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NHK Eテレ『100分de名著』2016年8月放送の「カント 永遠平和のために」の第3回で
「自然は、戦争によって、人間を人も住めぬような場所にまで駆り立て、そこに居住させた。」という話がありました(同番組テキストp.66)。
確かに、現代の人間心理と同様、昔の人も、やはり日々の食料などがすぐに手に入るような便利な町に住む方がラクだったのではないかと思うのですが、必ずしも、当時の京・大坂・江戸といった大都会、或いは、夫々の殿様の領地内の恵まれた土地に住まず、僻地にまで、住み分けようとした理由は何でしょうか?

そこには、源平の戦いなどで、追いやられ、肥えていない未開拓の土地にまで住まざるを得なかった人々の歴史があるのでしょうか?

世界に目を転じても、北方のエスキモーのような極地に生活の拠点を持つ民族がありますが、これらの人々も、決して好き好んでではなく、戦争や差別などから追いやられてやってきた人々なのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 世界の隅々の僻地まで、人が住みつくようになったのには、色んな理由があると思われ、皆様の言われるような理由もあるし、戦争で追いやられて、耕地の少ないような不利な地に押し込められた人もいると思います。今後もっと研究すべきテーマでしょう。

    この質問は、最終回答から7日経過後の、明日早朝2時頃には自動クローズになるようですが、それまでオープンにしておきますので、よろしくお願いします。

      補足日時:2016/09/19 16:20

A 回答 (6件)

① 日々の食料などがすぐに手に入るような便利な町に住む方がラクだったのではないかと思うのですが、必ずしも、当時の京・大坂・江戸といった大都会、或いは、夫々の殿様の領地内の恵まれた土地に住まず、僻地にまで、住み分けようとした理由は何でしょうか?


❶ 「住み分けよう」としたのではなくて、「他に移り住もうとし、とりあえずここで腰を下ろそう」とした人や家族、小集団があるとします。もとの集団の人口規模は最大で数百人と考えられますが、狩猟採集を生業としている場合は最大で100人程度、そこそこ獲物がある環境ならばもっと人口は少ないはずです。食料となるものが基本的に散在しているので人が大人数で狭い地域にいるということはあり得ないです。平均寿命も40年程度でしょう。5歳~40歳の人口が100人で同年齢は3人と単純化して、15歳で一人前扱いになるとすると、7年間で20人が一人前になります。そのうち4人が主導して親や子を連れて合計8人が7年ごとにこの集団を離れて別行動をとると仮定します。この別行動をとった小集団の40%は元の集団から別れた後で死に絶えてしまい、存続し続けるのは分離別小集団をつくった中の60%になるとします。つまり、この母集団(第一次集団)は7年ごと0.6の別集団を派生させること=300年間で25の第二次集団を派生させるということです。派生独立した25の第二次集団も独立後数世代でその集団から別れていく小集団を再派生させる状態になります。仮に第二次集団が分離独立して100年後から第三次集団が再分離し始めるとした場合でも、第一次集団から分離が始まって300年で第三次集団までで残っているに集団の数は170を越える計算になります。次の300年は170の集団が第一次で100年間の分離開始までの100年間もなく7年ごとに1つづつ別集団が出来ていく計算になります。気候の不順や色々の災害で滅亡した集団や、分離せずに100人前後で何とか維持している集団もあるでしょうが、第4次集団、第五次集団も派生しているはずなので、1000年、2000年という期間を考えるならば、人類がアフリカから展開し始めたとしても、地球上にくまなく広がる可能性は高いです。鳥や魚、哺乳類も地球上に広く分布しています。生物としての環境柔軟性がとても高い人類は、どこにでも短期間に展開すると思います。日々の食料などがすぐに手に入るような便利な町に住む方がラクだというのは、日本でいえば、ごく最近の話で、江戸時代では、江戸に移り住むというのは食料も入手しにくい場所、そこで単身で死んでいく場所というイメージが強いのです。農漁村からはじき出されるような状態でやむなく江戸で下働きで何とか暮らしをすることになるというイメージです。
http://www.est.ryukoku.ac.jp/est/miyaura/kohgi/c …

