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なんで生きているのだろうと思ったことはありますか?

長文失礼します。

四月に大学生になる者です。
昔から気になっていて、未だ答えが見つからないので質問させていただきます。
それは、生きているってなんだろうということです。

別に苦しくて死にたいとかではないのですが、生きているということに疑問を持ちました。

例えばAさんがお亡くなりになります。AさんとAさんを知る人は悲しむと思いますが、その人たちも亡くなったらAさんが亡くなったことに対して悲しいという感情は湧きませんよね、存在を知らないので。また、Aさんが亡くなった後、異常現象とかで人類が全滅となったら、これこそ悲しいなんてないですよね。結局のところ、生きることで何ににもならないというか、そこにはメリットもデメリットもないというか。

何十億年後に地球はなくなるとされていますが、その前に人はいなくなる予定みたいです。今まで人が作り上げてきたものもきっとなくなると思います。結局将来なくなってしまうのに、生きるというのがイマイチわからなくて。人の一生って宇宙とかに比べればチッポケなものなのに、生きることに執着する理由がわかりません。
もちろん、人生が楽しくないというわけでもないと思います。しかし、本当に楽しいとかやりたいことというものがないorあるとしても自分では出来ない(銀河と銀河の衝突が見たいとか、何億光年先の星を目の前で見たいとか)という時、生きている意味を模索してしまうように思います。

生きているってなんでしょうか?
生きる理由はなんでしょうか?

探究心でお伺いします。小さなことでもいいので教えていただければありがたいです。
※誹謗中傷はお控えください。

A 回答 (16件中1~10件)

神は独りぼっちだったと言う回答がありますが、


だから神は寂しかったんです。
そして神は世界を創ることを決意した。
そして今この世界があると言うことは、
神は世界を創ることを成し遂げたと言うことです。
失敗が許されない中で多くの歳月をかけ、
一人で世界を創ったわけです。
神の作った原子はちゃんと機能し世界を動かしています。
最も思いが込められたのはおそらく人間です。
複雑な人体機能を実現しこの世界に存在するもっとも複雑で精巧なものになっています。
世界を成り立たせるためには地球と言う存在だけではだめ、
宇宙を作る必要があると考え広大な宇宙まで作ったわけです。
神のこの世界に対する本気さがうかがえます。
神の意志によって世界が作られているため、
全ての物が、都合よく関連しあって存在しています。
学者が都合が良すぎる条件で世界が出来ていることに疑問を持つのはこのためです。
こう考えると生きる意味を探すのはつまらないことだと思います。
神の作ったこの世界で生きていくしかありません。
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>生きているってなんだろうということです。



「生きている」というより「生かされている」のですよ。
大学生になった記念に、ショーペンハウエルの「意志と表象としての世界」を読んでみることをお勧めします。
最初はとっつきにくいので、日本人による解説付きの本が良いと思います。
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生きていることに意味などない。


単に「生まれてきた」というだけ。
「意味」は、後付け。
「生まれてきたことで意味のある子ども」は、「PSP細胞の操作」により、これから出来る。
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初めまして



生きている理由でしょうか?

私の私見で宜しければ、少し書かせて下さい^_^

あなたは、神を信じますか?
私は、神の存在を信じています!

しかし、宗教的なものや、キ⭕️スト教的な神ではありません

あくまでも、宇宙の意志として、ビッグバーンを引き起こした意志としての神です

創造主とか、おおいなるすべてと呼ばれる存在です

神は、宇宙のすべての存在であり、すべての感情の総体としての 愛 の存在です

で、生きる理由とは? 私達を含めて宇宙そのものを創り出した 神 がすべてを創り出した理由という事になります・・・

神は、宇宙の最高の存在で、究極の愛を備えた存在ですが、ただひとつ出来ない事がありました

それは、宇宙には何もなく、神という存在があっただけなので、究極の愛である好奇心をもった神は、知る対象を持っていませんでした

自分は、最高の存在で、完成された究極の存在である事は、理解していましたが、その状態を体験することは出来ませんでした

つまり、知識としての理解はあったけれど、その素晴らしさを実感として、体験することは出来なかったのです

ただ、何もない、空間や時間さえも存在しない世界で、ただ、満足をして存在していました

しかし、だんだんと自分の好奇心を満足させたい、衝動にかられます・・・

どうにかして、何かを探求することは、出来ないだろうか? 神は自分がすべてを創り出す、創造力を持っている事も理解していました

だから、何かを創り出して、それを探求しよう!・・・しかし、何を?

