プロが教えるわが家の防犯対策術!

私の子供時代は特別支援学校(学級)という呼び方はなく、障害児教育のための学校は養護学校、学級は特別学級と呼ぶのが一般的でした。

そして、『バカ』という悪口によりいっそうの悪意を込めた蔑称として『養護』または『ヨーゴ』などと呼ぶ手合いが多数いました。
あと、養護学校や特別学級の名前や養護学校が立つ土地の名前を同様に相当な悪意を込めた蔑称として使う手合いもいました。

こういう手合いが差別意識の持ち主であることは明白ですが、言われて腹を立てる側はどうなのでしょう?
私は言われた側であり、とても腹を立てました。
今でいう支援学校や学級で学ぶ方々を見下すつもりはなく、あくまでも相手の悪意そのものへの反応でした。
私を侮辱したこと、そして、そういう意味合いで擁護という言葉や学校や学級や土地の名を使う悪意に対してです。

でも、自分の障害(片耳の失聴)は特別支援学校や学級に行くほどのものではないのにそう扱われた、という怒りもあったわけで。
支援学校や学級の方をやっぱり見下してるから腹を立てるのだと突っ込まれると、否定しきれません。

さて、この怒りはやはり差別なのでしょうか?

「養護と呼ばれて腹を立てるのは差別か?」の質問画像

質問者からの補足コメント

  • へこむわー

    私は別に、『養護』という言葉が差別用語で本来の意味で使用することすら差別なのかと聞いてるわけではありません。
    本文にあるように、本来の用法ではなく相手をバカにするために使う蔑称、隠語として使われていたのです。
    「お前、擁護かよ」「ヨーゴ! ヨーゴ!」
    といった具合に嘲ったりはやし立てるわけです。

    例えば『ズムトラッタラ学園』という特別支援学校とか『ベッタラムニュット学級』という特別支援学級があったとして、この『ズムトラッタラ』とか『ベッタラムニュット』という単語を蔑称として使うわけです。

    そして、そう呼ばれた側が腹を立てることは差別なのか? というのがこの質問の趣旨であることをご理解ください。

    No.2の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/03/06 21:39

A 回答 (2件)

文部省時代に学校教育法、厚生省時代に養護学校法があった以上、それが正しい呼び方で現在から遡って文句を言うのは法学的に無意味です。

新法を遡って適用するのは却って危険、ですから法律も判決も新たな証拠が見つからなければ遡りません、一時不再理です。
例えば池波正太郎の鬼平の冒頭に文藝春秋社は「当時はその様に呼ばれていたし、作者に仕事を貶める意図も無かったのだから、原文のまま直さない」という註を入れています。
さらに、過去には治療法、治療薬が無かった疾病などは「注記する」という方法を採ります。
この回答への補足あり
    • good
    • 0

「◯◯と言われて腹が立った」と言う人の気持ちの中には、「私を◯◯と一緒にするな!」とか、「私のことを◯◯と呼ぶとは許せない!」という気持ちが、少なからずあると思われます。



相手への悪意そのものの反応には違いないですが、その「悪意」に気がついた時点で、おそらく上記のような思考になっているはずです。

そう捉えないと、悪意とは受け取れないし、また侮辱されたという感情も湧きませんから。

つまり、その感情は差別的な気持ちから起きるものだと思われます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

うーん・・・

やはり根底にはそういう気持ちがありますね…。
『普通級ではついていけないので養護学級に入るべき知能』という意味合いなわけで。
挑発に乗ったらこっちが差別として懲罰を受けかねない姑息さもあって益々腹立ちました。
気にしないのが一番…とはいえそれが難しい。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2018/03/06 21:24

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!