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多くの大学で、語学意外の授業も英語で行われる動きが出てきています。
最近知ったことですが、明治時代の大学は英語で授業が行われ、教科書も英語、教授も外国人だったと聞きました。
なぜそのままにしなかったのでしょうか。なぜその後、日本語での授業に変わっていったのでしょうか。

A 回答 (7件)

他の方の言われた通りですね。



最適化でしたっけ?ちょっと忘れましたがなんか生物か経済の法則でありまして、生物は適応するらしいです。つまり日本人は適応しちゃったんだと推測されます。
要するに日本は1億人の人口とそこそこの経済があったんで国内である程度廻るし、
植民化もあんまりでしたし(植民化が進んでると言える沖縄は英語を話せる人が多いと聞きます)、
やれてこれたからやれちゃったんですね。

僕はあるアジア某国で暮らしてたことがありまして、そこでは極端な話、日本語や英語など外国の原画ができると数倍の賃金が違うんです。
日本だと20万円と100万円みたいな感じでしょうか。
それぐらい違うと英語熱なんてのは日本の比じゃないんですよ。
そもそも大学生=英語みたいな感じなんですよ。教授がふつうに外人か、海外の大学卒が普通なので英語が普通なんですよ。
英語出来ない=大学行けない、みたいな感じです。
彼らにとっては普段の家族の言葉と仕事の言葉が違うのは当たり前なんですよ。
そこでずっとそうだったらそれが普通なんです。
英語とか語学ができるアドバンテージが日本人とめちゃくちゃ違うんですよ。
日本だと英語が出来ても「給料5万プラス」ぐらいじゃないですか?
20万と25万じゃ「じゃあ英語やろうか」ってはなかなかならない。
外人比率も日本の比じゃないし。

明治初期、日本は猛烈な勢いで外国の真似をしました。
もちろん先生は外人か海外帰りの人です。
高橋是清なんかも先生を一時やってますね。
もともとはオランダ語や漢語をやってたのにすぐに英語、ドイツ語やフランス語に切り替えられる辺り、当時のエリート階級はマジで頭がいいと思いますね。
ただ昭和初期になって国力をつけると急に日本化していきます。
日本人同士でやり取りするのには日本語の方がラクですし、
国力的に言って強かったからロシア人や韓国人、台湾人や沖縄人とのやり取りに現地の言葉を覚える必要はなく、相手に覚えて貰えれば良かった。
自信をつけたとも言えますし、調子に乗っちゃったとも言えます。
戦争が始まると英語は敵性語として英語自体が禁止になります。

いまぶっちゃけ日本の国力が下がってて、英語ができるアドバンテージが上がってるでしょう?
いま月収で50万とか100万とか稼いでる若い人はヨーロッパにもアジアにもかなり多い。
日本だと相当な努力とエリートでしか無理でしょう。
かなりの努力をしても賃金18万とか25万とかが普通にあるでしょう。
だったら外に出るか、外とやり取りする方がずっと得だ。
だから英語ができる人が増える。そういう感じかと思います。
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一番大きな理由は「それが当時は最適だったから」です。



では、なぜそう考えたかというと、当時の英語は数ある帝国主義の言葉の一つに過ぎなかったからです。

明治時代の大学は必ずしも英語で授業を行ったわけではありません。医学部はドイツの方が先進的でしたので、ドイツ語でしたし、陸軍士官学校などはフランス語でした。
今の様に英語が圧倒的に強いわけではなかったのです。

そして日本は戦争に勝つことで、領土を拡張し帝国主義国に仲間入りしていきます。
拡張した領土には学校を作るわけですが、小学校の言語は当然に日本語になります。現地語は教えましたが、日本領土内の共通言語は日本語だったからです。

そして各地から集まってくる優秀な人材を士官学校に入れたり、大学に入れたりして教育するわけですが、日本語で教育できればコストは安いわけですし、当時は英語・フランス語・ドイツ語の有用性は同じぐらいで「英語じゃなければならない」という理由はありませんでした。

