プロが教えるわが家の防犯対策術!

高学歴(高偏差値)や学力(学校の成績がいい)を教養という人がいますね。

確かに、戦前の旧制中学、旧制高等学校では、単に学問に止まらず、理系の学生でも文学書、哲学書を読むなど人格形成を怠りませんでした。

しかし、現代では高学力(高偏差値)が教養があるとはいいきれませんね。
何故ならば、受験塾にみられるように詰め込み教育による受験技術が進んでいるからです。

単に、難しい漢字、言葉を知っている、高等数学が解けるだけでは教養があるとはいえませんね。

Wikipediaによれば「教養ある人間、すなわち、教養人が相応の尊敬を得るのは、単に知識が豊富な状態(博識)に留まらず、人間性という実を伴うためである。仮に、現状の知識が乏しいからといって、その状況は非難される性質ではない。知識を求めて学ぶことで品位と人格を高めようとする心構えが重要と考えられる」とあります。

皆さんはいかがお感じでしょうか?

A 回答 (20件中11~20件)

学識とは何か、と言う問題かと思います。


人は、何を求めているのか、その求めていることについて察知や目利きがあるのが学識では無いかと思うのです。
知識を軽視はしませんが、もし知識だけが教養人の前提であるなら、現代の少なからずの人々が、教養人として前近代や古代、名もなき古い時代の賢人達よりも優れていることになります。しかし現代でも彼らは蔑ろにされずに尊敬を集めています。未来の人々も、自分達がより知識を得ていても、現代の人々が自分達よりも劣っているとは考えない人が多いだろうと思います。
私の出会ってきた人達が、世の中の一般なのか?と言う話を別にすれば、世の中の多くの人達は、Wikiにある様な教養人の定義を認めていると思われます。甘いでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「甘いでしょうか」
⇒とんでもない、決して甘くはありませんね。

そうですね。日本では学識と教養の関係をあまり教えていませんからね。

お礼日時:2017/07/09 22:37

ご指摘の通り、教養は形骸化してしまいましたね。

一つ、面白い例を挙げてみます。

私の周りの人に、時々、ムカッとくるようなことを言う人がいます。妙に高飛車なことを口にするわけです。
でも仲良くなった後に、雑談をしていてわかってくるんですが、相手は自分が使った言葉の意味を知らないって言うんですね。受験に使う単語帳の類義語の項目で、AとBはほぼ同じ意味と書いてあるんで、そう思っています、と言うんです。
しかしもちろんAとBは同じ意味ではありません。別の単語なのですから、違いがあるわけです。でもこういう細かいことは受験には出てこないわけで、この人は敢えて無視して覚えてきたというわけです。

これが嘘じゃないと確認できるのは、私のような相手に失礼なことを言うだけじゃなくて、喧嘩を売ってはならない大家にも、同じようなことを言っているからです。で、問題は、この話題に上げている人物が、御三家を出ていて最高学歴の人だということです。

現実的な問題は、こういう教養がない手合いを前に、どうするかということなんだと思います。
・怒りまくる
・説教する
・諦める
などなど、あります。どれが教養ある態度なのか。私はここら辺で悩んでいますね。

私は「こういう人はもっと痛い目を見ないともう治らないな」とか、「もう痛い目にあっているんだろうから、私がここでさらに痛い目にあわせなくてもいいな」思って、何も言わないことにしています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

骰子さん、とても分りやすい内容でした。

実は、私も似たような経験があります。
30代後半での職場の会議でした。
東大、京大などごろごろいる企画会議でした。
私が白板にあるテーマ文字を書いたところ、ある京大出身者が”○○さん、それ書き順が違います”と発言しました。
私は”すみません、小学校の時にちゃんと勉強しなかったので”と返答しました。
その後の企画会議では、その京大出身者からは何のアイデアも出ませんでした。

そう、学力はあるのですが、教養がないんですね。

「現実的な問題は、こういう教養がない手合いを前に、どうするかということなんだと思います」
⇒どの方法をとっても、多分骰子さんの気分はよくないでしょうね。

お礼日時:2017/07/09 22:02

現代の教育に対する根源的ご批判であると思います。



はっきり言って教員の質ということになると思います。
ハーバード大学だ東大だといった枠は変わらずあるものの、そこで学生に
何を教えられるかが中身になるわけで、これは不変ではありません。

しかし、○○大学卒ということで、それなりの教養を得ていると世間では
評価します。
人々は社会が衰退しているなどということは考えないのが普通ですがなぜ
だろうと思います。おそらく教育されているからでしょう。私もそうでし
たし。

教員が学問をどう理解しているのか?学問の本質を教えられているのか?
現実と結び付けられているのか?
これができてこそ、教養を与えたということになると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「そこで学生に何を教えられるかが中身になるわけで」
⇒その通りでしょうね。

「しかし、○○大学卒ということで、それなりの教養を得ていると世間では評価します」
⇒世間ではそうでしょうね。

「教員が学問をどう理解しているのか?学問の本質を教えられているのか?現実と結び付けられているのか?」
⇒そもそも、明治以来帝国大学での目的は官僚育成でしたからね。
官僚が国の基本を形作るという考えです。
現在も、その思想は底辺に残っています。

でも、おっしゃる通り、成熟した現代社会では官僚が国をリードする必要性はありませんね。
旧来の教育思想のままでは、これからの日本は衰退の道でしょうね。

お礼日時:2017/07/09 21:34

教養の有無と何らかの相関関係がを想定可能なのは大学の学部2年生位まででしょう。


それ以降は専門教育ですから教養との相関関係を期待してお門違いということになります。

ただし、教養獲得能力は、受験勉強での知識獲得能力との相関があることはお忘れなく。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「教養獲得能力は、受験勉強での知識獲得能力との相関があることはお忘れなく」
⇒No.5の方とは、正反対のお考えのようですね。

