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3人の子持ちの親です

上の子は小学一年生で、真ん中と下のこはまだ乳飲み子です。
確かに子育ては大変で(奥さんの方が数倍大変なんですが)逃げ出したい心境になる事は確かに有りますが、それでも・・

子供を、殺せる(殺してしまう)という心境だけはどうしても理解できません。

自分の命を投げ打ってでも、場合によっては互いの命を犠牲にしてでも子供の命だけは守りたいの言うのが親の心境であると実感しています。

激昂や感情の昂ぶりは誰でも有る事でしょうが、それでも他人は傷付ける事は有るかもしれませんが、自分の身内しかも幼い子供の命を奪うほど感情が昂ぶる・・自分を見失う事が理解できません・・・

理解はしたくはないですが、いったいどういう気持ちなんでしょうか??

A 回答 (7件)

その「親の気持ち」というのは、動物としての本能ですよね。


子供を育てるのは、ほ乳類、鳥類あたりならばほとんどの種でやっていることですからね。

で、母親が生んだばかりの子どもを、すぐに母親から取り上げて、しばらくした後に母親に与えると、食べちゃったりするのをご存じでしょうか。
子どもを育てるのが本能であっても、条件をほんの少しだけ狂わせると、こんなことになります。
もともと、子どもは親に寄生する存在ですから、親に、子どもを育てる、という本能がなかったら、親に殺されてもしかたない存在でしょう。

それから、よく、継母が夫の連れ子を殺す、という痛ましい事件が起こりますが、これも本能から起こるようです。
猿のむれのなかでリーダーが変わると、前のリーダーの子どもが新リーダーによって殺されることがおこなわれるとか。
人間らしい気持ちを常にキープして、冷静に考えないと、他人の子どもを我が子のように育てるというのが非常に難しいということじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

確かに“子殺し”の本能の件は知っています。

でも,それってのは優先順位が,自分の血の保存>自分の共存体(家族)の保存>自分の同属種族の保存 の第1優先部のことですよね・・

逆に言いかえれば,種や共同体の保存は安泰なので,血の保存に対する意識が薄れてきている・・ということなんでしょうか??
だとすれば,やはり増えすぎたんでしょうかね・・人間は・・

お礼日時:2001/07/13 15:50

理解できないから幸せですよきっと。


どういう気持ちなんでしょうね。
でも、これだけは言えることですよ。
もしかしたら、自分だって育ち方や親の愛情の受け方次第で、このような悲惨な結果を生んだかもしれないって・・・

殺されるお子さんはもちろんのことですけど、殺してしまう親は可哀想ですね。どういう経緯であったにせよ。場合によっては、とっても苦しんで産んだであろう子供を殺してしまうんですからね。近所の人との交流なんかも最近は少なくなってきているのも原因なのかも・・・親であっても最初から上手に子供とつきあえる人はいませんし、一人で頑張ろうなんて思うと、どうしてもどこかで殺してしまいたい気持ちがやってくるのかも・・・
それだけ、今の世の中はストレスが多いのでしょう。だから一歩間違えれば取り返しのつかない結果になる。さらにまわりの人とのつきあいも軽薄でその人の変化をまわりがつかめないとやっぱり悪い結果がのこるのでしょうね。

子供を殺す側が悪いのは確かですけど、その人がたぶん出していたであろうヘルプサインを見逃してしまう世の中にも責任はあるのでしょう。まあ、これが生存競争とかいえば終わりですけどね。
自分を見失うことが理解できないと言うのは良いことですが、ただ理解できないとか殺された子供は可哀想にで終わらすのではなく、殺してしまった親が何で苦しんでいたのか考え(理解はできないかもしれませんが、理解しようと努力したりこれからに役立てることはできますよ)次が起きないよう対処することこそ今いる子供達やこれから産まれてくる子供そして、今悩んでいる親のためにも大事なことでしょうが・・・
現実は、みなさん他人事ですからね。
(もしかしたら、自分だってそういう境遇に生まれたかもしれないのに、子は親を選べませんからね)

やっぱり、理解できない、しなくていい人は幸せでしょう。(まあ、私もその一人ですけど)
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この回答へのお礼

他人の子供とはいえ,それが事件性を伴う伴わないは別として
命を落とすニュースなどを耳にすると目頭が熱くなります。

神戸の事件もそうですし,坂本弁護士の事件もそうでしたが,憤慨し夜も寝れなかったです。

親をそこまで追い込むもの(追いこませるものが)存在するという現実に恐怖します。それが個人的な要因なのか,社会的な問題かは別として,何かがどこかで狂ってしまったのでは・・と思ってしまう今日この頃です・・

