【お題】引っかけ問題(締め切り10月27日(日)23時)

唯心というか現象学というか 自分の認識しうるものだけが世界 という考えがあるようですが

僕が死んだら世界は消えるのでしょうか?

あなたが死んだら?世界は消えるのでしょうか?

僕が死んでも世界は在り続けるのではないでしょうか?

そう考えないと理屈に合わないのではないでしょうか?

我思う故に我在り も結構ですが。総合的に考えればあなたが死んでも私が消えても

世界はあり続けるのではないでしょうか?

その当たり前のことが了解できなければ話は始まらないのではないでしょうか?

理性的というのはそういう事ではないでしょうか?

科学はそういう考えをしてると思いますが 科学の先端は矢張りおかしな考えがあります。

あなたが存在するのも私が存在するのも浅田真央さんが存在するのも充分確からしいのではないでしょうか?

A 回答 (15件中1~10件)

お礼ありがとうございます。


現象学や実存主義が、外的世界の実在を否定するような、強い独我論的な考えを生み出すとは、考えにくいですが、そのような意見を言う人がいると言う事は、そのような解釈をする人がいると言う事なんでしょうね。
しかし、そのような考えならば、科学なども成立しないわけで、デカルトにしても、認識の懐疑主義を提示しましたが、それは、どう確証するかと言う事を説明する為の方法だったわけです。(デカルトは、結局は客観的世界が存在すると言う方向へ進んだわけです)
フッサールは、デカルトは、根本的な問題を回避したと考えて、無根拠に客観的世界の実在を受け入れ、数学的物理学で世界を解明しようとするガリレオ的実験主義の科学は、危機的状況にあると考えました。
科学自体は、ニュートン以降、実体の本質などの形而上学的問題の解決を抜きにして、物理的実体の物理現象の数式的関係性の解明に特化したわけですが、無根拠にそれを進めるのは、人間精神において、根本的な問題解決を回避している状況と捉えたと言う事です。
そこで、現象学的方法論によって、その解決を図ろうとしたわけです。
したがって、その思想自体が強い独我論を誘発するものでは無く、その後に続いた実存主義も同様のはずです。
方法論としては、観念論であり、そこに独我論的要素が皆無とは言えませんが、外的世界を拒絶する考えでは無く、あくまで外的存在と主観が構成する世界観の関係性の根拠を追求する立場と考えるべきです。
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この回答へのお礼

Thank you

成る程 そうですね。その通りだと思います。

ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/11 17:34

蛇足ですが、質問文では、「唯心というか現象学というか 自分の認識しうるものだけが世界 という考えがあるようですが」と書かれていて、質問は、「僕が死んだら世界は消えるのでしょうか? あなたが死んだら?世界は消えるのでしょうか?」です。


この「世界」は、外的世界ですか?、それとも主観が認識する世界ですか?
質問文では、「主観が認識する世界=外的世界」と考えているようですが、少なくとも、現象学ではそのような考えはありません。
人間の能力は限られているので、主観は、外的世界全てを認識する事は不可能と考えられます。
したがって、主観が認識する世界≠外的世界と考えるのが普通です。
現象学以前は、外的世界を全て認識できる存在が認識する「客観的世界=外的世界=世界」と考えていましたが、現象学では、そのような客観的世界は主観の認識する世界とは一致しません。
したがって、フッサールは、主観から超越した領域を内的世界に想定して感覚が与えるものが、他者においても一定であれば、それを外的世界の確証の根拠として考えられるのでは無いかと考えたわけです。
フッサール以後の現象学は、必ずしも、フッサールの考え方と一致した方向へ進んだわけではありませんが、基本的には、客観的世界というものを無根拠に受け入れないで、その存在の確証の方法を思考すると言う考えは変わりません。
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この回答へのお礼

Thank you

最近、現象学や実存主義の影響で 自分が死んだら世界もなくなる と言う人が多いので

この様な質問をしてみました。客観的世界がおそらくは正しいのでしょうけど

現象学の主張も分かる様に思います。主観で客観を確信できればいいのですが

人間には能力は限られてますねえ。ありがとうございます。

お礼日時:2017/08/11 13:42

お礼ありがとうございます。


現象学においては、主観が消えても、感覚に作用する外的存在が消えると言う確証はありません。
つまり、消えるかどうかはわからないです。
消えないと言う確証も無いし、消えるとも言えないと言う事です。
ただし、フッサールは、他者の存在を認めるならば、主観が消えても、外的世界は消えないと考えていたと思いますよ。
現象学が目的とするのは、外的世界の存在を確証する根拠を、無根拠な思い込みから離れて、感覚自体のありのままの姿を省察して、そこに一定の在り方があるなら、それを本質や存在の確証の根拠とできるのではないかと言う試みです。
つまり、外的存在が絶対的に存在するかどうかと言うより、主観がその存在を確証できる根拠を追求する事を目的とする事です。
主観が消えると、外的世界が消えるかどうかを問題としているわけでは無いです。
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この回答へのお礼

Thank you

成る程 そうでしたか。私の勉強不足のようです

大変勉強になりました どうもありがとうございます。

お礼日時:2017/08/11 13:36

お礼ありがとうございます。


「主観を重視する」と、「主観しかない」は、同じ意味ですか?
「客観世界の存在を確証しない」と「世界は存在しない」は、同じ意味ですか?
現象学においても、感覚を通じて主観に働きかける対象は存在しますが、これは主観が消えると、無くなりますか?
現象学においての、他者との対話はどういう意味でしょう?
フッサールにおいては、主観と感覚の間に超越がありますが、これはどういう意味でしょうか?
上記の事を良く考えてみてください。
自分が消えると、世界が消えると言っていますか?
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この回答へのお礼

ありがとう

私は現象学において 自分が消えると世界が消えると書いてる訳ではありません。

世界は消えるか?と質問してるだけです。どうもすみません。

お礼日時:2017/08/11 10:10

現象学でそんな事言っている人がいますか?


