例外のない法則はない とよく言われますが 本当に例外のない法則はないのでしょうか?

例外のない法則 真理と言い切れるものはあるでしょうか?

もしあれば一つでもいいから教えて頂けないでしょうか?

よろしくお願いします。

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A 回答 (16件中11~16件)

流通分


流通分(るづうぶん、るずうぶん)とは、経典を序分・正宗分・流通分と3つに分ける「三分(さんぶん、三科分類法)」の1つ。流通とは、流れ通じることで、広く行きわたることを意味する。また三分の中ではそれを説いた部分をいう。流布(るふ)と同義。
漢訳仏典では「流布」が一般的であるが、中国人の撰述した文献では「流通」が比較的多く散見される。のちに中国では仏教の経典を、科段(分科・科文)といって1つの経を内容によって分類されるようになった。経典を科段に分ける場合、序説の部分を「序分」、本質を説く部分を「正宗分」、そしてその内容を広めていくように勧めた部分を「流通分」と分科した。
流通分はこの三分のうち、その経典や教えの功徳を証して弟子に附属し、その経典を受持し流布することを勧める内容が書かれている部分を指す。
たとえば法華経では、大きく分けて序品を序分、方便品から分別品の前半までを正宗分、分別品から勧発品までを流通分と分科する一経三段と、またそれを細かく分けて、法華経の前半・迹門と後半・本門の2つに分け、その迹本二門にもそれぞれ序・正宗・流通があるとする二経六段がある。


https://ja.wikipedia.org/wiki/流通分


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富楼那(ふるな、サンスクリット:Purna Maitrayani-putra)は、釈迦十大弟子の一人。説法第一。
十大弟子中では最古参。大勢いた弟子達の中でも、弁舌にすぐれていたとされる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/富楼那

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ソフィスト(古希: Σοφιστής、ソピステース、英: Sophist)は、ペルシア戦争(紀元前492年 - 紀元前449年)後からペロポネソス戦争(紀元前431年 - 紀元前404年)ごろまで、主にギリシアのアテナイを中心に活動した、金銭を受け取って徳を教えるとされた弁論家・教育家。ギリシア原語に近い読みはソピステースである。「sophistēs」という語は「sophizō」という動詞から作られた名詞で、「智が働くようにしてくれる人」「教えてくれる人」といった意味がある。代表的なソフィストにはプロタゴラス、ヒッピアス、ゴルギアス、プロディコス等がいる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ソフィスト

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思想・良心の自由(しそう・りょうしんのじゆう)とは、人の精神の自由について保障する自由権[1]。「思想・信条の自由」といわれることもある。

概説[編集]
精神の自由は、生命・身体の自由と並び、人間の尊厳を支える基本的条件であると同時に民主主義存立の不可欠の前提ともなっている[1]。思想・良心の自由は、それが宗教的信仰として表れるときは信教の自由、科学的真理の探究として表れるときは学問の自由、その外部への伝達として表れるときは表現の自由という形をとる[1]。
西欧諸国において思想・良心の自由は言論・出版の自由として捉えられ、また特に良心の自由は宗教の自由の内容あるいはそれと不可分一体のものとして捉えられてきた[1]。






日本[編集]
大日本帝国憲法(明治憲法)[編集]
大日本帝国憲法(明治憲法)には思想・良心の自由を特に保障する規定はなかった[1][2]。
日本国憲法[編集]
日本国憲法は思想・良心の自由について第19条に規定を置いている。
日本国憲法第19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。

https://ja.wikipedia.org/wiki/思想・良心の自由


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そもそも宣伝しなければ知りようが無いだろう
というもっともな意見はともかく

布教をしないとか宗教は個人の問題だとかは
考え方としては宗教が内面化している。
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この回答へのお礼

官僚並みの頭脳だそうですよ よかったですねえ。

ところでこれは回答ですかねえ?

お礼日時:2017/04/14 18:13

「人間は、必ず、死ぬ。

」と言う法則。
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この回答へのお礼

Thank you

人間は必ず死ぬ 今までそうだったし 今からも永遠に生きる人間はいない?

