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1. 超経験なる神が 経験世界を超えているというのは 同じことである
ごとく 一般的に知られているはずです。絶対と相対との区別でもあります。

2. ところが 絶対が相対世界を超えているということは――と われわ
れ人間が思わくをもって捉えるとき―― 絶対は相対を 超えていつつ 覆
い包んでいるとも見られて来ます。

3. 神が人間を やさしくか厳しくか その神殿ないし神社の中に置いて
見守っているとも。

4. 世界のすべてが 聖域なのか。それとも そこからは去って行くのも
――自由意志の自由度において――自由ゆえ 世界はさまざまか。

5. だけれども 神にさからいおのれの良心にさからうことも自由だと捉
えられるときそれと同じように 人間たるわれは 神社を去って行ったあと
でも 神につらなることも自由である・・・と思っても おかしくない。成
り立つ。

6. つまり 大きく人生観を成す要因としての神観において われは神と
連続しているという思わくも 自由としてゆるされる。つまり 甘えである。
聖なる甘えであり得る。

7. ただし。われと神との連続性は 人間の思わくに過ぎない。それを神
のほうから 包容しているというに過ぎない。

8. 聖なる甘えは 間違いではないはずだが その命題(判断)は 哲学
として理論を成すものではない。神とわれとには 絶対のへだたりがある。

9. 神観と神論とは違う。神観は 人生観として・そしてその意味での世
界観として 一般に個性を成すように自由に持たれたとしても それが 神
論を形成するわけではない。

10. 神は愛である。と言われますが それは われわれの経験世界と地
続きで捉えられるものではない。神の愛が分かったと思うなら それは 隔
たりを自分で勝手に超えてしまって得たというまぼろしの光である。

11. この経験世界には それとしての秩序がありそこには法則があると
見られている。宇宙の法則やあるいは摂理といった概念が 人びとは好きで
あるように思われる。

12. そして確かに 非経験の場である神についてその属性を捉えたいと
いう――それなりに自由な――思わくにしたがって 神は愛である・慈悲だ
・至高の善だ・真理だといった〔いちおう〕神論を派生させる。

13. だが 連続性はない。連続しているともし見えたとしたら それは
神の側からそう見せているに過ぎない。そうではなく ぎゃくに人間の側か
ら 人間の愛や善や真実や知恵や能力を勝手に神に投影してよいわけではな
い。

14. 秩序を内容とする摂理ないし宇宙の法則・あるいは自然法といった
概念は 神について人間が忖度し 確かに神から派生しているらしいと捉え
た経験知である。だがそれらを 経験世界の側から神に投影するものではな
い・・・わけです。

15. 神にあまえてもよいが そのへだたりを超え 神社のやしろを天に
まで届かせようというのは 人間の理性自慢なる――もちろん自由だが――
お遊びに過ぎない。

どう思う? おしえて! goo。

A 回答 (1件)

人間という生き物が考えてんなーっという感じ。


冷静になって下さい。

神なんていません。

神なんていません。

神は人間がつくったものです。
哲学も数学も人間がするものです。

神は一体何か説明できますか?
パワーですか?
気体ですか?個体ですか?
自分自信ですか?

神はいません。
哲学を考えるのは人間がする事です。

神を信じている人はすがりたい人です。宗教です。
宗教も人間がすることです。
何故宗教を信仰するか、何故神の存在を自ら作り出すか、それは自分の存在を肯定したいからです。
神の存在を、自分自信でつくりだすということは、つまり、自分自信が神だという事です。

その自分は、生物の人間であり、人間は考えることをします。
考えて作ったものが神です。
人間がつくったものです。

どこかにいるとか、宇宙から見守るとかそんな事はありません。


神は自分の中の考えです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

このご回答は わたしの別の質問:【Q:一般および個別絶対性理論】のほう
が 合っているとは思います。

★ 神は一体何か説明できますか?
☆ この問い――うたがい?――に正面から答えているからです。

さて:
★ 神なんていません。
☆ それは まだわれわれ人間の思わくであって それにとどまります。

つまり 神は いるということも・そしていないということも どちらも証
明されていません。

ぢゃあ そのように定義すればよい。《知り得るか知り得ないかが知り得な
いナゾ》――《非知》と言います――であると。(むろん 仮説です)。

★ 神は自分の中の考えです。
☆ でも 永遠は 誰かが自分の中の考えに過ぎないと証明しましたか?

考えやヒトなる生物の存在を超えていますね 永遠は? 無限というのも
同じです。

つまり 神も同じであって:
★ 人間がつくったものです。
☆ と《考える》場合もあるようですが 超経験なるナゾは すなわち人
間の経験思考を超えています。経験世界の全体を超えています。

★ 宇宙から見守るとかそんな事
☆ は 確かに神を非知として想定したあと やはりわれわれ人間がその思
わくとして――そして おまけのように――つけ添えるものでしょうね。

永遠や無限 あるいは 絶対なら そういうふうに振る舞っているかも分か
りません。これは 神への甘えですが。

要するに 非知として想定するならその神は:
★ ~~~~~
パワーですか?
気体ですか? 個体ですか?
自分自身ですか?
~~~~~~~
☆ と問うとき それらすべてを超えているという答えになります。

自分自身を超えているものを《つくる》ことは出来ないでしょう。

それらの中で・もっとも《ちから》の場合は この経験世界を超えた《非経
験の場》とも神を呼べるのではないかというのと同じように 非経験のチカ
ラと呼んでもよいかと見られます。

さらには神が 人間つまり自分自身に――生まれつきの自然本性として――
やどるというふうにまで われわれの思わく(のぞみ?)は 延びて行くよ
うです。霊としてですが。一切衆生 悉有仏性と。

もうひとつの《もっとも》ですが 神は非知ですから 《有る神》と呼んで
も《無い神》と言っても 互いに同等になります。

お礼日時:2017/05/02 05:21

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