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日本軍が真珠湾を占領し、現地人を捕虜にしなかったのはなぜですか?真珠湾攻撃は、日本最大の作戦であり、初戦における勝利だと言われています。日本軍は物量では圧倒的不利で、石油類も南方政策がこれからだと言うときに、アメリカとの長期戦は避けたかったはずです。そこで、真珠湾を占領し現地人を捕虜に取り、早期にアメリカと和平を結び、戦争を終結させるといったシナリオが最適ではないと思われます(私のオリジナルの考えではないです)が、当時の山本五十六は真珠湾攻撃を単なる相手に対する精神的苦痛と戦意をくじくための手段として、あくまで奇襲の考えに固執したのはなぜだったのでしょうか?日本はミッドウェー海戦意向、8つの太平洋の島を拠点としてアメリカに奪回され、太平洋での制海権を失ったと言います。その前にはアリューシャン列島など、27の拠点を日本は占領していたと言います。日本が真珠湾を占領しなかった理由は何なのでしょうか?真珠湾奇襲の夜、アメリカ軍は日本人が全軍をあげて攻撃をしかけると最大限警戒していたそうですが、実際はこなかったといいます。

A 回答 (8件)

兵器、兵員は奇襲するのが精いっぱいだった。

それだけ。ハワイ奇襲で損耗が少なかったのは大勝利と同じ。ミッドウェー海戦では損耗を恐れ兵力の逐次導入で大敗。
アリューシャへは補給が出来ていない。日本は全てに貧弱だった。日本は適当に戦ってソ連を仲介に和平するつもりだった。・・・・まったく世界情勢が見えていない。
負けて当然の戦争に打って出た東条らの幼稚さが日本を潰した。
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①アメリカ世論が間違いなく激昂する


 →アメリカの徹底抗戦となり、山本が意図した1年半以内の短期決戦が不可能になる。

②日本の兵力の限界
 →・兵力不足で、地上軍はとうてい持っていけなかった。まして日本の国力ではハワイのような遠方のアメリカ拠点を占領維持することは到底できない。
  ・攻撃軍でさえ、海軍大学の図上演習では「全滅」の判定が出ていた。(アメリカ軍がいない南方島嶼を攻めるのとはわけが違う。)
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まことに失礼なのですが、「真珠湾を占領し現地人を捕虜に取り」のくだりを読んで思わず失笑してしまいました。



当時も今もハワイは日本からの入植者とその子孫が多く働いていることをご存知ないのでしょうね。現地人を捕虜に取ったら、その内にかなりの割合で日系人が含まれる事になってしまいます。アメリカ側から見たら痛くも痒くもないですよね。

戦争が始まってからは、ハワイの人口の多くを占める日系人はアメリカ合衆国への忠誠心を示すために、本当に命がけで努力を重ねました。

日系人部隊 第442連隊戦闘団
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80 …

日本が真珠湾を占領しなかった理由は何なのでしょうか?というお尋ねですが、専門的には「攻撃三倍の法則」という軍事理論になると思います。

一般的に、防備を固めて守っている敵に対して、攻撃をかけて占領するためには、三倍の戦力で攻めなくては打ち破れないとされているのです。

攻撃三倍の法則
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BB%E6%92%83 …

ハワイには、アメリカ海軍のパールハーバー軍港の他に、陸軍航空隊の飛行場や高射砲陣地や地上部隊の駐屯地などがあり、軍需物資も多量に備蓄されていました。それに対する日本軍がハワイ諸島を攻略しようとすれば、ハワイ諸島に駐留している米軍兵力のおよそ三倍の兵力で上陸作戦を展開する事が必要となりますが、日本からはるばるハワイ諸島まで、それも開戦直前の隠密行動が求められる条件下で、多数の輸送船を連ねて堂々と進撃なんかできません。だから、当時の状況ではハワイ占領という作戦はそもそも無理だったという訳です。

たしかに真珠湾奇襲の夜、アメリカ側は日本軍が総力をあげて攻撃をしかけてくると最大限警戒していましたが、それはあまりの損害に驚いて神経過敏になっていただけで、日本軍の側にはそこまでの動員力は無かったというのが実情だったのです。
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戦術は世界の先端でしたが、戦略はお粗末だったのです。



地球は丸いので、地図を見ると、アリューシャンは日本から遠く見えますが、実際には、トラック島よりはるかに近距離です。そして意外にハワイは遠く、途中の島も少なく、基地航空機よる援護も得られない島嶼なので、補給が困難となります。第一目標は、南方資源で、資源のない東方のハワイは、占領継続の困難さが予測されていたのです。

戦略的には、真珠湾と同時にサンジェゴ、サン・フランシスコを攻撃するべきでしたが、南方資源を手に入れ、その後講和を考えていた戦争方針によってハワイの海軍と工廠、補給基地の攻撃に限定したのです。しかし補給能力の破壊を実行しなかったので、ミッドウェーの敗戦を招いたのです。
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「捕虜(人質)を取れば、和平が結べる」と言う根拠は何ですか?(笑)


その理屈が成立するとすれば、開戦後には、相互に捕虜が大勢居たので、いつでも任意に戦争を終結出来ることになりますヨ。

アメリカに断られたら、お終いでは?
・・ってか、やる気マンマンだったアメリカには、まず100%断られるでしょう。

また、そもそも捕虜は捕虜であり、捕虜の待遇はハーグ条約で決められます。
民間人を人質として和平交渉などすれば、確実に条約に違反するので、日本側に不利な条件で終戦することになるでしょう。
それなら、いっそ「真珠湾など攻撃しなけりゃ良かった・・」で良いんじゃないですかね?

