プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

▲ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93% …

ザビーヌは1996年5月28日、12歳のときに通学中に誘拐され、犯人の家の特製地
下室(幅99cm・奥行き2m34cm)に80日間閉じ込められる。その間、小児性愛
者である犯人から性的虐待を受け続けた。

▲ (2005年12月来日したときの会見) ~~~~~~~~~~~
http://www.sonymagazines.jp/new/sabine/report.html
(このサイトは 現在削除されています)。

記者の質問 : 自分から一歩踏み出し、ハンデを打破していく強い意志はどこか
らくるのですか?

Sabine :  もともと負けん気が強い子どもでした。“かわいそう”と同情されると
反発したくなるんです。
自分は一生懸命忘れようとしているのに、町を歩くと見知らぬ人から「かわいそう
に」とか「辛かったでしょう」と腕をつかまれ、声をかけられることが、度々あり
ました(今でもあります)。

でも、私はいつまでも『犠牲者』でいたくはありません。誰にでも不幸は訪れます。
一度あった不幸に哀れみをかけられ、そこにどっぷりはまっていたくはありません。

一生、犠牲者として生きていく必要はありませんし、そんな気もありません。
いつまでも『犠牲者』として生きていたら、その先の人生を無駄にしてしまいます。

事件のことを忘れることはできませんが、自分の中で区切りをつけることで、自分
の過去にうち勝っていきます。

この本を書くことによって、過去に起こった事実として、事件の形跡を残すことは
できましたが、これから始まり続いていく未来に、この不幸な出来事は関係ありま
せん。
 
普通の女性として、幸せをつかむために前進していきたいです。
~~~~~~~~~~~~~~~~

☆ わたし質問者は 《蚊が刺しただけ》という見解をもって 全面的に かのじょ
の考え方に賛成です。みなさんは いかがでしょうか?

A 回答 (5件)

蚊が刺した位で本を出版したりはしないと思います。



本人にとっては、やっぱり忘れることが出来ない事であったでしょう。

そう思うので私は《大きな蜂に刺されたのだ》と言う見解をもって彼女の考え方に賛成します。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 《大きな蜂に刺されたのだ》と言う見解をもって彼女の考え
方に賛成します。
☆そんなんぢゃ 気にかけているのだし けっきょく悩んでいる
のではないの?

心が外から傷つくということは あり得ません。

無効の行為だったのです。つまり 初めからなかったことなのです。

ただし 現象としては起きたことなので 簡単に原状復帰をおこな
うということも むつかしい。

けれども 精神が傷つくということは あり得ません。自分で自分
の心にさからって 傷をつけない限りは。

だから 起きたことは起きたことなので ≪蚊が刺した≫と言ってい
ます。

≪蜂≫ぢゃ あぶないではないですか。



★ 本人にとっては、やっぱり忘れることが出来ない事
☆ であることと 傷つくということは 別のふたつのことです。


★ 蚊が刺した位で本を出版したりはしないと思います。
☆ 世の中の人びとに向けて ふつうに自然に自己表現をおこなっ
た。

そして それはひとりの市民であると同時に公民としても ささや
かながらも・じゅうぶんに人間性を表現し得ているとわたしは考え
ます。

お礼日時:2016/07/20 09:59

私へのご返事をメビウスの輪を用いて例えます。



私の“回答”を出発点(現世界)とするならば、そのご返事は丁度真向こう(裏世界)に位置します。

地球上の生物のうろたえぶりを見れば、分かりそうなものを。

無理があるから誰も従わないのです。
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この回答へのお礼

ん? ええっと。
★ 無理があるから誰も従わないのです。
☆ ≪従う≫というのは 質問者としてのたたき台・すなわち:
☆☆ 《蚊が刺しただけ》という見解をもって 全面的に かのじょ
の考え方に賛成です。
☆ という見解のことですか?

ええっと まづは ご回答をありがとうございます。

すなわち その従わないという理由としては:
★ 地球上の生物のうろたえぶりを見れば、分かりそうなものを。
☆ というように わたしの見解に従うなら ≪うろたえることにな
る≫から ですか?

すなわち:
★ 私の“回答”を出発点(現世界)とするならば、そのご返事は丁度
真向こう(裏世界)に位置します。
☆ そのように≪裏世界に位置する≫見解なのだから うろたえるより
ほかなく まともに見解として保持することも出来ない。――こうい
った趣旨でしょうか?




果てさて どうなっているのでしょうか。

ううーん。いや つまり あなたの見解(=回答№1)が
★ 出発点(現世界)とするならば
☆ わたしの見解がいかに≪真向こう(裏世界)に位置する≫と言って
も それらは
★ メビウスの輪
☆ のごとく たとえねじれていても 地続きなんでしょう?

互いにつながっている。のでは?

つまりは わたしの見解を≪出発点(現世界)≫だとすれば こんどは
あなたの見解が メビウスの輪をつたって ≪真向こう(裏世界)に
位置する≫ことになります。

これぢゃ いったいどういう理屈であるのか。まだ なぞですね。

お礼日時:2016/07/20 13:11

こんにちは。



わたしとのやり取りで、再び浮上した問いかけであるので、及ばずながらと考えたのですが、

No.1のyy8氏へのお礼欄に記されているように。

このレイプ(虐待)について、

『心が外から傷つくということは あり得ません。』

