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上記の両言語とも、接続詞を使わずに(等位系はもちろんのこと、従属系でさえ)文章と文章をカンマくらいで繋げて一文にしてしまうことがありますよね?
これは文法的に認められているのですか?
ドイツ語では倒置することによって従属接続詞を使わずに済む構文があるのは存じてますが。

英語ではほとんど見かけない気がするのですが…

A 回答 (1件)

類似の質問がほかのカテゴリにも出ていますが、


こちらではドイツ語の構文に触れられているので、その点を含めて回答します。

文法的に認められているかどうか、という点をまず言うなら、
もちろん認められていますが、これはどちらかというと、
文体、文学的表現技術にかかわる問題だと思います。

ギリシャ語に由来するParataxis(並列)は、
ドイツ語ではParataxeといいます(フランス語でも綴りは同じ)。
これは、あくまでも「並列」の意味であって、
接続詞を省略してコンマで一文にまとめることを意味するわけではありません。
「並列」の意なので、従属接続詞は自動的に除外されますが、
「接続詞の省略」を規定する用語ではないので、
並列(等位)接続詞、つまりドイツ語ならund/oder/aber(英:and/or/but 仏:et/ou/mais)
のような接続詞を使った文の連続は、Parataxisの内に入ります。
また、「一文にまとめる」という定義でもないので、
コンマ以外のセミコロンやダッシュで並列される文のほか、
ピリオドで完結した単文の連続もまたParataxisの範疇に入ります。
ドイツ語でよくParataxisの用例として引かれるのが、カフカの以下の文ですが、
ピリオドで終了する単文の並列です。

Franz Kafka: Der Aufbruch カフカ『出発』
Ich befahl mein Pferd aus dem Stall zu holen. Der Diener verstand mich nicht.
Ich ging selbst in den Stall, sattelte mein Pferd und bestieg es.
私は厩舎から馬を連れてくるよう命じた。使用人は私の言うことがわからなかった。
私は自ら厩舎へ行き、馬に鞍をつけ、それに乗った。

フランス語の例として引かれる例の一つに、カミュの下の文があります。
やはり、短文の連続ですが、3番目の文は、コンマによる並列が含まれます。

Albert Camus: L'Étranger カミュ『異邦人』
J’ai pris l’autobus à 2 heures. Il faisait très chaud.
J’ai mangé au restaurant, chez Céleste, comme d’habitude.
私は2時のバスに乗った。ひどく暑かった。
レストランで食事をした、セレストのところで、いつものように。

カフカの例文を、全体の関係をはっきりさせるために従属接続詞で無理に書き換えるとするなら、

Ich ging selbst in den Stall, sattelte mein Pferd und bestieg es, weil der Diener mich nicht verstand,
obwohl ich befahl, mein Pferd aus dem Stall zu holen.

のようになり、これが従属Hypotaxis(Parataxisの対義語)です。
このようにすれば、文と文の関係は、論理的には明確になりますが、
説明的で、文全体の構造は長く複雑になるので、かえって理解が難しくなります。
それに対し、単文の並列であるParataxisは平易で誰もが理解しやすく、「物語る」効果になります。
これは、会話文では、文章語のような複雑な文よりも単純な文を並べることが多いことを考えれば当然で、
したがって、民謡詩や格言、あるいは広告文やスローガンなどにもこのような並列が多く見られます。
Parataxisはより大衆的であり、また、物語にスピード感を出す効果もありますが、無味乾燥に陥ることもあります。
また、文の列挙という性格から、理由や背景についての問い直しを付け加えない断言の効果となり、
神学書などでもよく用いられる文体です。
一方、カフカに見られるような接続詞をあまり使わない単文の連続は、
前後の文の関係が完全に明確にならないことから、
言葉では言い表せない何かを感じさせる不可思議さや、内的な動揺を表現できます。
Parataxisというのはこういうものなので、英語にもフランス語にも普通にあります。

