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世界中にはどれ程の宗教があるのでしょうか?その宗教宗教で言うことが異なります。

人間の神は有ったとしても一つの方がいいのではないでしょうか?

価値観の多様化もあるでしょうけど 宗教対立による諍いや戦争は懲り懲りです。

戦争は資源獲得などの欲望によっても起こります。

日本など人口密度が高いし治安が行き届いてるので泥棒や強盗は少ないですが

資源の奪い合いは国の強盗の様なものです。そして殺人も犯します。

このような問題を無くす為には 他にもいろんな問題がありますが

「人間」と言うものは何者なのか?という事を知る必要があります。

みなさんは 人間とは何者か分かりますか? どのようなものか?

「人間とは・・・・・・・というものである」これが書ける人いますか?

ご自分の経験や思い出結構です 人間とは こういうものだと教えてください

お待ちしております。どうぞよろしく。

A 回答 (8件)

人間とは、固執を抱えながら生きるものであると思います。


僕自身仏陀の教えに触れてから、怒りをなくすためずいぶん固執を捨ててきました。
しかし、それでもまだあるのです。

中には固執を持ってた方が人間らしい、という人もいます。
でも固執をかなぐり捨てて生きる方が楽に生きられると僕自身は思います。

完璧に固執をなくす、というのはなかなか難しいことであるなと最近思っているところです。
僕は人間とは、固執とともに生きる存在であると思います。
そしてまた、その固執の多さを認められない人が多いのもまた事実であると思っています。

難しく考えたがるのも人間の特徴ですね。
もっとシンプルに考えた方がいいんじゃないか、という人が僕の周りにも多数います。
僕はなるだけ考えを簡単に単純化したいタイプなので、あまり難しく考えるということはあまりしなくなりました。
ただ、「あまりしなくなった」だけで、先述したようにすべてがそうとはいかないのです。
この辺りにジレンマや葛藤を抱えてしまいます。

時に自身に起きている問題や、周りの問題に敏感になるがゆえに悩んだり悩みを抱えたりもします。
そういう時は全力で解決策を見出す方向へ頭を切り替えるようにもっていくようにはしています。
しかしながら、その答えが出るまではある程度時間と要するのでそれだけで疲れてしまうことも往々にあります。

人間とは、これらのことを抱えながら生きていくものだとも思います。
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この回答へのお礼

Thank you

我執と言っても 要らない我執と必要な我執とあると思います

生きることに執着しても良いのではないでしょうか?

それを即身仏等と餓死して仏になると言うのは どういう意味があるのでしょうか?

欲望も必要な欲望と必要以上の欲望とあります

何に執着するかが人生です。要らない執着を捨ててみれば 必要なものが見えて来るのではないでしょうか。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/09/10 20:34

「みなさんは 人間とは何者か分かりますか? どのようなものか?」


→鳥や魚など野生動物と同じだと思います。
ただ、彼らよりも少し知能があるだけでしょう。

宗教についてですが、宗教は人間が取り仕切っています。
いろんな宗派があるのは権力争いからです。
宗教と云えば美しさをイメージしますが、宗教人でも人間であるため権力争いはいつもあります。
宗派が分かれるのは権力争いの結果です。
ヤクザの世界とまったく同じです。
もちろん、そこには神は無関係ですね。
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この回答へのお礼

ありがとう

かなり宗教には厳しい意見ですねえ。

宗教をやってる人は、良かれと思ってやってるのでしょうけど

どんどん分裂していきますねえ。

話し合うことも少ない。

宗教はややこしいですねえ。なければなくてもいいのかもしれません?