②農耕民族と狩猟民族の違いもあるでしょうが、一か所で財を成した後は安住したい人と、どこにでも新天地を求めて放浪する人がいるでしょう。比率で言えば、前者が9割で後者は1割程度では? 
❷「財をなしたので余生を別に」という意味ではないです。人が集団を作っていれば、そのままではいたくないようなむずむず感から、現集団から独立や離脱、別世界を求めて動き出してしまう人が出てくるということを言いたいのです。日本の企業で正規社員が自己都合で離職するのは年3%程度、10年間で三割くらいが離職します。100人の集団で100年間に14(100÷7)回ほど独立してどこかに去ってしまう人達がいたという程度のことは充分に起きそうです。

③あなたも言われる通り、どこかで、「ここらあたりで頑張るかな」と腰を落ち着けて生活し始めない限り、定住と言うことにはならないです。
でも、定住ではなく、旅のレベルでは、後者の気質を持っている人は沢山いる筈。
❸あくまで想像ですが、個人や数人の家族ならばはっきりした目的地がないままで放浪し続けるということはありうると思うのですが、個人や数人の家族のケースでも、出発から三ヶ月以内(1シーズン以内)には一旦は腰をどこかに落ち着けるというのが多いと思います。先に進んでもどんな状態・環境の地があるのかわからないママに半年、1年、2年と前進し続けるとは考えにくいです。道もないところを食料を探しつつ進んでいくのでしょうから、距離そうは進みません。海路を行くならかなり距離はいけるでしょうが、集団行動であてどもなく半年、1年も移動し続けるとは考えにくいです。なお農耕民ではないので定住といっても、この辺り10km圏を生活圏としてというくらいの意味で考えてください。私が旅のことを持ち出したのはむずむず感を例示するためです。旅芸人集団、商団やジプシー・ロマのようなのは、ベースとして各地に大きな定住民社会があってそこを行き来するし、イヌイットも遊牧民も広範囲を生活圏にしているのであって、あてなく移動しているわけではないです。江戸時代の浪人や明治以降の大陸浪人も町などを拠り所にしているので移動のベースは旅芸人と同じです。人類の拡散というのでは、開拓団やアメリカの西部開拓を目指すのと似ている面はあると思います。 移動している期間が半年を超えるというのはあまりないと思います。

④近年は、東京一極集中にも行き過ぎの感があり、地方創世が進まない限り、日本の将来はないような気がします。
❹主題と関係の薄い唐突なメッセージだと感じます。「地方創生とは、第2次安倍政権で掲げられた、東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策」ということなら、政治スローガンとしてはともかく、「ある一部に限定的ではなく、どの地方も含めて、日本全体の活力を上げる」なんてことは実際に起きるわけがありません。
「国内の各地域・地方が、それぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会をかたちづくること。魅力あふれる地方のあり方を築くこと。地域振興・活性化といったもの。地域社会の問題の解決、地域における就業機会の創出」ができるならそれはステキですが、何を切り捨て、あきらめ、どうシフトして日本の沈没を先延ばしするかという思考をせざるを得ないでしょう。鉱業、林業、漁業、農業、製造業はどう生き残れるかが問題だし、高齢者の活性低下は避けようがなく高齢者が多く労働人口の少ない地域では地域振興・活性化の方法はないでしょう。
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この回答へのお礼

① 詳細な計算ご苦労様です。狩猟民族が短期間の内に分離独立し、世界に散らばって行く過程はよくわかりました。又、都会だから物が入手しやすいのは、流通機構が整った近代以降であり、昔はやはり農漁業の最前線がそうだったのでしょう。
② なるほど、地域でも職場でも、一旦慣れ親しんでも、ずっとその環境に浸りたい人と、何か煩わしいと感じ、常に新天地を求めたい人がいるのだと思います。
それに、日本の同質社会では、ひとつ皆から図抜けた存在になると煙たがられますからね。
③ 移動している期間が半年を超えるというのはあまりなく、ほどほどの所で、次の定住地を定めるというのはわかります。そうでないと家計の予測が立たないでしょうから。
④ 地方創世の話は唐突すぎましたか? どの地方も万遍なく活性化し、日本全体の活力を上げるのは難しいのですね。発想を展開して、本当にその地方が生かせる資源に集中して活性化し、その他のものはあきらめるくらいの勇気が必要なのですね。
新幹線網や航空網が張り巡らされ、昔と比べ各段に交通アクセスが良くなった日本ですが、未だに関東圏と関西圏の交流も不十分であり、ましてや、地方に帰郷する人は大変な時間をかけています。もっと、近くなれば嬉しいですね。