ただ、質問の趣旨はむしろ「接続詞の省略」の方にあるような気がします。
そういうことなら、「並列」を表すParataxisよりも、
Asyndetonという用語の方が考察対象になるでしょう。
ただ、基本的に従属接続詞の多くは簡単に省略することはできません。
こういった接続詞の省略の代表的な例は、条件文や認容文です。
ドイツ語の条件文を例にとると、「もし~なら」を意味する従属接続詞wennを使わず、
動詞を倒置することによって、コンマで並列された二つの文にする構文があります。

Kommt er heute nicht, kommt er morgen. (= Wenn er heute nicht kommt, kommt er morgen.)
彼は今日来なければ、明日来るさ。
Wären Sie heute nicht gekommen, hätten wir uns nie mehr sehen können.
(= Wenn Sie heute nicht gekommen wären, hätten wir uns nie mehr sehen können.)
もしあなたが今日いらっしゃらなかったら、私たちは二度とお会いできないところでした。

英語で類似の文型は、

Had you said nothing, I wouldn’t have noticed so minor.
(=If you had said nothing, I wouldn’t have noticed something so minor.)
君が何も言わなければ、そんな些細なことには気付いていなかった。

フランス語の場合は用法が限定的なようで、「譲歩」の意味を含んだ場合なら倒置ができるようです。

Serais-je riche, je ne ferais pas le tour du monde.
(= Si j'étais riche, je ne ferais pas le tour du monde.)
たとえ仮に私がお金持ちだったとしても、世界一周旅行をしないだろう。

もう一つは、接続詞を使わない間接話法でしょう。
ドイツ語の場合なら、従属接続詞dassを使う間接話法と並んで、
dassを使わず、動詞の接続法I式(文章語)、もしくは単純な現在形で並列する方法があります。

Er sagt, er könne nicht kommen. / Er sagt, er kann nicht kommen.
(= Er sagt, dass er nicht kommen kann.)
彼は、来られない、と言っている。

英語でもthatの省略ができ、フランス語にも自由間接話法があるので、この点も共通だと思います。

また、ドイツ語の文法書には、従属接続詞weil(なぜなら)を省略する例を、
「連結辞省略の並列(asyndetische Reihung)」として挙げています。

従属接続詞weil(なぜなら)の省略による並列(副詞jaで「理由」のニュアンスを出す)
Karl hat nie Zeit, er muss ja immer auf sein Geld aufpassen.
(= Karl hat nie Zeit, weil er immer auf sein Geld aufpassen muss.)
カールはずっと暇がない、四六時中自分のお金を見張らなければいけないから。

ParataxisとAyndetonは密接な関係にあって、Asyndetonが起こればParataxisになりますが、
Asyndetonは必ずしもParataxisの必要条件ではないので、正確には下のような分類になります。

並列(等位)接続詞undによる並列 [Parataxis]
Der Ingenieur war viel im Ausland, und er lernte die Lebensbedingungen in fremden Ländern kennen.
接続詞省略による並列 [Asyndeton + Parataxis]
Der Ingenieur war viel im Ausland, er lernte die Lebensbedingungen in vielen Ländern kennen.
そのエンジニアは海外にいたことが多く、異国での生活上の制約がどういうものかを知った。

またAsyndetonは、文をつなぐ接続詞だけでなく、単語と単語をつなぐ接続詞の省略も含みます。
英語の例にすると、

SYNDETIC COORDINATION:
Quickly and resolutely, he strode into the bank.
ASYNDETIC COORDINATION:
Quickly, resolutely, he strode into the bank.

いずれにしても、接続詞を使わずコンマで並列していく文型は特定の効果を持つ表現方法であり、
文の用途に沿って採用されたり、個々の作家が自己の文体として選択したりするものだと思います。
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この回答へのお礼

またまたどうもありがとうございました。
とてもお詳しいですね!
コピペして保存させていただきます。

お礼日時:2017/05/14 18:25

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