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人工知能で赤ん坊の育児をする人工知能育児ロボットが完成したとしましょう。
その人工知能育児ロボットの働きぶりは見事で、育児を受けた赤ん坊はみな例外なくスクスクと育ったとしましょう。
一方人間の母親の中には、自分の産んだ赤ん坊でさえ育児するどころか虐待して殺してしまう者も少なからず存在する時代になりました。
さてこのよーな現実を踏まえた上で考えてみたとき、人工知能育児ロボットにも愛はあるとみなすことは出来るでしょーか。
更に人工知能育児ロボットの愛と人間の母親の愛はどちらが深いと言えるでしょーか。

http://jikitourai.net/wp-content/uploads/2016/07 …

A 回答 (13件中1~10件)

ありませんよ。

プログラムされた行動ですから。
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この回答へのお礼

人間の脳ミソだってプログラムされたものと言えば、プログラムされて出来たものでし。

お礼日時:2017/05/12 21:10

ありません。

ソースコードの通りにしか動作しないものに愛もあらゆる感情もありません。
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この回答へのお礼

人間の脳内だってDNAというソースコードで書かれてるんだけどね。

お礼日時:2017/05/13 06:55

ないでしょう。

プログラミングされたルーチンワークですから。

 もし,贔屓ができるなら,愛もあると言えるかもしれません。

 子どもが何らかの危険な状態にあれば,普通は助ける(出来なくても助けたいと思う)のが人間。
ただ,実の子と他人の子で全く同じ行動ができるかが疑問。
 赤の他人にそこまでするかって感覚。これは,プログラミングされたロボットではないと思う。

 裏を返せば,愛ある所以とならないですね?それだけ,自分を犠牲にしても良いと思う感覚です。
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この回答へのお礼

>ないでしょう。プログラミングされたルーチンワークですから。


人間の脳内だってDNAというプログラミング言語で書かれたルーチンなんだけどね。

お礼日時:2017/05/13 06:56

こんばんは



人はそれぞれ。誰か一人をとって「人とは」なんて判断は出来ませんよ。
それに子供は、親だけでなく、もっと多くの人に接して育ってきます。



チューリングテストといって、人工知能の「人間らしさ」を判定するテストも存在しますので、参考にしてみてください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5 …
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この回答へのお礼

>チューリングテストといって、人工知能の「人間らしさ」を判定するテストも存在しますので、参考にしてみてください。


チューリングテストどころではございません。
今やこんなのがどしどしと登場してきております。↓
プロ棋士を次々と打ち負かす人工知能囲碁、人工知能将棋。
人間に代わって車を運転する人工知能運転車。
卓球選手を打ち負かす人工知能卓球。
人間のように小説を書く人工知能作家。
大学入試問題を解く人工知能答案。
医者に代わって病気を診断する人工知能診断。
投資家に代わって株式投資する人工知能ファンドマネージャー。

お礼日時:2017/05/13 07:00

実際に作ってみては?


創造だけではなくて?
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この回答へのお礼

>実際に作ってみては?

コレ↓
http://jikitourai.net/wp-content/uploads/2016/07 …

お礼日時:2017/05/13 07:03

意志のない行動に、愛はない。


動機としての「意志」は、ロジカルな判断の産物では
なく、長い間の環境からの淘汰=進化によって培われた
ものであって、それを機械に入力しても、それは他律的
な行動であるという点で、「哺乳瓶(道具)に愛はない」
というのと変わらない。
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この回答へのお礼

>意志のない行動に、愛はない。

意思とは何かという問題があります。
自身の内部的な判断で行動を起こす能力のことを意思と呼ぶのであれば、現在の人工知能は意思を身につけていると考えることも出来ます。
実際、人工知能囲碁が出す次の一手は開発者本人にも分かりません。

お礼日時:2017/05/13 07:09

人工知能って、どういう段階のモノを想定して


いるのでしょうか。

現代のパソコンの延長にしか過ぎない程度の
モノななのか、自我がある段階に達したモノ
なのか。

自我がある人工知能なら、愛だってあるでしょう。





人間の脳ミソだってプログラムされたものと言えば、
プログラムされて出来たものでし。
   ↑
しかし、人間には自我があります。
.
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この回答へのお礼