お礼日時:2001/07/13 18:08

 私は基本的に、はじめから親は子を殺せるはずはないと思います。

(例外もあると思いますが)ただ、様々な要因から・・・例えばその親の育った環境が劣悪で、虐待を受けていたり、一人ぼっちの育児で誰もサポートしてくれる人がいなかったりすると、自分自身がコントロールできなくなり、それが児童虐待につながり、そして乳児の場合は簡単に命を落とす事になりかねないのです。
 
 よく、虐待の事件があると「こんな母親、信じられません!」とかいうコメント聞きますよね。でも、元をただすと母親だけでなく、その母親を育てた母親、さらにその母親・・・・・。延々と続くわけです。そんな事を言っても今更仕方ない事ですよね。と言う事は、その鎖を断つためには地域や親近者のサポートが必要なのです。しかし、今の時代、近所の方々と交流を持つ事はあまりないし、核家族化が進み、ますます閉ざされた育児が増えてきているのです。だからこそ、地域や行政のサポートが必要ではないかと私は思いました。

 確かに信じられない事件が最近普通の事のように聞こえて、私も憤慨することもしばしばです。でも、事件の表面ばかり見ていても何も解決しないと思います。その背景にあるものを突き止め、実は親もSOSを求めていると言う事に気づかなければならないと感じます。

 最後に補足しておきますが、必ずしも幼児・児童期に虐待を受けた母親が自分の子供に虐待を行うわけではありません。きちんと育児されている方ももちろんおられます。ただ、確率として、虐待経験を持つ母親が子供に虐待を行っている事が多いと言うだけです。
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この回答へのお礼

私の根底で何に恐怖をするかというと,もしかして自分の内面にもそう言う一面があるのではないだろうか,あったらどうしよう・

・・と思う事です。脈々と殺意を抱いて我が子を殺す親などいるはずもなく,なにかしらかのたがが外れた時それが起こるものだとしたら・・

自分にはありえないと思う事を,いかに受け入れずに自我を保てるか。
自分に自信がある反面,恐怖が頭をよぎります・・

お礼日時:2001/07/13 18:14

私も殺したくなるようなことが 全くなかったわけではないので 小さな我が子を殺してしまう気持ちが多少わかります。

でも個々の生い立ち,環境など知らないので一概に全てが私と同じ気持ちということではないです

子育ては大変ですよね 小学校に入るくらいまでは特に。
もしそれが 夫もあてにならない,頼る肉親もいない,経済的にも余裕が無い上に自分の体調も悪い・・・そんなときに子供にグズグズされてしまったら 思わずカーッとなって投げ飛ばしたくなります。ひとりで育てているという孤独感,つきない悩み・・・もう,八方塞がりになってしまうんです。それは子供に愛情を持てないというのではなくて 逆に「こんなにも世話しているのになんでわからないのよー」という未熟な愛情ゆえの気持ちです
でも 安らかな寝顔を見ると毎晩のように「ごめんね 明日は優しくなるからね」などと後悔の念に苛まれました。

一瞬の激情にかられて殺してしまうのは 一種の過失にも似ていると思います。ですから 幼い我が子を殺してしまったお母さんは後悔している人はほとんどではないかと思います。とても不幸な事です。
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この回答へのお礼

貴重な御意見有り難う御座います。

確かに自分にも過度の期待や過信を子供に抱き,それがなされなかったとき激昂する事もあります。

その延長線上にあるものが,それだとすると・・そんな内面をもし自分も持っていたとしたらと思うと,ものすごい自分に恐怖を感じます。

明日は子供とカブトムシを採りに行きます,”子供と向き合う自分”と向き合う自分を一度じっくり考えてみたいと思ってます。有り難うございました。

お礼日時:2001/07/13 18:20

日本が欧米化してきました。


ドイツ文学の底流に「子供とは親の生活を妨害するものである」という考え方があります。
ヨーロッパの孤児院は.子供の捨て場所ですから.「孤児院にあずける」とは.孤児院で子供を殺してもらうという意味合いがあります。
ドイツでこの考え方が根づいた理由が分かりませんが.ドイツ文学を調べると分かるかもしれません。
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この回答へのお礼

たしかに、日本でも昔は(つい最近まででしょうか・・)
“くちべらし”(使ったらマズイ単語でしたでしょうか・・)なる子殺し(含 棄老)があったことは承知しています。

欧米(米は違いますかね?)の文化においてもその根底にあるのは“貧”であろうかと思ってます。 とすれば,現代では心の“貧”なのでしょうか??