人間精神をコピーして永遠に残していくような事にならないでしょうか?

お礼日時:2017/04/14 18:10

?例外の無い「規則(ルール)」は無いではなかったかな。


法則だと質量保存の法則とか、エネルギー保存の法則などほぼ全てが例外は無いよ。
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この回答へのお礼

Thank you

エネルギー保存の法則には例外はないのでしょうか?

ビッグバン以前はエネルギーはどうなっていたのでしょうか?

1000億年後エネルギーはどうなってるのでしょうか?

お礼日時:2017/04/14 18:08

「法則」なんて概念に既に例外があるので、例外のない法則はありません。

以上ですよ。

全ての例外を含む法則に例外はありません???
「人間は真理を知ることが出来ない」という法則の例外が真理に当たります???

無益な言葉遊びに陥るんですよ。
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この回答へのお礼

Thank you

法則という概念に例外がありますかね?

法則という言葉が完全ではないのでしょうか?

法則なんて真理ではないのでしょうか?

全ての例外を含む法則と言うのがあるのでしょうか?

真理を知る事は非常に難しいですね 無理ですかね?

お礼日時:2017/04/14 18:05

「例外のない法則はない」という法則

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この回答へのお礼

ありがとう

「例外のない法則はない」という法則 に例外はないのでしょうか?

お礼日時:2017/04/14 15:33

論理学で考えろ。

死ぬまでほかの事を考えるな。
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この回答へのお礼

ありがとう

なんか自信満々というか 死ぬまでほかの事を考えるな と言うのは極端ですねえ。

論理学、数論理学には例外のない法則があるんですかね。

お礼日時:2017/04/14 17:58

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Q真理概念について整合説と合意説と存在の真理と…あと一つは?皆さんにとって真理とは?(>0<)

初めまして(^^)最近哲学について勉強する機械があって、「真理概念」というものを知りました(考えすぎるとキリがないけど面白いなぁと思いました☆)。そこで、
整合説(命題と命題の整合・不整合について)と
合意説(合意できるものを真理とする)と
存在の真理(ありのまま)
この3つとあと一つ何かあったき気がするんですが思い出せません…検索しても上手く見つけられなくて…(><)他に何か有名な真理概念があれば教えて頂けないでしょうか?(>0<)
あと、これをふまえて自分にとって「真理って何かな…?」て考えた時、私はこの中では「存在の真理(ありのまま)」が自分の考え方に近いかな~と思うのですが、皆さんは「真理」とは何だと思いますか?(^^)(上記以外の考え方でも良いです!)
好奇心というか参考にしたいなぁと思ってるので、もしよろしければ教えて頂けないでしょうか?たくさんご意見頂けると嬉しいです!(>∀<)

Aベストアンサー

真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

ところで、あるがままの現実をあるがままに反映するためには何がしかの実践が必ず介在。
で、実践を通じて<本当にあるがままか?>は検証されてより確かになっていくでしょう。
「あるがまま論」が単なる「鏡に映った像論」ではないという理由です。

たとえば、「宇宙の年齢は約130億年」は、現時点での「あるがまま論」が指し示す真理。
私は、30世紀においても、これが真理であり続けている保証はどこにもないと思っています。
真理の実践における検証レベルは、時代的制約、個人的制約などを必ず伴います。
ですから、「これが100%正しい究極の真理」を21世紀の今日で知ることは不可能でしょう。
これは、平安時代や江戸時代の文献にみられる真理と今日の真理を対比すれば判ります。
30世紀の人々も21世紀初頭の真理を同じような思いを持って見ることでしょう。
ですから、「あるがまま論」のいう真理は相対的なそれであって絶対的なそれではありません。

概ね、これが私が納得している真理論の骨格です。

真理とは何か?
これは、認識論のメインテーマでしょうね。

真理=あるがままの現実をあるがままに反映した観念や判断。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私は、この「あるがまま論」が妥当であろうと思います。
ただ、「あるがまま論=鏡に映った像論」という解釈ではありません。

ところで、あるがままの現実をあるがままに反映するためには何がしかの実践が必ず介在。
で、実践を通じて<本当にあるがままか?>は検証されてより確かになっていくでしょう。
「...続きを読む

Q例外のない法則はない

「例外のない法則はない」という諺がありますが、素直に考えるとおかしいという印象をもちます。
法則に反する事柄があれば法則に誤りがあると考えるのが正しいと思います。
ただ、それは法則の本質的な欠陥というよりも法則が受け持つ対象の範囲の設定(表現)の不備によるものだと思います。

この考えに漏れはないでしょうか?