お礼日時:2016/09/19 14:34

No.1~No.4のどの回答も、筋道の通った回答だと私は感じました。


現代の東京付近は移住してくる人が多いですが、東京付近から移住して外国や遠い地域に移る人もいます。住居変更でなく、旅などについていえば、なんでわざわざ行くのかという疑問を持った場合、どうなのでしょう。呼ばれた、行けと命じられたという場合、とりあえずここから一時退避しておかないとというようなケースもあるのでしょうが、何となく海に行きたい、山に行きたい、遠くに行ってみたい、名所旧跡、行楽地や温泉地に行きたい、砂漠の経験をしたい、オーロラをみたい、聖地には行きたいとか色々あるでしょう。 新天地開拓というか、何が得られるのか得られないかはわからないが自分の財産を処分してそこに人生と未来を懸けてみたいということもあって西に往く(西部開拓)、新大陸に行く、ブラジルに行く、オーストラリアに行くということもあるでしょう。新勢力が入ってきた、占領されてしまったので、奥地や別の地に移動せざるを得なくなることがあったにしても、「新天地開拓というか、何が得られるのか得られないかはわからないが自分の財産を処分してそこに人生と未来を懸けてみたいという気持ち」がなければ、民族移動は起きないでしょう。
行った先がどんなところなのか、寒いか、暑いか、険しいか、食糧があるかないかもわからない、もっと厳しい状態になるのかもわからないのが当面することだったわけです。空襲で疎開するのとは事情が違います。
人間以外の生物でも、定住や生まれた地域で一生を終えるというのが普通にあることではあっても、一部の個体や家族、集団が元の地域を離れて、放浪し出すという行動に出るのはさほど特殊なことではないのでしょう。 そして、そうした行動の出現率は、現在の生活圏で獲物が減ったり、敵対する同族や別種の生物が優勢になった場合、ある地域内で同族が増えすぎて同族内部での近接が強すぎる状態になった場合などには強くなるのでしょう。 東京や都会から田舎への転出などはそうしたことの表れでしょう。
http://www.minpaku.ac.jp/sites/default/files/mus …
ここにある南太平洋の離れた島々への移住は、行き先に島があると知っているのでも、先住者が多くはないはずだと知っているのでも、狩猟や漁労に適しているとか、そこの島で淡水が得られとか、狩猟や漁労の他に農耕も可能なはずだとか知っているのではなかったでしょう。
《いつまでも今までの生活をしているのではなくて、無性に外に出たくなる気分が高くなってしまう》という生物の性(さが)のようなものが基本の一つにあるのでしょう。
侵略や攻撃的な行動でも、現状よりも豊かになりたい、もっともっとという欲もあるのでしょうが、ほとんど知らないような遠隔地に出かけるのは、《いつまでも今までの生活をしているのではなくて、無性に外に出たくなる気分が高くなってしまう》という生物の性(さが)のようなものと重なるからでしょう。 冒険、探検も、HISや旅行会社のパッケージツアーでも、《いつまでも今までの生活をしているのではなくて、無性に外に出たくなる気分が高くなってしまう》という生物の性(さが)が関係していると思います。
大事なことは、《いつまでも今までの生活をしているのではなくて、無性に外に出たくなる気分が高くなってしまう》という生物の性(さが)が強くなるのは、そこに暮らす個体の中ではいつでも少数でしか起きないということです。 そうでなければ、定住や生活圏というものが出来なくなってしまいます。 放浪者、ボヘミアンはあくまで少数です。 通常は《いつまでも今までの生活をしているのではなくて、無性に外に出たくなる気分が高くなってしまう》という生物の性(さが)が強くなっても、もっと先にはもっとイイ場所があるかもしれませんが、どこかで、「ここらあたりで頑張るかな」と腰を落ち着けて生活し始めます。 いつまでも移動し続けるのはそれこそごくごく少数です。
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この回答へのお礼