そこで、究極の知恵を使い、答えを導き出しました・・・自分しか存在しないのなら、自分自身を探求しよう!

神は、自分がエネルギーの集合体である事も理解していました

だから、自分の一部を分離して、小さな分身を創り、その分身に自分を探求させ、そのデータを共有すればいい・・・と理解しました

しかし、自分は、偉大で大きな存在なので、ひとつの分身だけでは、時間もかかるし、理解に偏りも出来るかもしれない・・・

そこで、神は、沢山の分身を創り、それぞれの分身に、その力量に合わせた量の、神の部分をコピーしました

つまり、さまざまなバージョンの神の一部を備えた、コピーを創り、そのコピーに、さまざまな環境を与え、それぞれのコピーが出した答えを共有する事により、神は、自分の経験をしようと考えました

こうして、神の分身と、分身が経験する為の世界が創造されました

そして、神と同じ思考を持つ分身は、やはり自らを経験する為に、神と同じく自らを分割する手法を取りました

だから、段階を分け、何回も分割を繰り返し、その前線にいるのが、我々、知的生命体という訳です

逆に考えると、人類というか地球上の生命体の意識の総体が、地球生命の意識となり、太陽系の惑星の意識の総体が太陽系の意識となります

また、我々の細胞のなかに存在する意識の総体が我々の意識です

このように、意識の世界が多重構造になっているので、それが具現化した、肉体である、宇宙の構造も多重的になっています

我々の意識は、直属の生命体の意識とエネルギーの糸のようなもので繋がり、最終的には、おおいなるすべてと繋がっています

だから、すべての意識と経験のデータは共有しているのです

長々と書きましたが、結論としては、以上のような経緯から、ある意味、存在理由はないのかもしれません

ただ、義務のようなものはありそうです・・・神は、経験としてのデータを欲しています

そして、やはり我々は、さまざまな経験を通じて、究極の愛へ近づいてゆく必要があるのかもしれません

そして、神がもっとも望むデータは、自分で自分自身の生きる目的を決定づける事だと思います

それは、ある意味、神を超える行為になり、もっとも神が価値を感じるデータとなると思います^_^
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まったく同じようなこと考えてました自分は実際死ぬその日が少し楽しみなんですよね

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考えた事あります。

自分が今見ている世界がなんなのか。脳が感覚しているだけの世界。
これは死んでみないとわからない事です。死後の世界があるかないか。それは誰にもわかりません。
わからない事を考えてもしょうがないので、死後の世界があると仮定して後悔しないように精一杯いろんな経験をして生き抜こうと考えます。
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壮大な事を考えると時にはわからなくなるので


明日から1日1善されてみれば何かわかるかもしれないですね。
生きていると言っても 生かされておりますが。
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生きている理由は、体と心、脳を使ってみんなの社会に貢献することです


生きていくために食するもの、飲むもの、着るもの、住む場所、使うもの、乗るもの、あなたが生きるために必要な身の回りにあるものほぼすべて、どこかの誰かが生産したものです
あなたの命も、なにかしらを生産してみんなでいきるために使いましょう
命をひとりじめして生産せず、誰に何も与えず、誰かに与えられただけの存在で終わりたいなら、何も生産しないまま、学生までの人生で死ねばいいかと
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生きていることの理由が欲しいのだとしたら、それはあなたが何かしらの問題を抱えているからだろうと思います。


生きるために、その理由など不要でしょう。
生きているから生きている、それだけで十分であると思います。

生きる理由について私は興味がありませんが、「生きる目的」のようなものであれば、私は答え(正解かどうかと言うことではありません)を持っています。
生きる目的は、「より良く死ぬため」です。
死に直面したとき、「まだ生きていたい!」や「やり残したことがある!」などと考えなければならないのは、実に残念な人生です。
せめて「まあまあ面白かったなあ」と思いながら死にたいものです。
最後の時に、せめて「まあまあだったなあ」と思えるように、そのために日々を悔いなく生きる、という人生がお勧めです。
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「生きているってなんでしょうか? 生きる理由はなんでしょうか?」


⇒その答えは、エンジョイすることです。
人は、自分の人生をエンジョイするために生まれてきたのです。

そのエンジョイをするために、学業や仕事が必要になるのですが、現代の日本では人生のエンジョイよりも、学業や仕事にエネルギーを使い過ぎています。

このために人生の楽しさがどこかかに行ってしまっています。
我々は、常にエンジョイという目的を見失ってはいけませんね。
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