お礼日時:2016/09/08 19:02

イエスの救いも惜しいですねえ。

もうちょっとなのに」←もうちょっとですか・・

本来 イエスは救いに来られた訳ではありません・・

伝えに来られたのです・・

もうちょっとなのでは無く 伝える事は出来ています・・

そして・・キリストはイエスだけではありません・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


イエスの葡萄の木に世界中の人が繋がれば、世界平和、心の調和、愛と真実の世界がもたらされたでしょうけど」←此処も違います・・

繋がる事が平和への道ではありません・・・

もっと 真髄を勉強して下さい・・・

でないと あなたには 到底理解出来ない
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この回答へのお礼

Thank you

聖書には確かにイエスが来たのは人を、親と子とかを引き離しに来たんだと。剣を刺すために来たのだとありますねえ。

しかしそれはもう十分人々は分かったと思います。人々は充分争いました。永遠の命というものも分かってる人は

沢山います。目指すものは永遠の命、つまり永遠を目指す、永遠への存在です。

今までの苦労、犠牲、叫び、愛情、義が全て活かされるのです。全ては無駄ではなかったと言う結末にするためにも

永遠への存在の実現が人間の目標だと言う事を自覚する必要があります。我々の命をかけても裏切られない存在、

それが永遠への存在です。全ての生命と人間の心が結実するのです。

お礼日時:2016/09/08 17:55

「人間とは何か?」これが「正しく」分かれば人類の哲学は大丈夫、とい


えると思います。
それがいわゆる「悟り」であって、それを人類が共有すれば、理想的文明
の建設が始まりうるのだろうと考えます。

私の拙い考えを言葉にすれば「宇宙の具現化、個別化されたもの」が人間
であるとなります。
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この回答へのお礼

ありがとう

人間の体は動物から進化したと言われます。人間精神はこの体の影響を受けます。

体はご存知の通り物質から始まり、循環しながらDNAを複製しながら突然変異で

環境の中で存在出来る個体が生き残り進化して来ました。

従って人間の主体である精神はこの存在する為に進化してきた体の影響を強く受けます

環境の中で生きられるように本能が役に立ちます。

そして精神は本能だけでなく脳に色んな性質を持っています

そして学習し経験し思考し試行錯誤し色んなことをします。

ただここで押さえておきたいことは 人間が生きて子孫を育てる事は並大抵の事ではなかったと言う事です

生きていき事だけで精一杯だった時代の方が圧倒的に多かったのです

存在する事がそれ程に大変な事だったのです。

ですから本能もそうですが、文化文明から来たもの(ミーム?)も人間が考えるのも

受験勉強をするのも生きていく為であり存在・存続する為だったのです。

結論から言うと人間とは存在への意志であり、存在性の塊なのです。

ちょっと端折りましたが、生きて存在するだけでも人間にとっては物凄く大変な事だったのです。

お礼日時:2016/09/08 11:19

人間は、欲しがるものである。



これが最も強い欲望。欲しがらなければ生きていけない。
人は、他人を殺してでも手に入れようとする。

そして、これを戒めることの狡猾さが最も下劣な行為となることを忘れてはならない。
他者に対して煩悩を取りのぞき、欲しがるなと戒めることは、その理由がどうであれ、自分の欲望を満たすことにつながっているからに他ならない。
なぜなら、他人が完全に何も欲しがらなければ、全ては自分の物になるではないか。

その教義を理由に寄付やらお布施などと称して、金品を集めるなど言語道断。他人には、欲しがるなと言いながら、自分は受け取りたがる矛盾を説明する為に分厚い本が必要になっているではないか。
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この回答へのお礼

ありがとう

成る程 一理ありますねえ。宗教はお金を欲しがりますねえ。働かないからその分お金をもらって

説教をする。いい身分です。

キンキラの袈裟を着て 人が死んだらウン十万、法事法事でまた十万 いいなあ 羨ましい。

お礼日時:2016/09/08 19:13

世界中にはどれ程の宗教があるのでしょうか?


