや資源がないからです

生物は進化するために死ぬのです。実際人間は増えすぎて73億人だそうです。

劣化、崩壊、生成、再生 地球上ではどちらが主なのか分かりません。でも宇宙は崩壊すると言う科学者が多いです。

確かにエントロピーは孤立系・閉鎖系では増大します。しかし存在性はそれを凌ぐのです。

これは

> 戦争はエントロピー増大の法則の帰結であり、それからの復興は存在性に依る

というマクロだけではなく ミクロの世界でも言えるのです。物質の崩壊と秩序の形成とかです

さざれ石が巌になりて 千代に八千代に存在し続けるか?それとも全ての物は壊れる運命か?

乞う ご期待?

お礼日時:2016/06/02 21:15

南隣の家に幼い兄妹が居て、その二人ともが癇癪持ちなもんだから、猿とか恐竜の様な泣き声で、近隣の静かな生活を破壊しよるのです。

これを鎮める方法は無いものかと、泣き声を聞くたびに思うのですが、子供の事だしその家の人には言うに言い出せず困っています。
さらに北隣にはヒステリックなオカンが住んでいて、いつも小学生の娘を怒鳴りつけていてなんともいたたまれないのです。閑静な住宅街で有名なのに、最近、生活環境はやや破壊されております。

思うに、何千兆年先の未来の事や、何千兆年昔の事は分かりませんが、自分の人生で感じられる範囲で言うと、作る働きは壊す働きを伴っており、壊す働きは作る働きを裏に持っているのでは無いかと。

人は、兵器を作って敵の街を破壊したり、自然を破壊して田畑や街を作ったりしています。端的に言えば、生きるために、自分たちの世界を築くために、破壊しておる訳です。

また過去、自然の資源の枯渇によって衰退した文明は幾つもあって、この度の我々の文明も似た様な危機を孕んでいるのではありますが、破壊し尽くしてしまうと作り出すことも出来なくなり、頭打ちということになる訳です。最近は、廃棄された電子部品から金を取り出すそうで、ゴミがゴミではなくなってきていると聞きます。そう言うリサイクルが発達すると、資源の枯渇という危機、文明の終わりを免れるかもしれませんが、人の意識がどう変わるかですよね。

時代が進むに従って、より高度な、複雑な構造体が人の手によって生み出されていくでしょうが、その未来の形を予測するのは不可能に近いです。千年も前に生きる人が現代文明を予測できなかった様に、我々もこの文明がどこに行くのかを知らないのです。しかしそれを空想する事は可能でしょう。そんな空想のなかから、どれか一つは本当に実現するかもしれません。ハルさんの空想する巨大宇宙船はどうなるでしょうね。

昔のおとぎ話に、遠くの国の景色を映す魔法の鏡なんてのがありますが、現代ではちゃっかり実現しています。思いもよらないものが、未来には実現している事でしょう。

自然界の運行もまた、破壊と創造は表裏一体であるように見えます。孤島で噴火活動があった。溶岩や灰で島の植生は焼かれてしまいますが、溶岩や噴出物は新たな土地を作り出します。

新しい世界を創造する、それは既存の世界を破壊するということです。そもそも、創造や破壊ということ自体が、一面的なものの見方に過ぎないのかもしれません。
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この回答へのお礼

あほなさんには分かって貰いたいのですが 作る力と壊す力は別のものです

物理学で言う熱力学の第二法則 エントロピー増大の法則(崩壊則)と存在性(存在則)の働き合いなのです

この両方が認められなければおかしな結論が出ます。物理学はそのエントロピー増大則を優先して考えるのです

おかしくないですか?

戦争の時には日本は滅茶苦茶に焼け野原になりました。その後コツコツとここまで作り上げてきた

その違いを見分けてほしいのです。

お礼日時:2016/06/01 21:14

地球が40億年かけて作った「地球環境」を人間はほんの二・三百年で


ずいぶん破壊してしまった。
都市の建設、消費文明の存在自体が、環境破壊なので、地球においては
破壊する力が圧倒的に強いと言えると思います。

その視点で見れば、人類は一体何を建設したんだろうと思う。このまま
「順調に」環境破壊が進み、生命が絶滅したのならば、人類のなしたこ
とは破壊のみということになり、母なる地球を壊した罪を問われること
にならないわけがないと思うのですが。

普遍的には、「成住壊空」で、バランスがとれていると思いますが、劣
化と破壊は根本的に違いますよね。
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この回答へのお礼

ありがとう

「成住壊空」って何ですかね? 崩壊と破壊は違いますが 結果は似てますね。

人間は貴重な大自然を壊してしまいましたが コンピューター、ロボット、人工知能や

核エネルギーを手に入れました。僕も自然を愛してましたが 何処かに行ってしまいそうです

ナウシカとかいいですよねえ^^ 愛は地球(人間?)を救うか?

今何をすればいいのでしょうねえ?

