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お金の原点は
1、物々交換が不便(保存が出来ない等)

2、価値をはっきりさせる為

と教科書で習ったのですが、どうしても納得いきません。
結論から言うとお金の原点は、どれだけ村に貢献したかの割合(賃金)を設定したかったのと、貢献した分の報酬量の証明となるものが欲しくてお金が発生したとしか思えません。

その後で、お金(証明となるもの)と物の交換を村人で行い始めたのが原点と考えるのがふつうじゃないんでしょうか?

物々交換が不便だから、保存できないから、価値をはっきりさせる為にお金と物を交換し始めました、ってじゃあ最初に石(お金)を配って使いましょうって法を作ったの?って話しか、
めっちゃ村人から物を巻き上げた村の管理者がいきなり使い始めたの?
無理があると思うんだけど。。。。

もし貢献の割合(賃金)を設定したものの証明は欲しかったなら、教科書に原点は賃金の代わりです。
って書きますよね?

物々交換ってあいまいだし間違ってると思うんだけど。。。

A 回答 (9件)

No.8ペンシルさんの回答でほぼまんぞくされているようで、あとは蛇足になるでしょうね。


交換価値は、「いつも、誰と誰でもおなじ」ではないですよ。リサイクルショップやチケット類販売、ヤオフクをみればわかります。 
世界中に「わらしべ長者」のような話があるそうです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%8F%E3%82%89 … 幸運、祈願の達成という視点で読むのではなく、「ものの交換価値が人と状況でドンドン変わる」ということは、世界中で周知のことだと思います。
「お金:1万円・100ドル」という表記は同じでも、ガソリンスタンドの掲示広告やスーパーのチラシでみても、頻繁に価値が変わること、政府などでも物価指数を公表するように時期によって価値が異なることは明らかに多くの人が知っていることです。

そうすると、「価値が固定し変動しないこと」や「人々に共通した同量同程度の価値感が存在していること」等とは別に、「お金」には何かの特徴のようなものがある/あったということでしょう。

お金持ちは、現金を大量に保有していることや現金の預かり証(預貯金証券)をもっていることよりも、何かの投資をしているとか、土地や不動産を持っているとか、事業をやっていることが多いです。確かにそれらを交換するとき、この株式や国債を15億4300万円分とあそこの土地と向こうのマンションと交換というようにやるのですが、株式も国債も、金(gold)や土地の価格表示も時価でいうなら、刻々と変わりますが、合意交換してしまいます。 メジャ・尺度表示が必要だから円やドル、ユーロを使っているだけナノでしょう。 確かに、1円、5円、10円、50円、100円、500円の硬貨と、1千円、5千円、1万円の紙幣に、尺度相応の比例的価値はないです。 日本の例では、貫、疋、文などの単位、両、分、朱などの単位がありました。 これらは重量や分量を示す単位と深い関係があります。 抽象的というか、具体的な個体ではないものなので、「細かくも多くも適当に量や価値を表すことのできる無段階的な尺度」になれたのではないでしょうか。
金、銀、銅、黄銅、青銅、鉄などの金属や合金も、分量で示す「無段階の尺度」になれたことが、「おかね」になる資格?になったのだと思います。
水や砂、塩や砂糖、油や酒でも分量で示す「無段階の尺度」にはなれます。 米や反物でも分量で示す「無段階の尺度」にはなれます。 ただ質が気になります。質が同じでないと交換するための合意も難しいです。 その点、質を量的に比較でき、簡単には変質しないという点・分量で示す「無段階の尺度」の優位性では、金属や合金が「おかね」になる。 日本語の「おかね」、英語などでのmoneyも、金属と関係が深いことを示しています。
http://haku8kin8gin.jugem.jp/?day=20120106
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/S043.htm

金は光って綺麗で変色もしにくい、純銀の表面は変色しやすいですが中身は変わりません。鉄は変色しやすくて中まで腐りやすいですが、道具や武器の材料としての有用性は人間社会で一番と言っていいくらいです。金や銀は産出量が少ないので、交換用の媒介物として大量に使うのには支障があります。銅や銅合金は大量にアリ、金や銀のような光沢と色で綺麗にもなり、鉄のように利器や道具、器にも出来る素材として使えるし、分量で示す「無段階の尺度」に使うのにも問題はないです。しかも、生産も比較的容易です。 こうしたことが、金銀銅鉄やそれらの合金を「おかね」にしたのだと思います。

