
人間はいつも「やらなきゃいけないこと」がいっぱいあるのはなぜですか?
私たちは、小さい頃から、幼稚園、学校に通い、勉強してきました。
宿題、部活、バイト、受験、あたりまえのように。
そしてやっと教育を終え、大人になってみれば、
就職して働くべき、選挙へいくべき、子育てすべき、親の老後をみるべきなど、
まだまだ「やらなきゃいけないこと」はたっぷりですね。
人間が、自分たちの繁栄や豊かさのためにつくったルールに、
逆にコントロールされて、寿命の大半の時間を奪われているような気がします。
それなのに、多くの人が、不平不満をいいながらも、それをやるのは何故ですか?
多くの人が、その「やらなきゃいけないこと」の苦しみのなかに、
楽しさや喜び、生きがいを見つけていますね。
しかし、この楽しさや喜びは、一種の洗脳ではないでしょうか。
「やらなきゃいけないこと」なんて本当はないのに、
わたしたちは、半強制的にそれをやらされてきたのですから。
それを楽しんでいるのだとすれば、人間は「悲劇のヒロイン」にひたっている
超ナルシストな動物ということになるのではないでしょうか。
一体どういうことなのでしょうか。純粋な疑問です。
みなさんの考えをお聞かせいただけませんか?

No.15
- 回答日時:
人間は社会の中に、社会とともに生きる存在ですが、「社会」と、ひとくちにいっても、その実態は一様ではありません。
つまり国の数だけ、文化の数だけ「違う」「社会」があります。
日本では「やらなければいけないこと」でも、ほかの国では「やらなくていいこと」もあります。逆もあります。
日本では「禁止されている」ことが「許されている」或いは「奨励されている」国もあります。
また質問に挙げられている事柄を、「やらなければいけないこと」と捉えるか、「やりたいこと」「やって楽しいこと」と捉えるかも文化によって異なってくるでしょう。
人間が社会的存在である以上
>「やらなきゃいけないこと」
に取り巻かれて身動きが取れないと感じるのもひとつの主観であって、普遍的な「事実」ではありません。
ただ、日本では、「就職」「選挙」「子育て」「介護」「バイト」「受験」「学校生活」が、欧州諸国などに比べて「ハードな事柄」であるのは間違いないでしょう。そのようなことからそれらを" Too Much" な "I Have To Do " だと感じるのでしょう。
例えば「教育」や「選挙」なども「義務」ではなく「権利」であると感じる人(文化)も少なくないはずです。
ですから
>わたしも含め、多くの人が、
不平不満をいいながらも、「本当はやらなくていいこと」をやるのは何故か?
そして、何故そのなかに、楽しさや、喜びをみつけることができるのか?
と感じるのは、「特定の社会」と「特定の個体」との齟齬によるもので、
一般化して論じることはできないと思います。
数回にわたってご回答していただき、ありがとうございます。
「特定の社会」と「特定の個体」との齟齬
たった一行に、私のつらつらと長ったらしい質問に対する明確なアンサーを表現されていて
すばらしいと思いました。
その人その人によって違う社会をもっていて、しかも自分のなかでも、
日々、出会い別れの連鎖で、刻一刻と変化していくものなのですね。
どこに視点をあてるかで視野もかわってきますし、実体のないものなのに
皆あたりまえのように「社会」という言葉を共有しているんですね。
社会とは、なかなかむずかしい概念ですね。。。
(話がずれてすみません)

