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【歴史・日本史】菅原道真を祀っている北野天満宮は

当時は天災の神様だったんですね。

そうだと思った。

いつから学業の神様になったのだろう?

もしかして天災の神様を奉った神社が学業の神様の神社に変えたのは歴史が浅かったりして。

明治時代に変わったとか?

天災に見舞われて厄除けで建てたのに学業の神様っておかしいと思った。

普通、天災除けで学業の神様を奉る神社建てます?

おかしいでしょ?

全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。

質問者からの補足コメント

  • 天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった

      補足日時:2016/09/10 17:59

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A 回答 (3件)

> 明治時代に変わったとか?


西暦では1000年頃には既に文芸の神として尊敬を集め、著名な高官や文化人でもお参りする著名人が多かったようです。
なお、災害を避けたい、恨みの元を絶って起きたいというのは、その当事者(本人や関係者とその係累子孫)だけであって、他の人は、ほぼ最初(左遷される前やその後)から才能豊かな人物として、文化的素養、才能をありがたいものとしして崇め、尊敬していたようです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/7722/772208.htm
抜粋
匡房の曾祖父匡衡が寛弘九年(1012)に北野社に奉った願文に,公を文道の大祖,風月の本主と云っています。大江氏は菅原氏と並ぶ文章道の家です。北野,太宰府の廟社は忠平の門流に固定した藤原摂関家の庇護と,貴族文人の尊信を得て,次第に学問・文事の神としての神格を獲得し始めました。
室町時代に五山の禅僧の間に云い出された渡唐天神の話は,その代表です。所伝によりますと,鎌倉時代の仁治二年(1241),京都東福寺の開山聖一国師円爾弁円が宋から帰って九州博多の崇福寺に住したとき,夜に道真公が現れて禅を問いました。国師は,自分の師である宋の径山の仏鑑禅師無準師範を師とするよう答えましたところ,直ちに渡宋して禅師に参禅し,衣鉢を受けて帰り,再び国師の前に現れて,与えられた法衣を見せたと云います。この話に基づいて多くの渡唐天神の像が描かれました。手に梅の小枝を持つ中国風の文人像で,天神信仰の一側面を示しています。
法楽とは,神仏の前において講会を営み,楽を奏して供養することですが,北野社における法楽は聖廟法楽と呼び,有志が寄って和歌や連歌を奉納することでした。早くに鎌倉時代の元久元年(1204),北野社の社頭において歌合が行われていますが,室町時代における神前での月次連歌は恒例となりました。天神が生前に進んで冤罪を受け,衆生に代わって悩みを承けたと云う代受苦の信仰も起こり,神恩奉謝のために貴賎を問わず参集し,和歌・連歌を献じて,法楽としました。この時期に,ご神徳の一段と上昇した跡は著しい。
足利義満は明徳二年(1391),北野一万句興行を為し,また足利義教の夢想の発句による千句通夜興行も有名です。この義教が永享エイキョウ三年(1431)北野会所において連歌会を催したのが,北野社の連歌会所の初見で,高山宗砌が会所奉行に任ぜられています。宗砌の次が能阿ノウア,また宗祇ソウギも一時これに任じました。

> 全国の修学旅行生と学校の教師は馬鹿だね。
> 天災の神様に受験合格しますようにって願ってるのを想像したら笑えてしまった
そんなことをいっり書いたりしたら、笑われます。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2016/09/11 00:08

菅原道真は当時優秀な人物として知られていて太政大臣にまで上り詰めた人です。


この人を良く思わない藤原氏が菅原道真を嵌めたことにより大宰府に左遷された為に
菅原道真は藤原氏を恨んで死んでいったので、その後に都で起きた自然災害などが
菅原道真の祟りだとして恐れられ、その結果神様として祀り上げられたという経緯
です。

 したがって菅原道真は単に「天災の神様」ではないですよ。
あくまでも怨霊として恐れられた為に神様として祀られ、その後次第に菅原道真=
優秀な人(頭のいい人)という面が見直されて「学問の神様」という扱いになって
いったようですから、菅原道真=「学問の神様」は間違いではないですよ。
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菅原道真は祟るくらいに根性も悪かったけど、頭も良かったんでしょうね。


なので神社側がそっちをメインに売り出した。
つまりはタレント(菅原道真)の性格を見抜いてプロダクション(神社)が
売り出し方を変えたんです。
なんてったって当時のアイドルですから。
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Qくわばらくわばらの由来

怖い時によく「くわばらくわばら」と言います。
この言葉の由来は、私の記憶では、雷のときに、遠くの桑畑(桑原)に落ち、近くに落ちるなよという願いでつぶやいた、なのですが、友人の説では、桑畑は雷が落ちにくいといわれており、ゆえにくわばらと唱えると言います。
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Aベストアンサー

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。」と言ったので、和
尚さんは雷の子を助けてあげました。
 雷の子は帰って親に、一部始終を話しました。
 雷の親は、和尚さんにたいへん感謝し、他の雷たちにも「これから欣勝寺や桑原には絶対に落と
してはならないぞ。」と戒めました。
 それからというもの、欣勝寺や桑原には雷が落ちたことがないといいます。
 以来、「くわばらくわばら」と唱えると雷は落ちないと、言い伝えられています。     

この中に出てくる桑原というのはそのお寺のある地名ですが

 当地の地名である“桑原”から由来
しているのではなく、「仏教用語」の
「クワンバラン」(インド、サンスク
リット語で、いやな事や、恐ろしい事
を避けるときに唱えるおまじない)が
いつの日か「くわばらくわばら‥」と
なり、「くわばらの欣勝寺」と呼ばれ
るようになったとのことです。   

と、補足されています。
一般的には先ほど回答した「菅原公」の説ですが。

参考URL:http://www.hyogokenshin.co.jp/discover/Sanda/Sanda2/

もう一つ面白い説がありました。


 今から約450年前の1556年(弘治2年)のことです。あわて者でいたずら好きの雷の子が
いました。
 ある時、雷の子はあやまって欣勝寺の古井戸に落ちてしまいました。なんとかして外へ出ようと
しましたが、出ることができなかったので、雷の子は大声で「助けてくれー!」と叫びました。
 しかし、和尚さんはいたずらばかりする雷の子をこらしめようと、古井戸にふたをしました。す
ると、雷の子は和尚さんに「助けておくれ。桑原へは二度と雷を落とさない。...続きを読む


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