一旦、社会的に「おかね」が交換尺度として使われ、相応の期間そうした状態が続けば、
「物体としてのおかねが、実際の交換場面では存在しなくても、おかねの尺度を使って」、
「これは1つ4貫、そちらは1ビン3貫だから、これ4つと、そちら3ビンで交換ね」とか、
三つ四つ五つの品物の混ぜて交換をする場合とか、
物品の交換で差分の精算残り(未精算分)を合意していく場合とか、
《尺度》だから可能になることがあって、多くの人が《尺度としてのおかね》を使うようになって、金や銀、銅、鉄そのものを必要としない人々も《おかね・moneyの概念》を使うようになるのではないかと思います。 そうなっていけば、交換相場が季節や需要供給の状況などで交換価値が変動しても、具体的な物品やサービスの有用さの価値が人によって異なっても、おかねが交換用尺度(スケール)として社会的に利用され続けていくのだと思います。
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お金も物々交換のための交換財です。

その証拠に交換価値のない貨幣をもらってもみんな怒ります。

報酬量の証明が欲しければ、賞状を作って渡しても満足できることになってしまいます。
しかし労働の対価として賞状だけもらって喜ぶ労働者はいないでしょう。賞状には消費財としての価値はないのです。他人から見ればただの紙切れだからです。

金属貨幣が無い時代は、塩が貨幣として使われてました。塩なら保存もできます。
塩自体も商品ですが、保存が効いてどこでも商品として流通するので、交換財として広く一般に使われるようになったのです。
さらには宝石なども。
染料なども赤や青や紫はとても高価だったので、保存が効くなら交換財になります。ラピスラズリなどは古代メソポタミア文明で非常に重要視された染料であり宝石です。こういう高価で保存が効くものが、交換財としても有用だったのでしょう。

やがてそれが金銀銅といった金属になり、さらには国が品質の証明としてサインをつけるようになり、金属貨幣になったのでしょう。
これも他に利用価値のある金属でないと受け入れてもらえません。いざというとき溶かして使えないからです。

やがて政府が保証するなら紙でも同じじゃないかという発想が生まれ、紙幣になります。
紙幣というのは、手形や債券証書から発展したものです。この紙を持ってきた人間はこれこれの金額を受け取ることができる、という証明書です。交易に携わる商人にとってこれはとても重要でした。
紙幣は最近まで、その額面の金銀と交換できるということが大前提でした。金本位制といいます。
だから主要先進国の中央銀行は莫大な額の金銀を保有していないといけませんでした。
その保証が取っ払われたのは本当に最近になってからです。具体的に第1次大戦後に放棄され始め、アメリカが最後に1970年代に金本位制を捨てています。要するに額面と同額の何かと交換できるなら、別に金銀でなくてもいいとなったわけです。
これによって保有する金銀の量にこだわらずに通貨量を増やすことができるようになりました。経済成長にとってはこのような通貨の方が具合がよかったのです。その代りに不安定にはなってるかもしれませんが、その点はまさに現在の克服すべき課題です。

おそらくこの先20年ほどで通貨の性格がまた激しく変わる可能性はあると思います。
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この回答へのお礼

なるほどーー。すごい詳しく書いてくださってありがとうございます。やはり発行した分の同等の何かを保有して無いとだめだったのですね!今はその「同額の何か」って曖昧ですね。。何を交換してくれるのでしょう。。サービス?土地?。。金銀よりかはパッとしないですね。。

やはりただ個人や小さな組織の物々交換では通貨は発生しずらいのですね。信用できる大きな組織になってからそれなりに膨大な価値のあるものを保有している状態でないと通貨の価値は信用されない可能性が高いのですね。

通貨の性格は時や状況や都合によって今も変わってるのですね。面白いですね。これからその不安定さが経済に大きな問題が起きないといいですね。そういえば金本位制って学校で習ったなー。そういう意味だったのか。

すごいわかりやすく、時代背景、通貨の根本の定義も含めて教えてくださったおかげでとてもわかりやすかったです!ありがとうございます。

お礼日時:2016/06/14 13:50

”等価”って何?


