大津事件や、児島惟謙は、なぜ、護法の神といわれているのですか?

A 回答 (1件)

大津事件は当時皇太子であったロシアのニコライ2世が、1891年に大津で日本人に切りつけられて負傷した事件。


ロシア皇帝のアレクサンドル3世は暗に死刑を求めたのと、当時の大国ロシアと事を構えたくない明治政府首脳も、犯人を死刑で事を収めようとした。
この間、明治天皇が直ぐに直接ニコライ2世を見舞うなど迅速に動いた等があった。

極刑にするとか暗殺するとか極端な意見も明治政府内であったのですが、
当時の刑法で日本の皇族への傷害事件は死刑の規定があり、それをロシア王室に対しても適応出来ないかという意見も有ったがそれは無理筋過ぎて、
司法(裁判所)は法律的に民間人への傷害事件として扱うしかなかった。
児島惟謙らは法律に基づいて処罰するしかないと正論を押し通した。

海外列強の圧力で開国した明治日本が法治国家とし歩めるかどうかの、結構瀬戸際に立たされた事件です。
この時負傷したニコライ2世は日露戦争時の皇帝で、ロシア最後の皇帝です。
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