お礼日時:2016/06/01 17:54

★(№8お礼欄) ~~~~~~~


? 分からないから質問しているのです

分かるという人がいないかなと思って

分かって生きるのと分からないで生きるのでは 随分違ってくる
と思いますけどねえ
~~~~~~~~~~~~~
☆ ≪世界の最後≫が分かっても分からなくても いま現在として
は 努力すべきことは努力するのが普通なのでは? という回答
です。

 現在 ≧ 未来

という見方です。

★ 結局は最後はどっちが強いのでしょう?
☆ は問題にならない。つくる力に壊す力は 基本としては従属
する。という回答です。

まづそう受け取ってください。

あとは放っておいてもらって構いません。
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この回答へのお礼

普通 ですか。普通ってどういう風な意味ですかね?

壊す力は作る力に従属する と言うのも 物理学のエントロピーの増大則を同説明するのでしょうか

とりあえず受け取りますが 疑問は残りますねえ。

お礼日時:2016/06/01 17:24

★(№5お礼欄) ~~~~~~~~~


無に帰するなら楽しければいいように思いますが。

無に帰さないなら目的に向かて努力ができます。
~~~~~~~~~~~~~
☆ それが 悪魔の精神にも似た人間の思い上がりです。

せっかく生まれて来たものを どうして≪終わり≫につい
て自分勝手に決めつけた上でなければ いま・ここを生
きられないと考えるのでしょう?

≪終わりはある≫ これでいいぢゃないですか。

それとも その終わりが≪無に帰すか・無に帰すもので
はないか≫が あなたに分かるというのですか?

分かったなら みなにそのことを発表し意見を聞けばよ
い。

分かるか分からないかが分からないのであれば ≪無に
帰そうと無に帰すのではないのであろうと≫ 努力すべ
きは努力するのが 自然でふつうの考え方であり行き方
です。

何を血迷っているのでしょう? そんな≪余裕≫がある
とは おどろきです。

道草は あって普通で・またとうといことですが わざ
と回り道をして≪余裕≫をこいているのは みっともな
い。

これが ≪魂振り≫です。≪こわす力≫です。
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この回答へのお礼

? 分からないから質問しているのです

分かるという人がいないかなと思って

分かって生きるのと分からないで生きるのでは 随分違ってくると思いますけどねえ

お礼日時:2016/06/01 15:28

壊すことは誰にでも出来ます。

でも創ることは誰にでも出来ることではありません。創りだすためには幸運で、さらに強靭な精神や力が要ります。強靭な力と幸運がなければ弱い、その両方があれば強い。結局も最後もありません。どちらが強いかは、収まるように収まってくる成り行きが決めます。
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昔むかしのわれらが祖先の人たちは ≪たましひをしづめる≫


ということを 考え・またそういうすべを編み出しました。

たましひが鎮まるということは ≪わたしがわたしである≫と
いうわが存在そのものの状態です。

この≪魂鎮め≫には まづ≪魂振り≫をおこなうということにな
っています。そのように人びとは考えついたわけです。

たましひを振り起こす・揺り起こす・揺さぶる。

つまり ≪つくる≫ために≪壊す≫というのが ふつうなのでは
ないでしょうか。





こわす・否定するという行為が こわしっぱなしで全否定のし
っぱなしであったなら それは ただの御ふざけです。あるい
は 文学的に言って 悪魔の領域です。

壊す力は つくる力に従属します。
この自然で普通のことはりを破る自由度をも人間は持ち合わせ
ていますけれど。






★ 結局は最後はどっちが強いのでしょう?
☆ そういう考え方は よしましょう。

つまり ≪最後≫という考え方です。いま・ここがすべてである
と捉えるのが 自然でふつうです。

最後・世界の終末を持ち出すのは 先ほどの悪魔を何かの実際
の存在であるかのごとく見なしてしまうことを意味します。

いま何者をも否定し破壊し尽くしている精神としての悪魔は 
実体である だから・そしてしかしながら 今に見ていろ 最
後にはおれたちが勝つんだ・・・というドラマの世界に入って
しまうことです。

アニメは 重要な産業なようですが 中身は そういう問題を
はらみます。



哲学は 現状に水をさすかと思いますが たとえば以上のよう
に考えてください。
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この回答へのお礼

うーん・・・

作ることと壊すこと 何時が最後かはわかりませんが 

結局は滅びる運命か 未来には新たな存在があって我々の努力が生かされるのか

興味があるのですが

そういう考え方はよしましょう ですか 残念です。無に帰するなら楽しければいいように思いますが。

無に帰さないなら目的に向かて努力ができます。

お礼日時:2016/06/01 11:28

椅子を作って、壊したことことがあるんですが、木を切って、木ネジで組み立て、壊すときは、ネジを外してバラバラにする。


木を切る時、一番力を使ったというのが、実感です。
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この回答へのお礼

ありがとう

木を切るのはノコギリでですか? 結構しんどいですよね

壊すんだったら燃やしたって壊れますが 作るのはネジを締めるのも大変です

しかし何でまた作って壊したのでしょうかね?

作るのは何でも健康大変ですよね。ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/01 11:17

強いのは壊す力でしょうね。


そこからの悪循環をどう解釈できるかに
作る力が存在できるかどうかが委ねられると思います。

暮らしやすさは
破壊からか創造からか
そのバランスからか
そうであればどういうバランスか
みたいなところで
揺れ動きながら
作る力をいかに認識できるか
みたいなところにかかってくるのではないかと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう

賽の河原じゃないですが 人間は作ろうとしてる場合が多いのでしょうね

それを壊し崩壊する力が壊していく 実際に戦争や地震や老朽化で

殆どの物が壊れてきました

その作成と崩壊のバランスの中で我々は生き延びてタスキをつないできたのでしょう

作る力を存在性と言いますが 崩壊する方はエントロピーの増大とも言えるかと思います

そのバランスが問題なのです。作る力の代表は愛ですねえ。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/05/31 21:47

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