これは現代でも通用する問いです。そのバック、その価値が本当にあるの?w

通貨も最初は物々交換の”物”の1つでした。更に言えば、どちらかというと価値の無いものでした。なので良く”神様にあげるもの”にされていました。それ以外に使い道があまり無かったんですね。
物々交換は江戸期まで続きます。江戸だけは、1文はこれくらいの価値って感じになってましたが、西では”銀何グラム”みたいな物々交換が基本でした。
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この回答へのお礼

なるほど、自分は原始時代や弥生時代(小さな村組織の段階)から通貨が出来たと勝手に思っていました。(教科書の絵や文は弥生前の絵で交換してる絵でしたからね。)一応石と交換という行いをしていたけど、まだちゃんと確率されるまではやはり江戸期等のある程度の組織にならないと、通貨と呼べるまでの交換は出来ないと言う事ですね。そうなると、恐らくお金というのは小さな村や個人から自然と硬貨が発生したというよりは、ある程度の組織から「約束」として発行されてそこから行き渡ったという流れ以外無いですね。そういうたくさんの組織がそうする事によって別の組織の硬貨を別の組織の硬貨を交換する事も可能ですし、そこから硬貨の価値が正確化していったってのは自然かもしれないですね。(あっちの国ではこの石は一俵分、こっちの国の石は2俵分となり、その国同士が硬貨の統一化について話し合って定めたら、統一した数値の硬貨が出来ますね。)

お礼日時:2016/06/13 01:25

>結論から言うとお金の原点は、どれだけ村に貢献したかの割合(賃金)を設定したかったのと、貢献した分の報酬量の証明となるものが欲しくてお金が発生したとしか思えません。



みなさんの回答から上記が誤っていることがわかりませんか?

>その後で、お金(証明となるもの)と物の交換を村人で行い始めたのが原点と考えるのがふつうじゃないんでしょうか?

こんな質問するから歴史について話しているんでしょう。


質問がおかしいですよ。
きちんと相手に伝わるように文章を書きましょう。
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この回答へのお礼

質問者は回答者よりも偉いと思ってる口か。ちゃんと質問しないと失礼とか思ってるんでしょ。そんなだから日本の議会はだめなんですよ。そんなことより物事の本質を突き詰めるという事をしないから日本はだめなんですよ。

そんなだからヨーロッパや北欧みたいにみんな自然に発言できないのですよ。
あと質問はおかしくないですよ。自分は真相により一層段階を踏んでコツコツ話していくにはこういう質問の仕方の方がいいと思ったからこういう質問の仕方にしたのです。

でも回答しようとしてくれた事には深く感謝しています。ただ私は個人的にこういう議論のあり方は未来が無いとあなたに伝えたかったです。すみません。

お礼日時:2016/06/13 01:05
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この回答へのお礼

自分は歴史を知りたいのではなく、お金という物は本質的にどのようなものなのか知りたいのです。

お礼日時:2016/06/12 19:26

物々交換が始まりです。


その時に誰もがほしがるモノを見つけ出しました。石器時代の黒曜石などは相当の遠いと所まで運ばれています。
黒曜石はナイフや鏃になりますので、とても貴重な石でも。今でもその石で手を怪我することもあるそうです。
 塩も海から山に持って行くととても価値があるモノだったそうです。
 弥生時代になるとだいたいコメがその誰もがほしがるモノになります。この時代は戦国時代まで続きます。
 でも武将とか商人の間ではもっと便利なモノとして金(即ちお金が登場します)しかし侍の給料はコメで1石と2石とかの話になります。
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この回答へのお礼

なるほどーーー。戦国時代とかその辺になるとわかりやすいですね。村単位だから管理者に信用が感じられなかったんですね!
まず信用がある組織が出来ないとお金というのは発生しない感じがしました。ということは例えば管理者(信用側)がお金を上げた時点で、「物」的観点から見ると、「物」を借金してるようなものという事ですね。そういう発想はなかったです。解決しました!ありがとうございます!