No.13
- 回答日時:
ところで、私は、トイレットペーパーを自分では作れないんですよ。
山に行って木を切ってチップにして煮て繊維をとって洗って絞って梳いて切って巻いて・・なんてやってられません。
だからトイレットペーパーを作って頂いている皆様に感謝の意を込めて、そのお返しに自分の出来ることで日々忙しくしています。
ご回答ありがとうございます。多くの人が客観的なご意見をくれる中で、あなたのおもいやりに満ちた発想が際立ちました。人間は、恩恵を与えあい支え合い繁栄していく共同体なのですね。世間の世知辛さに目を向けるだけじゃなくて、感謝の心を持ち続けることは大切ですね。
No.12
- 回答日時:
物質は、放っておけばエントロピー増大して崩壊し、
カオスになろうとします。
それが淘汰として進化を起こし、そうした崩壊に
抵抗し、存続しようとする生命を生み、発達させ
るのです。
つまり、あなたの本質は、物質=慣性力に抗する
「反慣性力」にあるのです。
ご回答ありがとうございます。今までにない発想で目から鱗でした!確かに、人類史はエントロピーの増大と縮小を繰り返していますね。今日の社会も、放っておけばカオスになっていくというのは誰でも想像がつくことですね。そこに個々の反慣性力が働くのですね。個々の反慣性力は、社会という大きな川の流れに抗う小石のような存在なのかもしれないなと、あなたの話をきいて感じました。ありがとうございます。

No.11
- 回答日時:
哲学のカテとしては、きつい質問、疑問ですね。
人間も蟻と同じなんだろうか、、、
全体の意志、そしてその流れ、が強いので「個」の思いが軽視される、と云うか見過ごされるのだろうと思います。
本当は自由奔放に生きるのが自然なのだと思いますが、人間は他の動物のように本能だけでは生きる力がなく、理性を持たされてこれを活用して生き抜いてみよ、と神がこの世に生み出したのだと思えば人は、人間同士の協力に依って生きるしかなく、それが社会の仕組みを作り上げて、今日に至ったのではないでしょうか。
人間の宿命、を感じます。
私も長い人生を過ごしてきてしまいましたが、致し方なくと云った消極的なかかわりで社会に参加してきました。
その息抜きが娯楽、です。
積極的に社会に参加する生き方のほうが、生きがいを感じられると思います。
ただ、こうした疑問は大切だと思います。
普通はこんな疑問は持ちませんから。
ご回答ありがとうございます。
人間の理性は、集合的無意識であり、これが社会という大きな流れをつくり、個の感情もその中で揉まれていくのでしょうか。。
理性を活用して生き抜いてみよ、という神からの試練が、人間の宿命というあなたの発想すばらしいと思いました。
わたしはまだまだ小娘で社会とかかわっていくのはこれからというところです。問いを持ち続けながら、がんばります。ありがとうございます。
No.10
- 回答日時:
人間は、社会的動物です。
人間と社会は密接不可分の関係にあります。
社会で育たないと、人間は二足歩行すら
ままなりません。
人間が人間であるために、総ての動植物の
食物連鎖の頂点に居られるためには、
社会が必要なのです。
人間は独りでは非力ですが、人間が社会をつくり
集団化すると、神も驚く力を発揮出来ます。
デュルケームやヘーゲルは、これを神と称した
ぐらいです。
その社会を維持、発展させるために、あれこれ
やらねばならない事が出来るのです。
ご回答ありがとうございます。
勉強になりました!こういう回答を待っていました。
人間は、個としての自分と、集団としての自分の二面をもっているんですね。集団性は、個の欲望をおさえるほどの力があるんですね。
また新たな疑問がでてきてしまいました。
世捨て人と言われる人達は、集団性を捨てて、人間らしからぬことをしてますね。しかし、例えば老子などがその典型と言えますが、世捨て人の綴った言葉に、皆、心を打たれるのはなぜなのでしょう。仏教の到達点は、ある意味、この社会性を超えていますね。また質問してすみません、ひとりごとです。。
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補足です。
わたし自身が、自由の身になりたい、とか、こんな社会から抜け出したい、と
考えているわけではありません。
わたしも含め、多くの人が、
不平不満をいいながらも、「本当はやらなくていいこと」をやるのは何故か?
そして、何故そのなかに、楽しさや、喜びをみつけることができるのか?
というのがわたしの疑問です。そのあたりの考えをお聞かせいただけると嬉しいです。
よろしくお願いしますm(_ _)m
あと、あのアニメーションは実は私の大学の方がつくったもので、学内で話題になって何度か拝見していたので、驚きました。偶然ですね。