Aベストアンサー

>>法則に反する事柄があれば法則に誤りがあると考えるのが正しいと思います。

そうともいえないんですね。論議学、集合でいうところの重なりの部分ですね。
記号で示すと A∩B∩C などで示される領域ですね。
この領域では法則Aも法則Bも法則Cも有効な範囲ですね。ただし、単独の法則ではないので、法則の定義に従わない場合がありますね。
法則の定義に従ってないように見えても影響が小さいだけの場合ですね。こういうのは例外的ですよね。
例えば、法則:
重力の影響で物質(流体)は高いところから低いところに流れる。
があるとしましょう。ほとんどは法則どおりですが、内部エネルギーの大きい流体だと重力の影響に打ち勝って低いところから高いところに流れる場合もあるわけですね。
細かいとこまで考慮した法則を作り直してもいいんですが、例外としておいたほうがむしろわかりやすいという場合もあるということですね。

Q「真理は一つ。宗教はいくつ?」

以前から疑問に思っていました。
世界の真理は一つのはずなのに、なぜ真理をうたう宗教・宗派がこの世にいくつもあるのか?と

各宗教の教えがバラバラですが、真理を教えている宗教はこの世に1つ、または0になるのでは・・・

質問は
まず「『世界の真理は一つ』という前提はあってますか?それとも真理はいくつもあるものなのですか?」

そして「『世界の真理が一つだとしたら、この世の宗教・宗派の中で真理を教えているのは1つ、または0』というのはあってますか?」

お願いします。

Aベストアンサー

No.7ですがちょっと補足します。

哲学的な疑問の場合、答えが目の前にあってもそれを理解するためには理解する者の機が熟していることが必要です。人は自分のレベルでしか理解出来ません。
つまり、世の中に用意された選択肢の中から答えとして選び出されるのはその人が今到達している精神レベルに他ならないということです。

例えば、世界の真理は「A」だと信じていたとします。
ところが、何年かして、一見矛盾しているように思えていた「B」も真理であったことに気が付きます。つまり、AとBを合わせた「C」が真理であったと。
更に何年かすると、全く予期していなかった「D」も真理であったことに気が付きます。つまり、CとDを合わせた「E」が真理であったと。そして更に・・・

人は若いほど狭い視野で世界を見ています。
世界の真理を「A」だと信じている人にとっては、AとBを合わせた「C」を真理であると肯定することはできません。よってこの人が否定するので「C」は、
『【1】だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実。』
の「だれも」に当てはまりません。
「E」においてはもっての他です。

しかし、無知であることは真理ではないことの理由にはなりません。
『【1】だれも・・・』は、「人が本当に理解したとき」という言葉が省略されていると考えるのが妥当ではないでしょうか。

キッチリした答えが欲しい気持ちは分かりますが、
探し求めている「真理」の答えは曖昧さを含んだものなのだと思います。
「いろいろな考え方がある」としか表現しようのない曖昧さが実は一つの真理だったりします。

人にはまだ知り得ない真理(の1つの側面)というものがあります。
だから人はどれも真理(の1つの側面)に違いないのに否定しあったりしている。
そして人は曖昧さの許容というものをだんだん言葉ではなく理解していく。
そんなものだと思います。

No.7ですがちょっと補足します。

哲学的な疑問の場合、答えが目の前にあってもそれを理解するためには理解する者の機が熟していることが必要です。人は自分のレベルでしか理解出来ません。
つまり、世の中に用意された選択肢の中から答えとして選び出されるのはその人が今到達している精神レベルに他ならないということです。