他の方にも言いましたが,自分の奥底に“子供を疎ましく思う”心にブレーキがついていることを願うこの頃です・・・

お礼日時:2001/07/16 09:45

>米は違いますかね?


米国では.子供をものとしか見ない風潮があり.子供を簡単に殺していた時期があります。
州政府は.対応として州法を改正して.子供に対する虐待などに重罰を科す方針を示しました。その為に減少しました。
簡単な例では.自動車の中に子供を放置たら(日本のスーパーではよく見かける風景です).懲役刑(系の名称は疑問.禁固と懲役の区別ができず.刑罰の名称が日本でどうなるかを知りません)になります。

日本における姨捨や間引は.日常的ですね。家の前数kmに関係施設跡地がありますし.勤め先のある地区では.いつの飢饉だったか忘れましたけど.子供を流し.橋の上からもりで突き殺した所です。橋の脇になぜか小学校があります。
ただ.日本における姨捨・間引は.食料の不足と租税軽減(にんとう税であり.子供といえども課税対象となる。一方為政者は.租税減収になるので.積極的に間引きを禁止した。江戸時代に発達した地蔵こうは.間引き禁止を宣伝するものとという人もいる)を目指すものであり.現代社会における子育て拒否とは意味合いが異なります。
現代社会において.育児は男女雇用均等法によって.女性を男性化させ.男性と同じ条件下で雇用することを目的にしました。当然のことですが.育児に手間を取られたらは.仕事をしないで遊んでいるとみなされ.所得低下となります。その結果は.出生率の急激な減少に現れているでしょう。
あと.戦争直後のベビーブームに見られる出生率の増加は.税金対策です。子供がいないと課税対象になるので.結婚・出産で課税を逃れるためであり.当時の税政策の歪みを現在も引きずっています。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありませんでした。

たしかに、パチンコ屋での駐車場内の熱死事件などは
考え様によっては、直接殺害より悪質なのかもしれないですね・・

死ぬ苦しみより、や失う苦しみより、生きる苦しみから逃げる方を最終的に選択してしまうものなのでしょうか??

お礼日時:2001/07/23 00:52

>死ぬ苦しみより、や失う苦しみより、生きる苦しみから逃げる方を最終的に選択してしまうものなのでしょうか??



このあたりになると.心理学や精神医学の分野になってしまい.私の知識の範囲から外れてしまいます。
人の欲求は.最下位に.生存欲求があり.その上に生殖欲求があったかと思います。
なんだかの条件で.生存欲求が満たされなくなれば(重税.所得低下).生殖欲求が制限され.子殺しに発達するわけでですが.子供の存在が.生存欲求の妨害になるような条件にあるのか.なんて考えると.私では分かりません。
所得低下.食料不足.となれば.子殺しに発達するのも理解できますが.現在社会の子供の存在が.みずからの生存の妨害になっていない条件下での子殺しは分かりません。

ただ.企業内での男女雇用均等法による女性就業者の男性かにより.子供の存在がかなり強い.企業内での生存妨害になるのであれば.子殺しに発達するのも理解できます。というのは.以前「地獄の特訓」とかいう宣伝文句で.企業戦士を育てる専門学校がありました。この専門学校の教育方針は.何をしても否定されるという条件を構築し.その中での生存を模索する方法であり.極端な言い方をすれば.生と死の境で2週間生活することになります。この方法が普及しているとなれば.現在の企業内での雇用条件は.生と死の境界をさまよわせ.わずかばかりの失敗が促解雇につながるものであり.育児負担による企業内での労働低下につながれば.促解雇となりますから.育児がみずからの生存条件を脅かしかねない条件下にあることが理解できます。
スバルタ式教育にしても.軍隊式教育にしても.生か死かの境界をさまよわせ.生存を選択したときの.いわゆる「火事場の馬鹿力」を常に出させる教育方針ですから.このような社内教育がなされているとするならば.子殺しに発達するのも理解できます。企業内の教育状態がどのようなものか.公開されることはまずありませんから.この条件にあるかどうかの調査は困難でしょう。
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