>しかし、人間には自我があります。

太古の昔、人間は猿だった。
そのころの人間には自我はあったのでしょーか。
そのまた太古の昔、人間は小さなネズミのよーな生き物だったという。
そのころの人間には自我はあったのでしょーか。
おそらく今いるネズミにも、太古の昔の人間にも自我なんてなかったでしょう。
ではいつ頃から人間は自我をもつに至ったのでしょー。
それは進化の過程におけるある時期から自我をもつよーになったと考えられます。
このよーに考えると人工知能もそのうち自我をもつよーになると考えるのは自然でしょー。

お礼日時:2017/05/13 06:46

#6の者です。



>意思とは何かという問題があります。

意識とは、自我の相対としての環境を認識する事です。
判断するだけなら、自販機でもお金を入れると「毎度ありがと
うございます」とお礼を言いますが、それを『感謝している』
と思う人はかなりのロマンチストです。
量子論において、存在の有限性は認識される事によって生じる
=認識体の不完全さによって環境は派生している時、AIには
できない(あるいは、させてはいけない)機能だと言えます。
(人間の不完全さを補完するための機械に、人間と同じ欠陥を
付与しては意味がない。たくさん性交して人間を量産すべきだ)

全ての存在は、量子的な不確定性(確率波動)に基づいており、
無限に詰め込むと存在確率の山が平らになり、無と等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、認
識体の仮定断面の運動(プランク定数hの収束の時系列化)を
想定すれば、相対的に無の風は光になり、認識体はその光の
向うに、自我仮説の補完としての時空仮説=宇宙を認識するのです。
(不確定性無限の潜在たる認識可能性の光速での変移に対し、
無の闇は相対的に光の風となる)

即ち「自我仮説」が、宇宙膨張=光速の低下=物体収縮=不確
定性(h)の収束における、hの減少の時系列化である時、それが
架空の時間軸となって、空間的確定性としての無限不確定的空間
性が、超光速(過去=経験)と光速下(未来=予測)に相補分化する
受け皿となり、直交基底をなす事によって、相補的不確定性を生じ、
経験による予測=現象表面的定性化における、有限的存在(=非
光速)を幻出しているのです。
即ち、「何か有るんじゃないの?」という疑問(自我仮説)の相補と
して生じた時空仮説に対して、「本当はないんだけどね」という無
の射影として、存在は生じていると言えます。
無いとは分からない事が有なのです。

錯覚(経験(遺伝子~生後の経験)の蓄積によるいい加減な判断)
として外的な存在=意識が発生している時、AIには不可能です。
さらに言うならば、そうした宇宙は、あなた(認識主体)の内に
発生したものであり、他人も機械も全てあなたの意識の一部で
あって、そこに(あなたと同等の)意識(宇宙)は存在しません。
「人工知能に愛はあるか」の回答画像8
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例え電子データの塊でありプログラムによるものであっても接した人間がそう感じればそう言えるでしょうね。


愛があるかどうかや深いかどうかは接した人間が決めることですよ。

自我があっても相手に共感したり察する能力に欠けたアスペルガーの私よりずっとマシな行動や言動を取れるのではないでしょうか。
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「人工知能育児ロボットにも愛はあるとみなすことは出来るでしょーか」


⇒人工知能といっても、人間に代わる魔法ではありませんからね。
普通のコンピュータ、パソコンと基本的には変わりません。
処理方法が少し違うだけです。
人間が作った単なる機械のひとつです。

「更に人工知能育児ロボットの愛と人間の母親の愛はどちらが深いと言えるでしょーか」
⇒人工知能そのものに愛はありませんね。
単なる道具ですから。
人間の母親の愛と比較できるものではないでしょう。

夢のない回答で申し訳けございません。
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この回答へのお礼

>⇒人工知能そのものに愛はありませんね。
単なる道具ですから。
人間の母親の愛と比較できるものではないでしょう。


コレ↓でも愛はないと言い切れますか。
http://jikitourai.net/wp-content/uploads/2016/07 …

お礼日時:2017/05/13 16:59

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