先日、下記の質問がありました。
【なかったらなかったで ていう文型の で はどういう意味ですか?答えていただけると幸いです】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9819278.html
質問に関して考えているうちに迷路に入りました。
「~たら~で」で似た形に、
「~れば~で」
「~なら~で」などもあります。
それぞれの違いを考えるために時制のパターンを考えたら……何がなんだかわかりません(泣)。
なんで下記のようなことになるのでしょう。
本題であるデの働きは、そうむずかしくない。問題は、この文型に入る言葉。
品詞は、動詞、形容詞、形容動詞だろう。
時制?は、現在(未来)と過去?かな。
バリエーションがいろいろあるような。
とりあえず「ない」「なかった」で考える。動詞的な性質をもつ形容詞は特殊なんでちょっと危険かなぁ。
1)なかったらなかったで
1)’なかったらないで
2)なければないで
2)’なければなかったで
3)ないならないで
3)’ないならなかったで
1)2)3)と、仮定条件の四天王?のうち3つが並ぶ。「と」がない理由はわかりません。
【「~たら」と「~れば」をめぐって〈2〉&〈3〉 「ば」「と」「たら」「なら」】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1624. …
1)~3)は、ほぼ同義と考えていいだろう。微妙なニュアンスの違いは……当方にはわかりません。
1)は、四天王のなかでイチバン守備範囲が広いと言われる「たら」。
なぜか前半は過去形(と書いておく)限定。後半は、1)’の形にできなくはないけど、ちょっと不自然だろうな。
2)3)はなぜか前半は現在(未来)形限定。後半も揃えるほうが自然だろう。
当然のことだが、通常の言葉は「ある」「ない」ではなく「辞書形」「~ない」になる。
ただ、「ある」にしてみると妙なことに気づく。
4)あったらあったで
4)’あったらあるで
5)あればあるで
5)’あればあったで
6)あるならあるで
6)’あるならあったで
5)でもおかしくはないけど、5)’ほうが自然じゃないか?
6)と6)’は両方OKかな。どちらかと言うと、6)のほうが自然だろう。
理由は……わからんって。
この時制の制約は、品詞によって違ってくるようだ。
形容詞は、「ない」タイプ。
動詞は、「ある」タイプ。
形容動詞はまた妙なことに。
7)静かだったら静かだったで
7)’静かだったら静かで
8)静かであれば静かで
8)’静かであれば静かだったで
9)静かなら静かで
9)’静かなら静かだったで
7)が自然なのは、形容詞、動詞と同様。
8)より8)’のほうが自然に感じるのは、「ある」タイプ。
9)’より9)のほうが自然に感じると言うより、9)’はほとんどアウトだろう。
No.12ベストアンサー
- 回答日時:
本来、この質問は尻切れトンボの文「なかったらなかったで」で終わっていて、どういう言葉が後に続くのか明示されていません。
そういう「で」がどういう意味を表しているのか分からないのです。たとえば「なかったらなかったで(構わない・問題ない・その時のことだ)のように補うとすれば、やはり『断定の助動詞「だ」の連用形』と考えられます。その点では、アスナロウさんに同感です。(その他の説明にはついていけませんが)天下の京大の学位論文と、その審査員(多分、教授)の意見を一刀両断式に酷評されているのは、ちょっとした驚きではあります。
ただ、この「だ」の接続の仕方については、改めて問題を感じます。
>終止形の場合、「なかったらなかっただ」になります。
「なかった<だ>」のような接続、「た」という助動詞に直接付く「だ」は「言っただ」「よかっただ」のように東北方言に似た響きがあります。このような「だ」の使い方については思うところがありますので、いずれ改めて述べてみたいと思います。
>そういう「で」がどういう意味を表しているのか分からないのです
それを考えはじめると、いろいろメンドーな話が出てくるような。
>やはり『断定の助動詞「だ」の連用形』と考えられます
OKATさんがそう思うのなら、そうなのでしょう。
当方はまだ首を傾げています。
昔、「医者で作家」の「で」の働きがわからなくて困ったことがありました。
似てますかね?
