プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

「死」の恐怖を忘れる工夫  お願いします

年齢を重ねてくると、余命の長くないことに気づき、重い気分になりますが、皆さまは「死」という問題に、どのように向かい合っていらっしゃいますか。

「死など怖くない」などというのはウソだ、死を怖がるのが自然だ、という声も勿論ありますが。

A 回答 (10件)

私の場合は夫の傍にいること。

夫が居なければ誰でもいいから誰か隣に。
    • good
    • 0

> 年齢を重ねてくると、余命の長くないことに気づき、重い気分になりますが



質問者さんは何歳でしょうか。 「余命の長くないことに気づき、重い気分になっている」人数が、30歳代、40歳代、60歳代、70歳代、90歳代でも多くはいないと思います。
下のようなことを言うヒトでも、「余命の長くないことに気づき、重い気分」になったりはしないと思います。
http://systemincome.com/31792
江戸時代とか、昭和25年ころとかで、40歳を越えそうになってくると、余命の長くないことに気づき、重い気分になってくるというヒトも多くいたとは聞きません。
http://www.geocities.jp/yasuragigogo/nagaiki3.htm

長く生きていられないと思うのが、気が重くなる原因だと、質問者さんは、ご自身を思っているのでしょうか。 体力や知力が低下してくるだろうことを思って気が重くなるのでしょうか、生活費が不足してくることの予想が気が重くなる原因でしょうか、知り合いが段々減って行くのが気が重くなる原因でしょうか、

平成17年30歳の男の平均余命は49.34年、平成22年35歳の男の平均余命は45.59年で、5年間で1年間も伸びています。 余命は長くないけれど、伸びていくんだと気付いたら、気分の重さは減るのでしょうか。 
生きている間に食べる食事の総量がへるのでもなく、特に気が重くなる理由はないでしょう。
これまでの人生でやれないで悔いがあることが、余命人生が長くなったってたぶんやれないことに今後も変わりはないでしょう。やれないことを悔いる期間が短くて済むなら、余命は長くなくっても結構ではないですか。

平均余命と自分の死亡までの期間が一致しているという可能性はそれほど高くないです。翌年に死亡する期待値(確率)は、男45歳なら0.2%程度、50歳で0.3%程度、70歳で2%程度、80歳で5%程度です。 来年は生きてられる可能性が相当にあるんですから、余命が短いなんど、鬼も笑う先のことを思い気を重くすることを思わなくても何ら構わないでしょう。
    • good
    • 0

死んだらどうなるか、だれにもわかりません。


臨死体験をした人は、神や魂を信じると言います。
認知症になると、死の不安や恐怖が、無くなると言います。
多くの人は、不安や恐怖を抱えたまま死を迎えると、思います。
死について勉強すれば、不安や恐怖が,和らぐと思います。
    • good
    • 0

死の後のことは意識も何もなくなっているのだから考えても仕方がないから


死の瞬間にどこまで幸せになれているかを考えてみる
そのあとは、幸せになるのはお疲れ様、あとはゆっくりおやすみなさいと安らかに眠る
なんてことができたら死も怖くないし幸福に生きられていいなと思います
    • good
    • 0

世の中はフラクタルな存在である。


フラクタルとは何か。
簡単に説明するならブロッコリーのことだ。
ブロッコリーは、その一部分を切り取ると、切り取る前と同じ形の縮小サイズとなる。さらにそこから一部分を切り取っても同じである。
もう少し科学的な分野に足を踏み出そう。中性子や陽子で出来た原子核の周りには電子がまわっていて、原子を構成している。地球の周りには月が回っている。太陽の周りには地球やその他の惑星が回っている。太陽系はまた何かを中心として回っていて銀河を構成している。
このように、何かの形が小さい領域から大きい領域まで連続している様子をフラクタルといい、宇宙を見てみるとこの世はフラクタルな存在であることが想像できる。

さて、次は次元を理解しなくてはならない。
0次元とは点のことである。
1次元はベクトルが一つできて線になる。
2次元とは二つのベクトルで表されるので、縦と横の概念ができ、平面となる。
3次元はもう一つの方向にベクトルができ、縦、横、高さという立体になる。
4次元は時間軸というベクトルができ、我々が生きている世界である時空となる。
これも、自然科学的に考えるなら5次元、6次元と続いていくだろうことは想像できる。
恐らく、5次元とは時空が複数存在する世界であろう。あなたが今、右手を上げた時空と右手を上げなかった時空というように、この世界の物体の動きの選択肢分だけ、別の時空が存在しているのだ。
6次元に至っては、複数の時空が更にどのように多様化するのか、もはや人間には認知できないだろう。

