うちのカレーにはこれが入ってる!って食材ありますか?

日本語学習者です。次のような日本語の選択問題があります。

1.次々に読んでいくうちに、僕はもっとさまざまのことを(  )ました。
 A 考えられ  B 考えさせられ  C 考えさせ  D 考えされ
A かBか、迷っています。動詞の受け身も使役受け身も自発の使い方があると思いますが、日本人の方々に選択してみていただけませんか。選択した理由もちょっと説明してください。お願いいたします。

A 回答 (22件中1~10件)

#21ですが、なんども申し訳ありません。

もうひとつ追加させてください。

>教育委員会にして・・、現場の先生(すべてとは言いません)いじめを見抜くどころか、気づこうともしないでしょうね。

まあ、これはですね、そもそも(特に)小学校教諭の質が酷すぎる(低すぎる)のだから仕方ないでしょう。
なにごともなく定年まで過ごせれば良いのであって、子供がどうなろうと知ったこっちゃない。むろん、表面的には気遣う振りはするでしょうが、肝心の点になると見て見ぬふり。どころか、いじめに加担さえしてしまい、あろうことか、その自覚すら持てない。
先生に期待すること自体が間違いと言わざるを得ないですね。
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この回答へのお礼

一つの選択問題が活発な議論を引き起こしましたね。言葉の勉強は実に難しいとつくづく感じました。とにかくまじめに考えて答えていただいた皆様に感謝しております!

お礼日時:2017/05/07 17:46

#19です。



>どこかの教育委員会、150万円だろうが200万円だろうが、本人がおごったのだから、いじめじゃないのは決まっているだろうが、本当にこんなやり取りあったかもしれません。

確実にあったでしょうね。一方、「150万円だろうが200万円だろうが、小学生が喜んでおごれるような金額じゃないのだから、いじめに決まっているだろうが」という意見もあったはず(と期待したいが)で、これは相手(小学生)側に立った論理。
どちらとも言い切れない段階で、こうした決め付け論議はあったと思います。
教育委員会の保身で相手(小学生側)に非があると言いたい場合も、逆に相手(小学生側)には非がないと言いたい場合も、どちらも決め付けという手法を取ることがあるわけです。

・hako⇒勉強なさっているに決まってるでしょうに。
は決め付けられている側(質問者さん)に立った論理。
・fxg⇒勉強もいろいろ、コピペ丸投げ知識をためることが勉強と思っているに決まってるでしょうに。(という意味にしか受け取れない構文)
は決め付けている側に立った論理。
こうした違いがあるのも確かでしょうね。
どんな目的で決めつけるのか、ということが重要なのです。
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>なさっているに決まってるでしょうに


決まっている、自然の法則にしたがう現象には使えますが・・・・。
どこかの教育委員会、150万円だろうが200万円だろうが、本人がおごったのだから、いじめじゃないのは決まっているだろうが、本当にこんなやり取りあったかもしれません。
教育委員会にして・・、現場の先生(すべてとは言いません)いじめを見抜くどころか、気づこうともしないでしょうね。
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#14ですが、成り行きでもう一度おじゃまいたします。



1.
>何が違うのかな?。

あくまで一素人の個人的見解ですが、これは形容動詞が形容詞と名詞のハーフである、という理由が関係しているように思います。
先述しましたように、
a.さまざまの⇒名詞+格助詞「の」
b.さまざまな⇒形容動詞連体形
という2つの解釈が可能です。
この場合、a の解釈が妥当となるには、「さまざま」を名詞として認識するのが自然であるといったシチュエーションが必要となる。
しかし、そういったシチュエーションは稀であるため、ほとんどの場合、b の解釈が自然になるのでしょう。
差異の説明としては、
a.さまざまの⇒そのもの(こと)について、「さまざま」という性質を持っていると言えるような「こと」。
b.さまざまな⇒そのもの(こと)の性質について、「さまざまな」と形容できるような「こと」。
といった違いでしょうか。
ほとんど同じと言われてしまえばそれまでですが、名詞と形容動詞の違いについて想像力を働かしてもらうしかないかも。
「多種多様」の場合は、名詞として認識されることもよくあるため、「違和感なし」となりやすいのでしょう。

他の例を挙げるなら、もう少しわかりやすくなるかも。
たとえば月面の「静かの海」。
a’.静かの海⇒そのもの(海)について、「静か」という性質を持っていると言えるような「海」。
これを「静かな海」と言い換えると、
b’静かな海⇒そのもの(海)の性質について、「静かな」と形容できるような「海」。
という解釈になる。
しかし、命名の意図は、その海が静かであることを言いたかったわけでは(おそらく)無いはず。それゆえ、b という選択はされなかったのだと思います。