それにしても、そこを間違っていると〈これを格助詞と勘違いするしかないレベルの理解〉とまで言われるのですね。なんだか、ここでコメントしている人たちをまとめて見下しているんですかね。
〈「続~」と現象の表面をなぞっているに過ぎないことが自覚できていません〉ですって。当方はそういう形式で質問していろいろ勉強になりました。そこまで見下されるようなことですかね。あんなおおざっぱな書き方では何がなんだか。
そういう質問にお付き合いしてくれているOKATさんも、相当見下されているんでしょうか。申し訳ない。
とっても偉いセンセーのようですが、書いていることが難解なので、なんとも言えません。
以前mixiでこういう自己紹介コメントをいただきました。当方には何が書いてあるのかチンプンカンプン〟です。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=82312 …
===========引用開始
YAHOOの知恵袋で、個別の質問に回答していますので参照下さい。
https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/myspace_ansdet …
理論的な展開は、ブログ「言語・文法・歴史 ― 情況への異和」
http://gutokusyaku1.mediacat-blog.jp/
を参照下さい。■
===========引用終了
No.13
- 回答日時:
NO.11へのコメントとNO.12のご意見に対して
>〈「仮定」という認識の本質〉とやらは、当方の質問とどのような関連性があるのでしょうか。
元々、質問自体が「何がなんだかわかりません(泣)」という何を質問しているのかが、不明な内容です。
まず、本来の質問は「で はどういう意味ですか」ですが、これは当方が回答した通り、【「で」は判断辞「だ」の連用形で、中止法の用法】です。質問者は、これを格助詞と勘違いするしかないレベルの理解で、そこから問題を提起しようとしているため、問題提起事態が陳腐んカンプンの状態です。
何度も指摘しているように、言語は話者の認識の表現です。質問者のいつものパターン、「それぞれの違いを考えるために時制のパターンを考えたら…」というのは、単に現象を羅列し、弄ぶに過ぎないもので対象の本質、論理、法則という科学的な解明ではありません。それゆえ、毎回パターンを変え、「続~」と現象の表面をなぞっているに過ぎないことが自覚できていません。
しつこく指摘している通り、表現を直接支えているのは話者の認識です。この動きをとらえることなく、文の接続や仮定・条件法の分析は不可能で、この具体例を提示したものです。助詞「ハとガの分析」も同様です。細部まで絶対に正しいなどと主張しているわけではありませんが、紹介された論文「(不)完全時制と日本語条件文」のような藪睨みとは異なり本質は誤っていないと考えています。この論文は、『日本語条件文と時制節性』(2007.5:くろしお出版)として刊行されています。
こうした、対象の論理的、本質の解明なしに現象を弄んでも何の意味も、進歩・発展もないものと考えています。//
>「なかった<だ>」のような接続、「た」という助動詞に直接付く「だ」は「言っただ」「よかっただ」のように東北方言に似た響きがあります。
これは、たしか栃木当たりの北関東の方言にもあるかと思います。「おら、やるだ」「いくだ、べ」のような使い方です。かつて、
おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ おらは死んじまっただ 天国に行っただ
と、ザ・フォーク・クルセイダーズの「帰って来たヨッパライ」がヒットしました。
「花が咲く。」のように動詞、形容詞の終止形で文を終了するのが文法化、規範化していますが、この後ろに判断辞が省略されているのを指摘したのが時枝誠記です。「花が咲く■。」で、これは敬語化した場合、「花が咲きます。」と判断辞「ます」が表現されます。さらに、「花が咲きます(した)です。」と、判断辞を累加し強調することは認識論的に見れば合理的であることが理解できます。◆
No.11
- 回答日時:
「と」と「なら」
「と」には、「あれとこれと」のよううに並んでいる、並べるという意識が表現されています。「薬変じて毒となった」「彼も有名人となった」は、二つの事物を並べて、あれからこれへと移行した意識の場合の表現です。これらは格助詞ですが、ここから観念的移行を表す、接続助詞の使用方が生まれます。良く知られているのは、「と」を過去の文脈で使用した『雪国』の冒頭です。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