例えば、世界の真理は「A」だと信じていたとします。
ところが、何年かして、一見矛盾しているように思えていた「B」も真理であったことに気が付きます。つまり、AとBを合わ...続きを読む

Q真理、真理と口にするが・・・

実際は「真理」ではなく、「己」を求めている人間が多い。

別に「己」を求めるのは間違いではないし、寧ろ必要で正しい。

しかし自分が「真」に求めている事に気付かずにさ迷うから、何を見ても聞いても何一つ「入らない」し、発言の軸がぶれている。

そして指摘されると黙る。


先ずは一人で歩ける様にならなければ、何処にも行けない。

自分を直視する修行すら怠っていては、まるで赤子だ。


知識でもって他の尊崇を得ようというのは、金で女を買うのと変わらない。

その根拠である知識を失った時に、共に失われるものだ。


苦しんでいるのであれば、苦しんでいる原因を捉えなければ、意味が無い。

知りたいのであれば、何故知りたいか位は、知るべきだろう。



「汝自身を知れ」

一番熱心な師は、常に中にある

Aベストアンサー

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考える」に知識を採用してないから、反論が反発だけになったり。
黙るのは逃げだけでなく、知識を使っての組み立てができないからもあるように思えます。
まだ、仮説段階で立証に向けて観察中ですが。

>手ぶらの実現は難しいでしょうが、近い生き方ならば己から離れて生きる事ですが、これも中々w

手ぶらで生きるのは、人間ではできないと思っています。
山の中で一人暮らしでも、生きる術は知識からです。

社会では、手ぶらで生きてる人が実は多いのでは無いかと思う次第です。
根拠を自分で持たないから、流されて生きてしまう。
気持ちは反発しても、論じるに至る根拠が提示できない。

自分と向き合う習慣を、民族として無くして行っているような。
向き合う時間を、ゲームやテレビ・カラオケやネットなど
娯楽で埋めてしまってる感があります。

和算の発達など、歴史的に頭が良かった民族性は
自分と向き合うことが必須であり、今日本が世界ランクで落ちて行ってるのは
学校教育のあり方だけでなく生活習慣も大きいかと感じるようになりました。

お礼、ありがとうございます。

>人生を全うするには、知識が無ければ生きていけず、知識を持ってしまうと辞典で世界を見ようとしてしまう。

私も以前は、そう思っていました。
ごく最近、考えを改めました。

知識さえも使わずに「気持ち」とか「ただそう思う」とか
ちょっとしたことのきっかけから出発し、論じるにもかかわらず
きっかけからの想像だけで話してると見受けられる人が、あまりにも多い。

反論が、「意見」じゃなく「感想」なんですよね。
バックボーンになる知識の姿が、見えてこない。

「考...続きを読む

Q「真理はわれらを自由にする」では社会は真理か?

真理とは ありのまま誤りなく認識されたことのあり方
と Wikipedia にはあった。しかし我々の目には ありのまま
に認識する能力は はたして有るのだろうか。この世界には
可視光以外にも 色々な光が明滅を繰り返しているのだ。
この視覚に於いて既に 我々が ありのままを認識できない事
を物語っているではないか。ああ 何という能力の至らなさ。

では我々の社会は 偽の上に造られた事になる。
そこで問いたいのです。偽の上に造られた社会に於いて
偽の上に造られた真理が 何を以て我々を自由にする事が
できるのか? さっぱりです (。・ω・)

Aベストアンサー

お気持ちお察しします。

私自身は、人の心の中もわからないし、その人の過去や状況もわからない、
「私は本当の事を知らない」と思うと、
人の理不尽な対応にも私の見えないその人なりの理由があるのだろう、
と思ったりしています。

つらいとき、自由になりたいときは、

「わたしは真理を知らないゆえに苦しんでいる。けれど、真実を信頼している。
もしわたしに、すべての真実を見通すことができたら、苦しむ事もないだろう。
けれど、真実は今も存在するのだから、見通すことができるまで、苦しみの中で待つ必要はない。
今みる事のできない真実を信頼し、今すぐ苦しみから自由にもなれる。」

と思うようにしています。


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