我々人間は立体の存在で時間の中を生きている。つまり、4次元の存在なのだ。
4次元の存在は3次元以下をコントロールできる。
つまり、立体の形を変えることができるのだ。子供が砂場で山を作って崩すことができるように。
しかし、4次元の存在は同一次元である時間をコントロールすることはできない。時間を巻き戻したり、未来に行ったりはできないということだ。相対性理論でいうと、光の速さを越えれば時間は巻き戻されるとのことだが、光は相対的な速度で存在する可能性があるあると共に、巻き戻された時点で今の自分はいなくなる。やはり、コントロール外ということだ。
また、4次元の存在である我々は5次元の世界を、つまり時空が複数存在するということで想像はできても、自分が存在している時空以外の時空を認知することはできない。時空間を移動できないということだ。
そこには、死んでしまったあなたの大切なひとが生きている世界がある。
全ての可能性が無限に続くのだから。
でも、この世界とは別物なわけで、我々とは関係ない。
願わくば、そちらの世界ではあなたの大切なひとが幸せに生きていてほしいと願うばかりであるが、恐らく、無数に時空が存在するわけだから、幸せに過ごしている時空も存在するだろう。

思考を研ぎ澄ませよう。自らの次元より下位の次元を動かせるという法則を適用すると、6次元の存在は5次元を動かせる。つまり、複数の時空間で何かを動かすことができるのだ。霊が現れるのは科学的にある意味正しい。6次元の存在が別の時空からこの世界にないものを連れてくることは理論上十分に可能なのだ。
少し戻るが、5次元の存在は現在過去未来を行き来する。つまり、様々な選択肢を作り出すことによって、新たな時空を作り出すことができるのだが、今我々がいる時空は変わらない。そういう意味で神ではないが、未来に行くことで、予言はできる。神の子にはなれるわけだ。
しかし、6次元の存在は我々の生きているこの世に別の時空から何かを動かしてくることができる。これは、我々からすると神以外の何者でもない。
そして、6次元を構成する新しいベクトルは、人智を超えた概念である。
縦、横、高さ、時間、時空の枝分かれ、その次にある概念とはなんだろう。
恐らく、あの世や天国という世界は、このベクトルによって構成されており、人間には認知することができない。

あなたは神を信じますか?
科学的に合理性を持って答えるなら、当然にイエスである。
そして、6次元以上の存在である神は5次元の存在である神の子を我々の世界に遣わせた。
イエスキリストその人に他ならない。
イエスキリストは予言をあて、生き返った。
未来に移動できるからであり、神の子として神という存在を知覚できるのは我々より上の次元である5次元の存在であったからであろう。
他にも、神の子として遣わされた存在はいるかもしれない。一人である理由がないからだ。
様々な宗教が預言者の出現によって成立しているのはこのためかもしれない。
教えや教訓が違うのも当然である。
我々は、自らが信じる神の教えを守り、死後の世界の準備をしなければならない。
恐らく、6次元を構成するベクトルは、物体という実在を超えた精神世界の連続性で構成されているのだろう。我々のような非力な存在にとって、実在以外の存在は、そう表現することしかできない。
子供を愛する親の想い、大切な人を愛する気持ち、困っている人を慈しむ感情。
こういった精神世界が実在から離れて行き来する世界。
これを天国と呼ぶならば、私たちは人を愛し、慈しむ気持ちを常に持ち続けることで、死後の世界に精神的に愛を持って存在し続け、大切な人達と関わり続けることができるだろう。
これが天国と呼ばれる世界なのだ。
反対に、人を憎み、妬む精神の世界は地獄である。

そう、汝の隣人を愛せよ。
常に良き心の状態を保ち、その気持ちを周囲に表現し続けること。
これこそが、我々が天国に行くために、生きている間に大切にすべき唯一の事柄なのである。
    • good
    • 0

長生きすることです。



老年的超越理論、てのがあります。

90、百まで生きていると、寝たきりであろうが
業病であろうが、死に対する
恐怖も苦痛も無くなってしまうそうです。

最近の、老人研究で明らかになったことです。

だから、健康に注意して、長生きするのが
最善の方法です。
    • good
    • 0

> 皆さまは「死」という問題に、どのように向かい合っていらっしゃいますか。



何れ訪れる『死』ですから、ジタバタしてもしょうがない。
楽観過ぎてバカバカしいかも知れませんが、「そっかぁ、遂に死ぬのかぁ、しょうがないな!」と開き直りなのか諦めなのか!?
まっ、世の中ジタバタする方が圧倒的に多いでしょうが、ジタバタしようが変わる訳じゃ無いし。
    • good
    • 1

若いときには、自分という意識が確固たるものとして存在し、肉体というインターフェイスを介して世界と繫がっているような気がしていた。

しかし、肉体はインターフェイスではなくハードウェアであり、自分とは肉体に発生した信号にすぎなかった。

肉体は朽ちるものであり、そのときに自分という意識も消滅する。良い思いも嫌な思いも、何もかも全てが消滅し、その先はない。死が怖いと言う思いも、死により消滅する。

どんなに泣こうと叫こうと、必ず死はやって来て全てを無にする。どんなに泣こうと叫こうと、死ぬまでは生き続けている。必ずやってくる死を恐れていても、損するだけで何も得はない。
    • good
    • 0

この世で沢山善行をして死後少しでも


ステージの高い霊界に行く準備をすること
でしょうか。
    • good
    • 0

年齢を重ねてくると、余命の長くないことに気づき、重い気分になりますが」←もっと 歳を重ねれば 他人に聞かずとも 自分で理解出来る様になります・・まだまだ人生の折り返しにも届いて無い あなたに解かる筈も無い・・



https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9521296.html
    • good
    • 1

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す