読者は、作者に導かれ空っ風の上州の方からJR上越線の清水トンネルを抜け、越後の雪国に観念的に移行させられます。「と」は観念的な移行を表わし、そこでの発見、発生に繋がっていきます。
「なら」は断定の助動詞「だ」の仮定形から接続助詞に転じたもので、排他的な二者択一の選択による仮定を表わし、その後にそれに基づく話者の判断、意図が述べられます。
ブランド物なら是非欲しい。(そうでなければ、いらない。)
(他の人は別にして)君が行くなら僕も行く。
大学へ行くなら経済的援助をしても良い。(行かないなら自活しなさい。)
このように、仮定・条件法の表現は言語表現の背後に隠されている話者の認識の動きをとらえることなしには解明できません。現在の形式主義、機能主義的言語論、文法論では歯が立ちません。■
No.10
- 回答日時:
仮定法について
>言葉に関する感性の問題です。
言語は話者の認識の表現なので、「仮定」という認識の本質をとらえないとこの問題は解明できません。
「仮定」とは、現実の話者の眼前の事実ではなく、想定、空想をすることです。英語に仮定法、現在・過去・過去完了・未来があるように、話者は空想に対峙するため、観念的自己分裂を起こし、過去か未来に観念的に移行し、仮定を現実として設定します。そして、それが過程であることを「たら」「ば」「なら」と表現します。
「たら」「ば」「なら」の相違は、この仮定に移行した後の観念的な話者の動きの違いです。
「たら」は、観念的な話者は過去に移行し「仮定」を現実としたまま、過去に留まります。
一億円の宝くじが当たったら、さっそくマイホームを建てよう。
ここでは、一億円が手に入ったのを事実としその後の事態認識が述べられています。
先生が来なかったら、来なかったで、きちんと自習しよう。
ここでは、「来なかったら」で「来ない」を既定の事実とし、「来なかったで」と「来なかった」を判断の助動詞「だ」の連用形「で」で肯定判断し、一旦中止し、次に、「きちんと自習しよう」と対応を述べています。
このように、「たら」は、その仮定を既定の事実とした状態にありますから、「なかったら」としたら、そにの後は「ない」という否定の現実の下に次の事態が述べられます。したがって、「なかったで」と「なかった」が肯定判断されます。
これを否定するには、「なかったらと願ったが、それもむなしく」と逆接にするしかありません。
これに、対し「ば」は過去ではなく未来に移行し、仮定を述べた後、現実に戻ってしまいます。
一億円の宝くじが当たれば、マイホームが買えるのだがなあ!
ここでは、「当たれば」と仮定した後、現実に戻り実際には当たっていないため、希望を述べることになります。
このように、仮定法は話者の認識の構造と運動をとらえることなしには解明不可能であり、現在の形式主義、機能主義的な言語論、文法論では扱うことはできません。
NO1の回答で紹介された論文「日本語条件文と時制」もまたこの典型で、時制の本質をとらえることが出来ずに命題の真偽を仮定にすり替えた形式的議論に過ぎません。この程度の指導しかできず、「本研究は日本語条件文のほとんど最初の本格的な言語学的研究であるといえる。」などと見当外れの評価しかできないのが現在の学会、学界の現状です。質問者の疑問に答える内容ではありません。■
今度は〈「仮定」という認識の本質〉ですか……。
ところで、「なら」はどこに行ってしまったのでしょうか。
できれば「と」の本質もお願いします。
No.9
- 回答日時:
>四天王?のうちの三羽烏?を見比べると、接続に違いがある気がしたもんで。
無意味ですかね?
四天王とは「~ば・~なら・~たら及び~と」のことでしょうね。「~と」を除けば「三羽烏」「仮定条件」を言うときはすべて時制に関係があるというような発想だったら、しかたありませんが、「ば」「たら」「なら」の中で関係ありそうなのは「たら」だけで、「ば」「なら」には時制は無関係です。いわゆる三羽烏をもう少し分析すれば、
~すれ『ば』
~たら『ば』
~なら『ば』
「すれ」は「する」の仮定形、「たら」は「過去・完了」の助動詞「た」の仮定形、「なら」は「断定」の助動詞「だ」の仮定形。いずれも、「仮定形」が「仮定条件」を表すのではなく、接続助詞の「ば」が「仮定条件」を表します。(他に「確定条件」「恒常条件」などを表す)
その外に「仮定条件」を表すのは、接続助詞の「と」。言い換えれば、「仮定条件」は「ば」と「と」という二つの接続助詞で表されました。しかし、「四天王」などと言われ四つの形が「仮定条件」を表すようになったのは、「たらば」や「ならば」の「ば」が省略されても、(「たら」や「なら」が)「仮定条件」をあらわすようになったからです。(「ならば」の方はまだ使う人がある)「たら」についてみると、江戸時代後期には、