「次々に読んでいくうちに、僕はもっとさまざま [ な / の ] ことを考えさせられました。」
という文において、a が自然になるシチュエーションが多いのは確かでしょう。
ただ、b という解釈をするほうが自然になることも当然あるわけです。
どちらか一方ではない以上、わざわざ訂正するのではなく、『「さまざまな」と表現するシチュエーションのほうが多い』といった表現に留めておかないと失礼に当たる、ということ。

2.
hako⇒勉強なさっているに決まってるでしょうに。
fxg⇒勉強もいろいろ、コピペ丸投げ知識をためることが勉強と思っている人もいるように思います。
:
まあ、それはそうでしょうね。
しかし、質問者さんがそう思っているという根拠はどこにも無いわけだから、一方的に決めつけるのはおかしいだろう、という話。
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No.6・12です。


「の」ではなく「な」です。と、言い切ったことに対し「そうではないですよ」と「の」の正当性を述べたのみです。

「の」の使い方が正しい以上、「文法なんかより会話が主体」だの「多く使う」「違和感」などと、論理の全くない感覚だけで「な」の使用を主張したところで、問題文を改変する理由にはならないのです。
だいいち、この設問は『文法の問題の例題文』です。文法なんかと言ってしまっては、自滅そのもの…

本題とは関係がない部分をこれ以上追求するのは不毛であり、質問主に失礼なので自分はコレで閉めます。
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A 考えられ  を受身とせず、「可能」と考えるのもあるかも知れませんが、そのように範囲を広めるなら、なぜか質問者が質問文に書いた自発ではないかと思います。

論文の結論を出す書き方に、「 以上のようなこと<が>考えられる」というのがありますから。ただその場合は「を」ではなく「が」でしょうね。
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参考までに。


今日コーヒー飲みながら、言葉が危ない、というタイトルの本があり、店員に尋ねました。
さまざまな、とさまざまの、どちらを多く使うか?、答えは、さまざまなでした。
もちろん、さまざまの、も否定はしませんでした、では、さまざまの・・で表現が適当な内容はどんな内容?。
すぐには思いつかないということでした。
では、さまざま、に変えて多種多様の言葉を使えば?、多種多様の・・・・も違和感なしの返事でした。
何が違うのかな?。
>勉強なさっているに決まってるでしょうに。
勉強もいろいろ、コピペ丸投げ知識をためることが勉強と思っている人もいるように思います。
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そうです、当たり前。


文法的に云々より、当人がなにを表現したいのか、それを適格に表現できての言葉です。
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#8ですが、少し補足しておいたほうが良さそうなので、またおじゃまします。



1.
・さまざまの⇒名詞+格助詞「の」
・さまざまな⇒形容動詞連体形
どちらでもよろしい。
大辞泉でも両方の例が挙がっていますのでご確認を。
「各人が―の感想を述べる」「―な思い出」
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/89225/meaning/m1 …

2.
>Aさまざまなことを考えられました(可能)ではあり得ますが、この場合は考えることができました、

というご意見もあるようですが、これは間違い。
あくまでシチュエーション次第であり、「さまざまなことを考えられました(可能)」という表現のほうが適している場合もある。不可ということはない。

3.
>現在は文法なんかより、会話が主体ではないかと思います、
>日本語の「て」「に」「を」「は」も文法として習ってもほとんど身につきません、先に多くの使用例に接して感性として身に着けるのが重要です、

などという意見も見えるが、なんで、こんな当たり前のことをえらそうに言う必要があるのか・・・極めて疑問ですな。
学習者の方々は、「先に多くの使用例に」接して、日夜勉強なさっているに決まってるでしょうに。
その上で、理解を深めるために、こうしたところで質問しているわけなんだから。
そんなこと言ってる暇に読点と句点の使い方でも少し勉強したほうが良いかも。
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> 設問と違う部分での指摘、「さまざまの」は「さまざまな」であるについて


文法が先・・の観点ですね、だから外国人が日本語の習得に苦労します。
日本人の英語学習もかつてはそうでした、文法がありました、英語圏の人に言わせると、シェークスピア時代の英語で勉強していたらしいです。
現在は文法なんかより、会話が主体ではないかと思います、もちろん言語学者等を目指す人は別の話です。
日本語の「て」「に」「を」「は」も文法として習ってもほとんど身につきません、先に多くの使用例に接して感性として身に着けるのが重要です、その後文法で整理すれば、自分なりの理解も進み、例外もあることがわかります。
文法なんか習っていない小学生でも十分まともな会話をしています、かなりな場での意見発表もしています。
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