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何故日本はそもそも憲法をつくったのですか?
日本で今でいう憲法をつくったのは、大日本帝国憲法がはじまりだと思うのですが、どうしてつくったのでしょう?
それは近代国家建設のためというのはわかるのですが、具体的に憲法作るのがどんなふうにそれと関わったのか、ということが分からなくて……。

そもそも近代憲法が生まれた背景って何でしょう。
私は、それまでの専制とかいわゆる朕は国家なりという国の体制が気に入らなくて市民が革命を起こし、それで国民による国家というのが生まれて、でも、完全に国民主権にするとまとまらないから元首、君主みたいなのが出てきて、それでまたそのトップにたつ人が専制して国民を苦しめないよう、君主がいながらも国民主役の国家を保てるよう君主より力のあるものとして古代でいう神のような存在として、国民が作った憲法が出てきたのではないかとおもいます。

でもそう考えると、憲法は君主の、ある種制限のために出てきたということになってしまい、どうして日本に憲法が必要だったか分からなくなってしまいました。
日本の君主つまり天皇に制限したって何も起こらないしそもそも天皇は専制なんかできないようになっていたじゃないですか。
しかも大日本帝国憲法って天皇主権だし、制限ということではなさそう。

国民国家のために憲法が必要だった。それは君主を、制限せねばならないから
だとすると、どうして日本に憲法が必要だったかわからないのです。
日本が近代国家建設せねばならないのは、近代国家が戦争に強くて植民地回避できる国の形だったから。そのため明治維新を天皇を担いでやったんですよね。

でも近代国家建設過程でどのように憲法が必要だったかがわかりません。

ちょっと文章がぐちゃぐちゃなのですが、どうして日本に憲法が必要でもたらされたのか教えてください。

A 回答 (4件)

まず、質問者様の理解は大体あっています。

憲法の源流のひとつには、イギリスで君主の力を制限したマグナカルタ(大憲章)があるからです。

で、もうひとつ重要で質問者様が知るべきなのは、近代民主主義がルターの啓蒙主義から発していることです。質問者様が書いておられる
>市民が革命を起こし、それで国民による国家というのが生まれて、でも、完全に国民主権にするとまとまらないから元首、君主みたいなのが出てきて、それでまたそのトップにたつ人が専制して国民を苦しめないよう
にフランス革命やアメリカの独立宣言に、国家と言うか権力のあり方や権力がしてはならないこと、権力よりも重要な個人の権利を書いたこと、が憲法の基礎になっているわけです。

日本になぜ憲法が必要だったか、というと明治の日本が「西洋諸国から見て遜色のない近代国家」を目指したからです。
この時代において「近代」とは「西洋のルールに従う」ことと同義であったといえます。
ですから、天皇を国家元首として定めると同時に軍の最高司令官としても定義し、近代的な立憲君主国家の体制を整えたわけです。

これらの動きは、ある意味明治以前に結ばれた不平等条約の撤廃と連携していました。特に憲法はその中でも「治外法権」に関連しています。欧米人からすれば「憲法も持っていない」つまり「個人の諸権利を国家が侵すことが無いようにする歯止めがない」ような国に「領事裁判権」を与えるわけにはいかない、という考え方が大きかったからです。

また、これとは別に日本の内部でも民主化運動である「自由民権運動」が高まっていました。これは明治政府を牛耳っている薩長藩閥に対して、批判が高まっていたからです。

>日本の君主つまり天皇に制限したって何も起こらないしそもそも天皇は専制なんかできないようになっていたじゃないですか。

これは違います。そもそも明治維新自体が、天皇を担ぎ上げることで徳川幕府を倒した政治運動だからです。天皇がその個人において専制をのぞむかどうかは別として、当時天皇を担いでいた薩長土肥や公家の実力者たちは、天皇の勅許を利用することで専制的な方法で徳川幕府に対向したわけです。
 ですから、明治政府ができた後も、歯止めなくそういう体制を作ろうと思えばできたわけです(ただし、そうなると西洋人の目から見て「野蛮な国」になるので、明治維新の目的は達せられなかったでしょう)

これらの事から「日本にも憲法は必要である」という考え方が議会でも支配的になり、憲法ができた、ということです。
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世界史を流せば概要はさらっと解決しますよ。


あなたの言う近代憲法とは、いわゆる日本やアメリカ、ヨーロッパなどの民主主義先進国が持つ「憲法」の事ですよね?