「たろ・たり・た・た・たら(たれ)・○」
であった活用が、現代になって
「たろ・○・た・た・たら・○」
と変わり、仮定形が完全に「たら」に定着しました。ところで、江戸後期にはあった「たり」という連用形が消えてしまっているのは、「たり」が「行ったり来たり」の意味としてしか使われなくなったため、それは助動詞の用法ではなく、「助詞」化してしまったからです。「たら」も同じく「助詞」として認識されているようです。(日本語文法)したがって、いずれ「た」の活用表から消える可能性があります。(日本文法大辞典による)
ところで、何を言いたかったかと言うと、「たら」などの表面に現れる「時制」ではなく、たとえば仮定条件における「未来予想」のような時制の考え方を言うなら、反対ではありませんが、そこまで細かく言うべきものでしょうか。
>四天王とは「~ば・~なら・~たら及び~と」のことでしょうね。「~と」を除けば「三羽烏」
そのとおりです。
>「仮定条件」を言うときはすべて時制に関係があるというような発想
そんなことまったく考えてません。
「~ば・~なら・~たら」の前は、時制にほとんど関係なく決まっていますよね。
問題は後ろです。
過去形(と呼んでおきます)になったり現在形(と呼んでおきます)になったり……。
品詞が関係するのかしないのか、法則がさっぱりわかりません。
>「たり」という連用形が消えてしまっている
そうなんですね。
>「たら」も同じく「助詞」として認識されているようです。(日本語文法)したがって、いずれ「た」の活用表から消える可能性があります
そうか。勉強になります。
確率が低くなったとはいえ、たま〜にこういう話が聞けるもんで、質問板チェックがやめられません。
No.8
- 回答日時:
>そんな書き方をしてしまったら、意見交換にならないのでは
意見交換どころか、自分の頭で考えるのも日本人なら日本語ですよ。
そんな状態だから、日本の小、中?学生の国語の読解力が世界各国に比べて最低レベルなんです。
簡単に想定してみれば、あるなら・・、ああしよう、こうしてみたら、そうするのも面白いかも・・・。
ない、という事実が確認されたら、これらの話は全てパー。
あったなら、(あるということにすれば)、(ああしよう)ではなく、ああすることができる、こうしてみることも、そうしてみるのも・・・・。
ない、という事実が確認されたら、もちろん内容にもよりますが、「ある」に代わるものがないのか?。
言葉は文法がすべてではありません。
例 助動詞、れる、られる、文法では、可能、受け身、自発・・との説明」しか説明ありません。
切れる、これはどれに該当するのか、判断できません。
ロープが切れる、一応自発に該当ですが、ナイフでロープが切れる、だと可能の可能性もあります、文章全体が理解できて初めて、可能、受け身、自発のどれに該当するのか判断できます。
感性がないと、法律の文章等は理解できても、文学作品などはどうでしょう。
No.7
- 回答日時:
>仮定のこともあるのでは
言葉に関する感性の問題です。
もしあるなら・・・・・のままで話を進めるか。
もしあったとしたら(よく言われる、ある、ことにして・・)・・で話を進めるか。
何が違うのか?、あるなら、仮定のままでは「ない」の出現ですべてパー。
ある、ことにして、「ない」の想定は不要、もし「ない」が出現しても「ある」を求めて別の模索。
申し訳ありませんが、意味がわかりません。
>言葉に関する感性の問題です。
そんな書き方をしてしまったら、意見交換にならないのでは。
「あればあったで何か方策を考えるつもりだったが、やっぱりなかったのか」
「あった、以降は現実の話」なんでしょうか。
No.5
- 回答日時:
NO3 の 補足
「なかったらなかったで」は仮定法現在の場合、「なければないで」「ないならないで」となり、「で」はいずれも判断辞「だ」の連用形です。
終止形の場合、「なかったらなかっただ」になります。
「なかったらなかったで、その時はなんとかしよう。」と「「なければないで、大問題になりそうだ。」では、話者の認識の観念的な運動、移動が異なります。
「大学を卒業したら、大企業に入り、活躍したい。」と「大学を卒業すれば、好きなことが出来る。」のように、仮定、条件法の「たら」と「ば」は使用法が異なり、話者の認識の動きをとらえないと正しい意味の解明はできません。現在の用語辞典類の解説をみれば、その混乱・混迷が良く分かります。
形式的、機能主義的な解釈では仮定法の解明は絶対にできません。■
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