   ↑
おそらく数千、数万あるんじゃないでしょうか。


その宗教宗教で言うことが異なります。
   ↑
それは当然です。
同じ事を言うのなら、宗教が複数には
なりません。


人間の神は有ったとしても一つの方が
いいのではないでしょうか?
   ↑
宗教は文化の基礎を造っています。
神が一つ(1柱)しかなかったら、文化も
一つになる可能性があります。
そうすると、その文化の行き詰まりが、人類の
行き詰まりになってしまいます。
現代は西欧が世界を席巻していますが、
これが更に進んで、世界が西欧文化一色になったら、
西欧文化の行き詰まりが、そのまま人類の
行き詰まりになりかねません。
多様性を維持すべきであり、神も沢山
いた方が良いと思います。


価値観の多様化もあるでしょうけど 
宗教対立による諍いや戦争は懲り懲りです。
  ↑
現代において、宗教が直接の原因の
戦争、というのはほとんどありません。
資源と領土です。
パレスチナ紛争ですら、結局は領土を巡る
争いです。
イラク戦争は石油戦争でした。
イスラム国だって領土が欲しいだけです。


人間とは何者か分かりますか?
  ↑
前頭葉が発達しているだけのただの動物です。
一人では非力ですが、集団化すると神をも
驚くほどの力を発揮する社会的生物です。
争うことにより、文化、道徳、科学技術を
発達させ、地球にあふれるほど繁栄した
動物です。
争いがなかったら、人類はここまで繁殖
しなかったでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

宗教と言うものは、自分たちの教えが正しい、と言って譲らないものです

その宗教の神が沢山あって違う教えを主張し「絶対に間違いない」と言うと矛盾してくるんですよね

自分たちが正しいのであって 他は間違ってると言う宗教も多いのです。

パレスチナ問題が領土問題だとおっしゃいますが、宗教が同じだったら、何もあんなに反目する必要はないのです

争いがなかったら人間はここまで繁栄しなかった との事ですが

ハッキリ言って争うくらいならここまで繁栄しなくても もっとゆっくり安全に進化してくれば良かったのです、文化も。

死んだ人が可哀想です。適度な競争位にしておけばいいのです。核兵器なんてこんなに広がる必要などなかったのです。

戦争反対です。ありがとうございます。

お礼日時:2016/09/07 21:10

書けるが 此処に書いても「それで?」で終わる・・



文章だけで良いのなら 何故イエスがキリストとして この世に降臨しなければ ならなかったのか?・・

実際に 逢わないと いけないから・・なのです・・
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この回答へのお礼

ありがとう

イエスの救いも惜しいですねえ。もうちょっとなのに、イスラムと対立し、キリスト教徒も信仰が薄くなった。

イエスの葡萄の木に世界中の人が繋がれば、世界平和、心の調和、愛と真実の世界がもたらされたでしょうけど

今のところそうでない人が多すぎて、キリスト教でも宗派が分かれ過ぎています。

しかし我々もアメリカがキリスト教国でなかったら、この様な発展は無かったでしょうから感謝せねばなりませんね。

ありがとうございます。

お礼日時:2016/09/07 21:20

宗教が多岐にわたるのは政治が絡んでいるから



人間とは私欲が強い動物
と思います
傲慢で、業の深い生き物です

端的に言えばこの言葉につきると思いますね

悪いことも良いことも結局は自分のためですから

宗教は変なものを入れなければただの教えです

全ての宗教はただ一人の人間の生き方に感銘を受けた人間たちが文章として広めたにすぎません

良く考えてください

イエス・キリストやブッダはただ、自分として正しいと思うことをしていただけです

この考えを広めろ❗
とは言ってませんよね

つまり、宗教はこういう行動は人間として尊敬できるよと言う事を記した教科書です

なので、私は宗教は学ぶもので信仰するものではないと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとう

成る程そうですね 宗教は信仰するから変になる。その知恵を学びその教えを実行、実現すればいいのでしょう。

ただイエスにしてもブッダにしてもその命懸けの教えの動機は世界中の人を救いたい というものがあると思います。

その為にイエスは自分の命を犠牲にし、ブッダは自分の妻子と離れました。その思いは多くの人にもあると思います。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/09/07 21:20

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