ヨーロッパで起きたフランス革命というのを聞いたことがありますか?
ナポレオンとか。
1800年代前半、日本ではまだ江戸時代ですね。
そのころ、ヨーロッパでは自由民主主義が花開いた時代になるんですね。

ヨーロッパでは、フランス革命を皮切りに、人々が「自由」「人権」などをみんなが考える時代になっていきます。
そして、市民革命などを経て、徐々に君主制から民主制へと移行していきます。

そのころ日本には、いわゆる「不平等な条約」を結び、日本から利益を搾り取ろうとするヨーロッパ、アメリカの軍艦がしょっちゅう来ていたんですね。
産業革命が起こって国力が爆発的に増大したヨーロッパ、アメリカは、日本人がびっくりする「エンジンで動く軍艦」で日本を脅していたんです。

そういうのがどんどんきて、実際に不平等条約を結ばされたりもしました。
ヨーロッパ、アメリカの圧力で、幕府は大いに動揺、混乱します。

当時の日本は藩政と言って、藩によっては「徳川氏とかつて敵対した外様大名を先祖に持つ藩」などもあり、潜在的には、群雄割拠する条件が潜んでいたんですね。
藩を統括する幕府が動揺すれば、その潜在的な危険が噴出していくわけです。
そして、明治維新へとつながっていきますね。


日本は、さんざん「黒船」に痛い目にあわされてきたわけです。
そして、永遠だと思っていた幕政もあっけなく崩壊しました。

明治政府の要人たちは、黒船にやられないように、次々にヨーロッパに留学し、ヨーロッパの産業革命や、ヨーロッパの国家体制を勉強し、日本を近代国家にしようとしたんです。

いわば、民主主義の輸入を行ったんですね。

日本が憲法を策定したのは、その流れです。
ヨーロッパに追いつけ、追い越せってな感じ。
どんどんヨーロッパの民主主義を取り入れていく、と、こういう流れです。


江戸時代は、いわゆる「封建制度」という、御恩と奉公で成り立っていました。
手柄を挙げた武士に、領土を与え、自治させる制度ですね。
それを全とっかえして、近代国家にするわけです。それは大変な作業です。口でこうする、ああする、と言っても仕方ありませんよね。

ヨーロッパにならい、「決まり事」をきっちり決める方向性が必要になってくるわけです。

今までのように、君主が自己の裁量で「君には1万石あげよう」などという、恩賞を与えるような、特定個人の資質に依存していた社会から、「憲法」という決まり事を作って、特定個人の資質に依存しない、安定した国家体制にするために、これを輸入したわけです。


とまあ、ざっと説明しましたが、「違う」という人もいると思います。
この回答の中から、自分の好きな回答を選んでそれを信じるのもいいですけど・・・(いや、あまりよくないかな)
世界史、日本史を、自分で読んで、自分で理解することを強くお勧めしますよ。
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何故日本はそもそも憲法をつくったのですか?


日本で今でいう憲法をつくったのは、大日本帝国憲法が
はじまりだと思うのですが、どうしてつくったのでしょう?
    ↑
対内的理由と対外的理由があります。

江戸幕府では280の藩が、半ば独立した
国家のような様相を呈していました。
列強に対抗するためには、これを一つにする
必要がありました。
その為の憲法です。

対外的には、日本は欧米と対等の国である
ことを示すために憲法が要求されました。
ご存じ、不平等条約解消のためです。



そもそも近代憲法が生まれた背景って何でしょう。
   ↑
君主の権力を制限するためです。
貴族などの権力が強くなり、君主の権力と調整
するようになった結果です。

国民の権利を守るため、というのは近代的意味の
憲法の意義ですが、これは後付けの理論です。
国民国家となり、議会の力が強くなったので
君主の権力との調和を図ったのが憲法です。
これが後に理論化され、国家権力の恣意を封じ
もって国民の権利を守るのが憲法だ、という
ことになったのです。



国民国家のために憲法が必要だった。それは君主を、
制限せねばならないから
だとすると、どうして日本に憲法が必要だったかわからないのです。
   ↑
これはその通りです。
日本は欧州とは異なり、君主の権力を制限する
必要はありませんでした。
むしろ、君主の権力を強化して、欧米列強に
対抗しようとしました。
それが明治憲法です。
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