お礼日時:2017/07/09 20:22

お礼ありがとうございます。


難しい表現ですみませんでした。
単純に言えば、教養ってのは、個々人で考える事で、社会的評価がどうかは、あまり関係無いって事です。
社会的評価としては、Wikipediaから引用された内容は、それなりの妥当性はあると思いますよ。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

「単純に言えば、教養ってのは、個々人で考える事で、社会的評価がどうかは、あまり関係無いって事です」
⇒そういうことをおっしゃっていたのですね。
そうでしょうね。
よく理解できました。

お礼日時:2017/07/09 14:17

現代において求められる教養とは何かと言う問いの答えが与えられない以上、何を持って教養があると評価するかは難しいですね。


例えば、旧制高校出身者や、昭和教養主義(主に昭和50年代初頭まで)、岩波教養主義にさらされた年代が、現代において教養を持っていると評価されるかどうかは、難しいです。(主に55才以上の層となります)
すでに、昭和40年代に、教養主義からの離脱を目指した、サブカルチャー文化の萌芽が生じていたわけで、現代においては、すでにサブカルチャーと言うより、個別文化と言える状況にあるとすれば、古い教養主義自体が死んでいるわけです。
この段階では、一定の社会価値と言う物が存在しないわけですから、実質的な教養自体が、学歴などでははかれないのは当たり前と言えます。
また、人格主義的教養主義は、むしろ宗教に埋没していると言えるのでは無いでしょうか?
Wikipediaからの引用は、あくまで教養人として尊敬を得る為の条件でしょう?
そのような教養人で有りたいなら、そこに書かれている条件が必要ですが、人間として、自己の尊厳として、(現代における)教養を身に付ける方法は、高等教育機関に委ねるだけでは、不十分と言えるでしょう。(すでに、高等教育機関が文化を牽引する力を持っていません)
もちろん、誰もが教養人である必要が無い事は、言うまでもありません。
社会的尺度としては、どうかとなると、個々人の置かれている立場、状況が考慮されるわけですから、そこに学歴が入っても、おかしくは無いですけどね。(評価尺度として、学歴は一定の試験を受けていると言う事は言えるわけです)
もちろん、学歴を評価尺度に入れない場合もあります。(その場合は、社会活動の履歴など、他の要素で評価する事になります)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

難しい文章表現のためか、結局何を言いたいのかがよく分りませんでした。

「Wikipediaからの引用は、あくまで教養人として尊敬を得る為の条件でしょう?」
⇒単に引用しただけが、教養人として尊敬を得る為の条件になるのですか?

お礼日時:2017/07/09 13:45

戦後生まれの人達は貧しい生活の中から中卒、高卒、大卒それぞれが


勉学に熱心でした。 生きるためです。
卒業後にどう生きたかが問題です。学歴よりも社会人での実績です。
今の品質の日本はそういう人達が作ってきました。
今の学生に欠けているのは学ぶ姿勢です。
ゆとり教育のために基本部分が欠けた若者層が出来てしまいました。
結果的に指導力の無い先生と意欲のない生徒の存在・・・社会人にも
広がっています。
この「教えて!goo」でもその傾向が強く出ています。
悩むだけで行動しない人、基本も知らずに回答し質問者を困惑させている人。
企業ではパワハラ、イジメの職場がほとんどです。リーダーシップの取れない上司
働く意欲を失った社員、3K(きつい、汚い、危険)を敬遠する人達。
中国、韓国の一流大学入学が人生の目的になったも現状も問題ですが
東南アジアの勤勉性にも、学力にも負けている現状では「日本滅亡」が
心配されます。
何を学ぶのか? 難問に挑戦する姿勢が品位と人格が高められるのです。
常に謙虚に学ぶ姿勢をもつことが日本に必要な事と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「戦後生まれの人達は貧しい生活の中から中卒、高卒、大卒それぞれが勉学に熱心でした。 生きるためです」
⇒その通りです。

「卒業後にどう生きたかが問題です。学歴よりも社会人での実績です」
⇒まったく、その通りです。

「悩むだけで行動しない人、基本も知らずに回答し質問者を困惑させている人。企業ではパワハラ、イジメの職場がほとんどです。リーダーシップの取れない上司働く意欲を失った社員、3K(きつい、汚い、危険)を敬遠する人達」
⇒まったくです。

「何を学ぶのか? 難問に挑戦する姿勢が品位と人格が高められるのです。常に謙虚に学ぶ姿勢をもつことが日本に必要な事と思います」
⇒異論はございません。

お礼日時:2017/07/09 10:09

そう思っていましたが、前川さんが、物の見事に私の考えを地べたに叩きつけてくれました。

高学歴・高学力って金と権利の亡者のエロ親父になるって。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「高学歴・高学力って金と権利の亡者のエロ親父になるって」
⇒そういうおじさんは時々見ますね。

お礼日時:2017/07/09 10:03

言葉は日々変化しますので、学歴もあってさらに学力もあれば、現代ではあきらかに「教養あり」と言うのが自然です。


そういった抵抗感は、加齢に伴い増えていくと感じます。
 文化庁の2015年の調査で「重複」をジュウフクと読む人が70%を超えました。これにより、チョウフクでもジュウフクでも
正しくなったそうです。いまに、チョウフクと読む人が間違いになっていくことでしょう。
 教養も素敵な要素ですが、変化に果敢に対応していく気力以上に大切なものはないかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「現代ではあきらかに「教養あり」と言うのが自然です」
⇒そういうお考えなのですね。

お礼日時:2017/07/09 10:01

学歴や学力は「無いより有ったほうがいい。

」位にしか思えません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうですね。

お礼日時:2017/07/09 09:40

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