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歴史の教科書で「鎌倉時代の武士が貨幣経済の進展により出費がかさみ、経済的に困窮し、土地を売却した」という記述があります。しかし、現代でも欲しいものを購入するために、財産を差し押さえられるまで借金をする人はまれなのに、ましてや鎌倉武士が土地を売却しなければならないほど、モノを欲したという説明には納得いきません。どなたか納得いくお答えをお願いします。

A 回答 (2件)

正しくもあり正しくもなし



まず、御家人には、相応する役務・義務があります
・鎌倉番役 <-幕府所在地の鎌倉付近の治安維持や官僚的な業務
・大番役 <-京都の治安維持や警察業務
・異国警固番役 <-元寇以降に九州各地で国境警備
これらの業務に従事する際に、給料などは支給されませんから
滞在費など一切を自分の財布で工面する必要があります

義務を果たせないと、領地召し上げなどの処罰を受けるので借金してでもこなさなければならない
コレが出費の嵩む一因で、何も贅沢品の買い物で困窮した訳ではありません

尚、教科書では触れられませんが
収入が増えない、逆に減るという現象も困窮の原因です

何故減収になるか?
江戸時代の長子単独相続とは異なり、鎌倉期は子供達にそれぞれ領地を分割して相続させました
その為、世代が進むに従って領地が極端に細分化されてしまい
相続を受けても、その領地が小さすぎてしまい、
領地からの収入だけで生活するのが困難になるほどになってしまいました

そういう、収入の減少しているのに出費は増えるばかりという状況で義務をこなすとすれば、借金せざるをえないのですね
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この回答へのお礼

番役などで出費がかさむというところに思いが至りませんでした。ほかにも理由があるとは思いますが、かなりすっきりしました。

お礼日時:2016/09/20 09:23

コピペですが、参考までに。





貨幣経済の発達で武士が窮乏したのではありません。

鎌倉幕府に仕えた東国武士(御家人)というのは元はと言えば武装した農民です。こうした農民たちは基本的に自分の領地内で自給自足の生活を送っていたため、そもそも経済活動というものを行う必要がなかったのです。しかし、この時代の武士の相続は均等相続が基本で、子供が多ければ多いほど一人当たりの農地の相続面積は小さくなり、農業効率が低下して窮乏し、借金をして生活する武士が多く出ました。

その一方で、幕府統治の及ばない西国には旧勢力の荘園、それも大規模な荘園が多数ありました。こうした荘園の領主の多くは都に住んでいたため、年貢であるさまざまな農産品が都に運ばれ、売買され、その結果として貨幣経済が発達したのです。

ちなみに鎌倉幕府が衰亡したのは、こうした御家人たちの窮乏に対して、幕府が何ら有効な対策を打てなかったことが原因の一つです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考にさせていただきます。

お礼日時:2016/09/20 09:24

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