これらの理由から初期の東京大学では近代用語の日本語化を積極的に行い、それが今の日本だけでなく中国などでも利用されているわけです。

だから当時の判断としては日本語化して日本人の教師が教えるようにするのは有用性が高い判断だったのです。
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この回答へのお礼

明治時代からの状況を詳しく説明してくださり大変およくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/06/29 11:45

> 多くの大学で



多いとは思えませんが。
いくつかの大学で、とか、そういうところが増えてきている、とか、そういうことなら理解できますが。

> なぜそのままにしなかったのでしょうか。
将来の日本を背負って立つような連中が、ガリガリひょろひょろになり、バタバタと倒れていくからです。
「まともなレベルの講義をやろうとすれば」、勉強の負担が重すぎるのです。
私の英語力が低いからかもしれませんが、英文で情報を取ろうとすると、どうやっても日本語の十倍かかります。
日本語の教科書で3時間勉強する、というのは、真面目な学生なら普通にあるはずですが、それが倍になったらどうなるでしょう。
健康面に影響がでないでしょうか。
また、大学の四年間で「倍」のレベルにまでなりますかね。
そりゃ、語学以外やらないような語学バカならもっと行くでしょうが、専攻が語学以外だとどうでしょう。
倍のレベルになるまでに、相当な負担が来ないでしょうか。
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明治時代に英語の教育を受けられたのは当時のエリート層であり、能力も高かったです。

しかし、現在英語教育は義務教育にもなっており、授業を受けるひとのほとんどは普通の人々です。

 自動車レースの最高峰はF1ですが、そのドライバーは世界で30人程度です(控え含む)。そのため操作は困難を極めますが、その操作ができるのが世界で30人くらい難しくても問題はありません。しかし、普通の自動車がそれくらい操作が難しくては普及していかないので操作を簡単にしています。こうしたことはパソコンの普及時にも見られ、最初は上級者向けの難しいものしかなかったのが、普及するために(or普及していくにつれて)操作が簡単なモデルが登場します。

 他にも、当時は英語と日本語というかけ離れた言語を勉強するのに(途中の橋渡しするような言語もなく)、どちらかが相手言語の世界に飛び込む必要がありました。日本がアメリカに近付くしかなかったので、日本人がアメリカの世界に飛び込んだというのが実情です。相撲部屋にモンゴル人が入門し始めたころも、わざわざ部屋がモンゴル語の表記をするのではなく、そのモンゴル人が日本になれないといけないのと同じように、日本人が英語を習ったのです。
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時々この問題で大きな誤解をして居る方がいらっしゃいますが、これは現在と百年前の科学・技術水準を理解していないせいです。


時々ある質問「アフリカの大学では英語の教科書で英語で英語を用いて授業をしている日本は遅れているのでは無いか?」お答え、誰だって自国語の方が分かり易い、でも母国語に術語が無ければそれは出来無い。過去植民地の教育をする為に宗主国の教師が送り込まれたり植民地の優秀な学生が宗主国で教育を受けた、それは宗主国の都合であって植民地の都合では無い。我が国は「お雇い外人」を求め、優秀で発展途上国を先進国に引きすりあげようという希望・野心を持った欧米人が日本人と協力して日本語で術語を作った、中国でも多くの日本製社会科学語が使われている。現在主たる科学・技術用語は英語でフランス化学会は学術雑誌を全て英語に切り替えてしまった、もちろんフランス文学を英語で議論したらバカバカしいのでそれはやらない。だから我々はどんどんバイリンガルになるだろう。
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1:外人の先生しかいなかったから。



2:日本人の先生が増えたから。

その他:自国語が未発達な国では、今でも大学の授業は英語でしか行われていません。
    自国語で学問が出来る国は、あらゆる意味でそれが一流の証と言えます。
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英語習得と学問習得の両方で、当時肺病で倒れる若者が多かったと読んだことがあります。


それで翻訳に力を入れ、日本語で大学教育を受けれるようにしたらしいです。
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