『無効の行為だったのです。つまり 初めからなかったことなのです。』

『けれども 精神が傷つくということは あり得ません。自分で自分の心にさからって 傷をつけない限りは。』

『だから 起きたことは起きたことなので ≪蚊が刺した≫と言っています。』

というような質問者側からの幾つかの揺るぎない大前提が設定されている以上、少なくともわたしにはこの質問に参加する能力はないようです。

それでも尚、上記の諸前提を掻い潜って、どのような回答が寄せられるかを楽しみにしています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

すでに勇みこんだものですね われながら。

でも 寸分たがわず 書いたとおりに思っています。

わいわいえいと氏 ほかのみなさん どう考えていましょうか。

お礼日時:2016/07/20 16:06

心の傷。



薔薇の刺が心を傷つけると言う理屈が表側。
それをひねるとぶらじゅろんぬ流の理屈に成ります。
繋がっているんです。

心は外からは傷つかない。自分の心に逆らうから傷はつくのだ、という説がひねりなんです。

誰も理解してはくれません。私ぐらいでしょう。

また彼の山崎弁栄(べんねい)上人は理解するはずです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 心は外からは傷つかない。自分の心に逆らうから傷はつくのだ、という
説がひねりなんです。
☆ いやいやいや もうひとつ いやいや。ひねりは 何にもないですよ。

★★ 《大きな蜂に刺されたのだ》と言う見解
☆ これでも 考えようによっては ≪自分で自分の心には逆らっていない≫
と言えるかも知れません。

ですが それを言うには ≪蜂≫は あぶなすぎます。(蚊も ヰルスの心
配はありますが 一般に痒くなるだけだというかたちです)。

スズメバチがこわいですね。




★ また彼の山崎弁栄(べんねい)上人は理解するはずです。
☆ ま ですが 神秘思想の中でですよね。

お礼日時:2016/07/20 16:14

人の心に付いて、ブラジュロンヌさんは自我というものは、確か"無い"と言っていたように思います。


また、自我と言う言葉は不要だとも言っていたはずです。
そしてここでは、人の心は外から傷つくということはない、と言っています。

どちらも常識を覆した意見ですね。
これを私はひねりと表現しました。

こうした言葉が生まれる源泉は「人の心の"中心"は神の心なのだという考え」のようです。
人の心に現れる喜怒哀楽という"現象"は仮の出来事であって後に残るようなものではない。時がたてば跡形もなく消えてしまうではないか、と言うところからの気づきなのでしょう。
そして、神論(聖書?)が背景として有ると思います。

傷。
ブラジュロンヌさんの言う傷とは「やましさ反応」の事なのです。
一般には良心の呵責という心理に当たりますが、この"良心"に付いてもブラジュロンヌさんは一言あるようです。

ほかにもいろいろとブラジュロンヌ製の拡大鏡や顕微鏡を以って質問や応答、そして回答をしていますが、これらに対しての常識による勝負は《二階から目薬》をさすようなも、かと思います。

弁栄上人は私のこの捕え方に粗(ほぼ)うなずいて下さると思います。

蜂は怖いですか?
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この回答へのお礼

★ 蜂は怖いですか?
☆ これは 特にススメバチという種類については そもそも毒がある。
という問題です。だから 外から心が傷つく場合にあたります。

蚊は 蚊じたいに毒があるのではない。ということから 蚊が刺しただ
けだというタトへが――心の傷つきを除外して――成り立つのではない
か。という事情です。

ご回答をありがとうございます。

★ 傷 / ヤマシサ反応 / 良心とその呵責
☆ については おおむねそういう見解です。

★ 自我
☆ これは それが要らないという点で要約してもらった考えをしてい
ますが 理由や事情は 必ずしも同じではありません。以下 精確を期
します。

神を持ち出すことは 人間のすべての事柄にわたって――間接的に――
該当しますから その意味でいまの場合には 別とします。



問題は 単純です。 ≪自我≫は ≪ das Ich ( the 'I' :われ;わたくしな
るもの)≫のことです。そういう翻訳語です。

日本人のあいだでは 個としての人間が とうとばれ難かったところ
その確立が戦後になっては逆に声高に叫ばれ始めました。

その≪個人≫を表わすために 古くからの≪われ や わたし あるいは
自己・自分≫という言葉を使っていたのでは 主旨がはっきりしないと
考えたのか あたらしい語――つまり自我とか他我とか――を使い始め
たようです。

そうしたところ 古くからの≪我がまま≫や≪自分勝手≫とは違って 人
びとのあいだで自己をしっかりと保持し固く自己の主張を説きつらぬき
通す人の場合を称して ≪自我が強い≫と言い表わし始めた。

もし人をそれぞれ個人として互いにとうとぶということでしたら わざ
わざ自我が強い・弱いという言い方をする必要がない。また その人の
意見の中身を互いに問えばよいだけである。

ということは 自我は――自己の確立とは微妙に違って―― 単なる
≪押しが強い≫ことであり 昔からの 我が強く我がままのことでしかな
い。

精神分析における自我の扱いという問題が別にありますが 以上が 自
我という言葉の不要という問題です。


このような人間性にかんする議論をとおして見えてくる人間像として
ザビーヌさんは 自然でふつうの人であり 互いにとうとぶべき一市民
のあり方をして社会生活を送っている。となります。

お礼日時:2016/07/21 09:26

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