お礼日時:2016/06/12 19:22

今のお金の仕組みを昔に当てはめて考えるからいけないのです。


「じゃあ今日から貝殻を通過にしよう」なんていきなり仕組みが出来上がった訳ではありません。
先ほど書いたような鹿と魚のブツブツ交換を続けてれば二人の間で信頼ができます。
二人の間で信頼があれば魚の代わりになる物、鹿の代わりになるもので取引ができます。
それが広まって仕組みとなっていくのです。
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この回答へのお礼

そのイメージはわかります。ですが明らかに賃金からの説の方が早い段階で発生し、自然で古典的なのです。もし二人の間で二人だけの価値が出来たとして、その約束物っていうのは形見の木とかでもいいじゃないですか?そして、その価値はその約束が終わると無くなり、その価値の記録も無くなります。というその段階で色々問題はありますが、もしそれが広まって成立したとして、その後に管理者がその色々な価値の色々な石を統一する時が来ますよね。その時に「それは何と交換したんだい?」っていちいち聞かないといけません。しかもそれが徐々に発展したものであれば、今まで何回も交換した記録がないとその石の価値は想定できません。そうなるとやはり一回リセットして「配る」という話になって、法のようなものを作ったとします。石のみのこった人はさっきリセットされたばかりの石に全く信用がないと思いますし。そんな厳しい中でみんな誰にも与えるだけの余裕が無い場合みんな売ってくれません。そうなれば速攻でその石の信用は皆無になります。みんな石よりも蓄えに走ります。やはり大元の信用が無いと考えずらいです。

お礼日時:2016/06/12 19:05

そもそも『村に貢献』って何?

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この回答へのお礼

膨大な信用(物)が得られるということは、みんなが何か協力して得たものですよね。みんなで協力して手に入った物って一か所に集められるじゃないですか。そこまでは絶対ですよね。その後にみんなで分けるじゃないですか。でもただ狩りに逃げ回ってた人とかほぼ一人で狩ったとか。あとは畑にしても、色々な分担が出来てくるじゃないですか。そういう人達にその「一か所に集めた物」を分ける時にみんな同じ分を分けるとは考えずらいじゃないですか。それが「村の貢献度」です。

それ以前の事を質問しているなら、もし、人が何人かいたら、それぞれ別の仕事をしても効率が悪いし、そういう厳しい世界で人が集まったら必ず協力して食料を得ると思うのです。そうすると前文のように必ずなりますよね。

お礼日時:2016/06/12 18:42

たとえば鹿1頭と魚10匹が等価交換だったとします


でも漁師の手元には魚は5匹しかいません
鹿半頭と魚5匹で取引してもいいのでしょうが、半分はどうにかしなければなりません
冷蔵庫なんてないし保存はできません
だったらこの石を後で持ってきたら魚を5匹渡すよと約束します
これがお金です

村への貢献とかは関係ありません
あなたは納得できないかも知れませんがこれが通貨の始まりと言われてる取引です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

でも日本のお金もそうですけど、何故日本のお金は価値があるのかを考えると、日本政府に信用があるからですよね。経済では日本政府が信用を失うと1万円札もただの紙切れになりますよね。ということは、村にもどこかに膨大な信用の「元」があるはずですよね。んで村なんて銀行なんてシステムは出来てませんから、村長や王のような管理者がその日本政府と同じ立場と考えるべきですよね。そう考えるとその石はちゃんとどこかで必ず恩恵を受けるという絶対の信用が無いと石に価値なんてないですから、管理者が絶対にお金をくれればその分のものを与えるという絶対の信用と「物」がないとだめですよね。そのシステムはどこからくるのでしょうか?賃金でないとしたら、その管理者の「物」はどこからくるのでしょうか。。。

その膨大な信用(物)は村みんなで協力して得たものしかありえないじゃないですか、得たものは一か所の集められるのでしょうけど、それをどれだけ渡すのかってなりますよね。もしそこでお金が発生しないとなると、膨大な信用(物)とは関係ないプライベートだけでお金が発生したという事に必然的になります。それは「お金が価値を持つ」という事から反しているので、無理だと思うのです。

お礼日時:2016/06/12 18:26

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