気合の入ったご回答有難うございました。

農耕民族と狩猟民族の違いもあるでしょうが、一か所で財を成した後は安住したい人と、どこにでも新天地を求めて放浪する人がいるでしょう。比率で言えば、前者が9割で後者は1割程度では?
あなたも言われる通り、どこかで、「ここらあたりで頑張るかな」と腰を落ち着けて生活し始めない限り、定住と言うことにはならないです。
でも、定住ではなく、旅のレベルでは、後者の気質を持っている人は沢山いる筈。
又、近年は、東京一極集中にも行き過ぎの感があり、地方創世が進まない限り、日本の将来はないような気がします。

お礼日時:2016/09/12 15:43

農耕が始まる前と後とで、事情が違います。



狩猟・採集の時代には、人類は移動生活をしているので、土地の奪い合いは起こりません。そもそもこのころは人口も少なく、土地はあり余っていますから、奪い合う意味もないのです。
おそらくイヌイット(エスキモー)などは、この時代に獲物を追いかけて、移動した人々なのでしょう。寒冷地には大型動物が多く、狩猟民にとって極北は、必ずしも住みにくい土地ではありません。

一方農耕が始まると、人口は一気に増加します。農耕に適した土地は少ないので、土地の奪い合いも始まります。これ以降、居住に適さない土地へ移った人々の中には、他の勢力に追われた例も少なくないでしょう。たとえば、中国南西部の山岳地帯(雲南省など)に住む少数民族には、黄河文明に敗れた長江文明の担い手たち(その子孫)が、かなり含まれているようです。

なお、「追われた」「敗れた」と言うとマイナスイメージですが、争いを避けてライバルの少ない環境を選ぶのは、一つの有効な戦略です。動植物にも同じやり方で、繁栄した種は少なくありません。
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この回答へのお礼

なるほど・・・やっと学問的に筋道の通った回答を頂きました。
色々已むにやまれぬ状況もあった中で、狩猟民族は移動しながら適地を探していったのに対し、農耕民族はその土地の住みつくために、土地の奪い合いも起きたのですね。

お礼日時:2016/09/10 19:46

理由は一つではありません。



争いに敗れて、やむなく僻地へ移動した
人もおります。

昔は栄えていたが、時代の趨勢により僻地に
なった、という場合もあります。

エスキモーなどは、獲物を求めてあちこち
移動した結果です。
一度住み着くと、そこに生活の基盤が形成
されますので、そう簡単に移住できません。
良い土地には、既に他の人が住んでいます。

同じように、豊かな耕作地を求めて移動した
結果、という人もいるでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、争いに敗れたりして割り当てられた土地が、必ずしもベストの土地ではなくても、一度住み着くと、そこに生活の基盤が形成されるので、そう簡単に移住できないということですね。

お礼日時:2016/09/10 19:43

人類は食料を求めて拡散しました、戦争によってではありません。


人も住めぬような場所ってどこでしょうか、住める場所にしか住んでいませんよ。
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この回答へのお礼

No.1さんと同様、食料の要因が一番だと思いますが、中には(かなりの比率で)、あまり肥えていない土地に領主やもっと上の権力者から押し込められて、やむを得ず、与えられた土地の中で、開拓に力を入れざるを得なかった人々も多いのではないかと思います。

お礼日時:2016/09/10 19:41

想像だが 食料を求めて旅をし 自分の食べるものがある地に留まっただけだと思います・・



戦争ったって 武器が無い時代なのだから 石や棒くらいが武器だった筈・・

そうなれば 殺しあう前に怪我くらいで終わるのが殆どだったでしょうし・・
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この回答へのお礼

お礼したつもりになっていました。遅くなってすみません。
人類が武器を作る前に定住地を定めたとすれば、気の向くまま、食料のある地に留まったのでしょうね。

お礼日時:2016/09/21 19:05

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