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日本の宗教の歴史を教えてください!

A 回答 (5件)

自分で調べろ、Wikipediaで大体はわかる

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この質問を見て自分の不勉強を知るw



まず神道、土着信仰のこれは今の神道とはかなり違っていて、九州の沖ノ島や沖縄のほうに残るような、野外で宴会するようなものでした。日本神話の天岩戸の話に残っているようなものです。仏教がやってきてから寺の山門に真似て人がくぐれる鳥居が、寺の本堂にまねて社が、寺の住職にまねて神主が生まれたのです。ちなみに、古墳時代の宗教については未だによく分かっていません。前方後円墳が何の意味なのかとか、割られた鏡の意味は何かとか、どのような祭祀が行われていたのかとか、まったく残っていないんですね。

そんな土着信仰の神道の国に仏教が来ました。この仏教も今の日本の葬式仏教とは違って、土木建築技術やら資源を見つける地形学やらこの世の理の最新技術やらが詰まったようなものです。なので国家安泰やらこの世の正しい生き方やらが主題です。なので個人の幸せなんて説いたりしません、死体をみて葬式をあげるどころか、けがらわしいと言ってどっかに捨ててくるくらいです。
後からやってきた仏教にたいして『神道の神様は仏教の仏様の化身だったのだ』と納得しました。なので仏教だ神道だなどというのではなく、同じ神様仏様を信仰していました。あと同時期?に中国の妖狐の話も入ってきて、日本古来の何かの信仰と融合して稲荷神社になりました。

平安時代の終わり頃になると、仏教も国家安泰だけじゃなく個人に利益還元しましょう(個人の幸せを説きましょう)的な宗派が出てきます。今の葬式仏教のはしりですね。

戦国時代ころになると、個人に利益還元の宗派が一大勢力となって戦国大名とタメを張るくらいになていました。比叡山焼き討ちや大坂の浄土真宗の石山本願寺などは有名ですね。このころキリスト教も入ってきましたが、ご存じの通り日本においては悲劇的な経緯を歩みます。

江戸中期ころに国学が盛んになり、仏教=神道ではなく本来の神道の在り方を取り戻すべきだみたいな動きが出てきます。今の伊勢神宮や出雲大社などは、このころのモノを今に継承していると思ってだいたいOKでしょう。

明治になるときに、西洋の各国がキリスト教を国家の基幹にしているように、日本も神道を国家の基幹にしようという考えが出て、各宗教機関にお前は仏教か神道か?と突き付け仏教と神道を分離しました。多くの日本の宗教家は、これから日本は神道中心の国になると見て仏教を捨てたりしました。しかし西洋各国の基本理念が政教分離であることを知ると日本も政教分離にしますが、『神道は宗教ではない』という無理を通して、天皇=神道のTOP=神様、みたいな構図を作り上げて、後は御存じの通りです。
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まず、自然発生的に、神道、という宗教が


誕生しました。
これは先祖や自然を想い尊ぶ、という素朴な
宗教です。

その後、中国や朝鮮経由でインド仏教が伝来
します。
そして、神道と融合し、日本独特の仏教に
なります。

神道の主催者である天皇ですら仏教徒になったり
しました。

時代が進み、戦国時代にキリスト教が入って
きました。
信長はこれを歓迎しましたが、秀吉の時代に
入って、神父が日本人を奴隷売買していることが
発覚。
また、キリスト教が侵略の先兵をやっていることも
判明しました。
これを契機に、禁圧の方向に向かいます。

そして徳川時代に島原の乱が発生したため、
キリスト教は禁圧されるようになりました。
禁圧の一環として、檀家制度を創設し、皆
仏教徒にさせられます。


幕末、明治にかけて、欧米がキリスト教を軸に
国民をまとめていることに倣い、
神社神道という神道を中心に国民をまとめようと
し、廃仏毀釈などをやりました。
神社神道は天皇の宗教です。

靖国神社はその名残です。
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このあたりを読んで勉強しましょう。



http://1950rekisi.blog.so-net.ne.jp/2014-02-21-1
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聖徳太子が仏教導入推進派だったってさ

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