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私はできるなら死後に何かあるのかもしれないと思い死にたいのですがそれには魂のようなものを想定しないといけません しかしそのようなものはこの先 意識研究が進めば 意識のメカニズムが解明され意識が完全に脳に依存すると証明されればそのようなものはないと証明されるのではないでしょうか?

A 回答 (3件)

魂は、ありますが、それは脳の生命活動に依存しています。



ですから、脳が生命活動を中止すると魂も無くなります。
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それは科学とは何の関係も無く、哲学でもなく、宗教の部類に入りますが、最近昔読んだ堀田善衛さんのモンテーニュを扱った本にあったのを想い出しました。

「ミシェル城館の人」三部作。
モンテーニュはルネッサンス、フランスの知識人ですが、当時のフランスは新・旧教徒間の泥沼の抗争に加えペストの蔓延で、都市は危険なためフランス王家はフランス国中をさ迷う羽目になったそうです、権力を握っていたのはイタリア、メジチ家からお輿入れのフランチェスカ・ド・メジチス、貴族も王家に従って放浪していた時期です。モンテーニュは博学な知識人でした、有名なのが主著『エセー Essais』(随想録)を1580年に刊行、健全な懐疑主義者として知られた人です。堀田善衛氏の作品で印象深いのは、モンテーニュはギリシャ・ローマ時代の文献に通じていたので、平民・農民を啓蒙してやろうと考えた、だがその意味に疑問を持った。私がこの本で最も印象深かったのは、死を覚悟した農民は自らを埋めじっとそのまま死を待った。モンテーニュはそれを見て、それが一番良い、と思ったそうです。尊厳死ですね。で私は考えました、死を論理的に扱うのは整数の数学で「ゼロで除すことは無意味だ」という数学の公理系の公理の一つ。つまり死ぬ自分が自分自身を分析するのは禁忌だ、それは考えても良いが意味が無い。
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証明されようが自分の意識の中に存在する物を信じれば良いと思いますよ。


人の意識まで制約する事は出来ませんからね。
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