本当に、現象学を理解していますか?
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この回答へのお礼

詳しくはないですが 現象学も主観を重んじ 外界の客観世界をとりあえず認めないのではないですか?

そうでなければ教えてください。

お礼日時:2017/08/09 10:28

僕が死んだら……って、なぜ死ぬのが前提なんですか?


死なないかもしんないよ!

皆死んじゃってるから僕も死ぬ?
なら、皆死んでも世界は消えてないから僕が死んでも世界は消えないよね。

それに、その人が死んだかどうかは、その人じゃなく周りの人の認識。
周りの人が死んだことを認識してるなら、世界は続いてるってことでしょ。
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この回答へのお礼

ありがとう

いや 自分の認識し得る世界しか存在していないも一緒 という考えが最近流行で

それが余りにおかしいので質問してみたのです。誰が死んだって消えたって世界は残るでしょう

人類が死に絶えたって世界は在る。地球が太陽に飲み込まれても宇宙人はいるかもしれない

人類が地球を飛び出して宇宙人になってるかもしれない。AI、アンドロイドかも知れない

ビッグクランチしてもビッグバンが起こってもその外に別の宇宙があって知的存在が在るかもしれない

だから自分が消えたら全て消えるなんて 可笑しくてどうしてそう思うのかなお思うのです。

お礼日時:2017/08/07 22:18

あなたが活きている間は認識論でオーケー。


あなたが死んだ後の事は唯物論でオーケー。
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この回答へのお礼

Thank you

唯物論&認識論=存在性思想。

僕が生きてても唯物論オーケー。

僕が死んだ後も認識論オーケー。人々の営みの中に因果の中に私は活かされている。認識はなくなっても

私の生きた証は残る。

お礼日時:2017/08/07 22:22

「我思う故に我在り も結構ですが。

総合的に考えればあなたが死んでも私が消えても世界はあり続けるのではないでしょうか?」
⇒もちろん、その通りです。
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この回答へのお礼

Thank you

明快な回答をありがとうございます。そう考えるのが最善かと思います。

お礼日時:2017/08/05 10:55

中途半端な理解で、結果的な&部分的な結論だけを捉えても、


その批判は無意味である。
物理的な本質を理解せずに、「自分が死んだら宇宙は消える」
と言う時の『自分』は、肉体的な自分であって、量子論的な
不確定性原理に基づく「時間性(T)と空間性(S)の相補分化
(位置(S)と運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)の2対の不確定
性のそれぞれが相補性をなし、一方を確定しようとすると他方
が無限不確定に発散する(=無))」による、「自我仮説(記憶
=過去=時間)と環境仮説(予測=未来=空間)の対発生」という
場合の「自己=意識=宇宙」にまで理解の深まっていない
自己チューな不完全自覚に過ぎない。

「意識=宇宙」にまで至れば、そこにおける「他人」は、
自我仮説成立のための「無=不確定性無限の潜在的な認識
可能性(異なるh(時点)=宇宙膨張)の時系列化」における、
『潜在的認識可能性の時系列化』から外れた認識可能性、
自我成立プロセスの射影=自己の必要である事が理解される。
そうした「自我成立プロセスの射影」は、生物的な新陳代謝
における環境との物質循環や、生殖のための交配、社会的な
分業など、環境との相互作用=他我=愛として射影している。
そして愛によって、死による肉体の消滅を超えた意志が可能
になり、その他我(他への愛と信頼)において、世界の果て
や永遠の未来における意志とその達成が信じられ、あらゆる
一瞬に無限の充足が感じられるだろう。
短絡的な肉体的自覚による、即物的欲求や自己顕示欲は、
死による肉体の消失において敗北に尽きる。
「あなたが死んだら世界は消えるか?」の回答画像7
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この回答へのお礼

うーん・・・

そんなに難しく書かれても普通の人には分からないと思いますし

私も途中で読むのをやめました。

記憶=過去=時間 とか 予測=未来=空間 とか 自己=意識=宇宙 とかを

イクオールで結ぶのはちょっと無理があるのではないでしょうか?

これらの仮説が分からないと言うのが先生の説が理解されない原因なのではないでしょうか?

「超光速の過去化」とか言われても分からないですねえ。

答えの意味がわからないでは 答えにならないとしか言いようがありません。

お礼日時:2017/08/05 10:54

バーチャルアナウンサー「沢村碧」を実現する「アバターエージェントサービス」を提供開始


2017.08.03
https://corp.kyodo-d.jp/information/2017/0803/37 …

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haru27さんはメルマガを発行しているのでしょう?
それはそれぞれの読者に残るのではないですか?

バーチャルアナウンサーとかよくわかりませんが、
ちょうど、共同通信の記事なので、
そのうち生身の人間はロボットになってしまうのではないですか?

そうやって存在していくのでは?

ここまで書いて調べて静岡放送でもはや
カテゴリーがめちゃくちゃになっないか?

初音ミクの発展形ではないのね。扱いが。

ということは、バーチャルアナウンサーを見て、初音ミクだ
とか言ってしまうと、全然違うよということなのでしょうか?
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