緒戦の真珠湾奇襲攻撃で、米軍にダメージを与え、かなりの戦果があったことは確かで。
その戦果なく、太平洋戦争に突入したら、日本はもっと早く降伏してた可能性が高まるだけでは?と思います。

それと占領なんてのは、相当な兵力,戦力を割くことになりますが、日本側にとってハワイが、そこまで重要拠点かは疑問です。

日本が制海権を失った主たる理由は、制海権を維持する上で重要な、航空戦力の軽視ではないかと。
山本五十六は、その航空戦力の重要性を唱えた人物であって、真珠湾攻撃はそれを実証して見せた戦闘かと思います。
むしろ、その戦果を見て、日本軍が航空戦力に注力しなかった方が、ちょっと不思議。

確かに開戦当初の戦闘機は、爆撃とかでも命中率が低く、さほど大きな戦果が挙げられなかったものの。
英米はレーダーの開発などで、その改善に努め、大きな戦果を挙げてます。
皮肉なことに、日本の「八木アンテナ」が大活躍したらしいですが。
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単純に、占領ができなかったから。

正確には占領状態を維持できなかったからですかね。
 ハワイというのはご存じのとおり太平洋の孤島です。ここで一定期間軍を活動させるためには大量の物資を運び込むことが必要です。一説には、当時の日本陸軍の一個師団の活動をハワイで維持するためには優秀船(8000トン以上)といわれる輸送船が最低でも100隻単位で必要だったといわれています。ハワイ駐留の米陸軍は確か二個師団だったと思いますので、攻略する日本軍は(攻撃側三倍の原則に従えば)六個師団は必要となります。 そうなると計算上は優秀船600隻が必要で、船腹量としては500万t近く。当時の日本が保有する輸送船の船腹量全部ひっくるめて600万tで、そのうち半分は民需用ですからこりゃもう無理もいいとこです。
 じゃあ二個師団で頑張れ、精神力でなんとかせいってやると200万tでなんとかなりそうですが、保有船舶はハワイまで往復できる優秀船ばかりではありません。で、これはあくまで占領軍の維持のための物量。どれくらい捕虜にするかはわかりませんが、少なくとも当時の人口は40万人強ですので少なくとも数十万人を管理し、喰わせなければなりません。やっぱり無理でしょうね。
 
 それから、他の方からのご指摘にもあるようにハワイ島の住民は白人ではありません。しかも日系も多い。アメリカあいてに取引材料にはならなかったんじゃないですかね。

 ちなみに、山本五十六は真珠湾攻撃を単なる相手に対する精神的苦痛と戦意をくじくための手段として考えたわけではなくて、大損害を与えることによってアメリカ世論を厭戦に導き、早期講和に導くという考えを持っていたようですよ。
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占領するにしても維持する事ができない。


 何よりも海軍特別陸戦隊だけではハワイを占領するのは不可能。

 陸軍は南方資源地帯の確保(占領)を最優先に考えていましたからね。
 また陸軍の戦車はソ連戦を想定して作られていた(排気ガスを車内に通して、排気ガスの熱で車内を暖める様な仕様)ので、そもそも無理、また、タイだったか、今のベトナムに陸揚げした日本軍の戦車は数日たったら車体がひび割れしたと言う話がありますからね。
 ソ連に「日本の戦車はブリキのおもちゃ」と揶揄されてましたからね。

 その分、将兵の気合だけで戦う、つまりライフル銃と手榴弾による白兵戦で戦って勝てると考えていましたし、現に中国戦線では日本軍が突撃してきたら、中国軍(国民党軍も共産党軍も)は逃げたり白旗をあげましたからね。

 その様な戦い方でハワイを占領できると思いますか?

 以上。
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この回答へのお礼

南方に資源をもとめて、植民地化を推し進めたわけですからね。

お礼日時:2018/04/11 04:21

結論から言えば、隠密裏に大軍を動かすのも


補給線を維持するのも無理だから、
ハワイの占領は無理です。

また、結果だけで見れば真珠湾は大成功ですが、
事前の図上演習では戦艦5隻、空母2隻の撃破に対して
損害が空母3隻沈没、1隻大破で機動部隊は全滅です。
(注 図上演習では五航戦の空母2隻は不参加なので空母は4隻)
この様な危険な場所に上陸作戦は無理です。



さて、結果として日本が負けたので日本軍を揶揄する
意見を述べられる方が多いのは仕方ないです。
実際には当時のフィリピンは事実上アメリカの植民地でしたが
日本軍(約4.3万)は米軍(約3.2万、比軍12万)に勝って、
マッカーサーは部下を見捨てて逃走しました。
攻撃三倍の法則を挙げる方が多いようですが、
必須ではありません。
(ただし、これは日本から近いからできたものです)
捕虜の交渉が有効なら、フィリピンの捕虜を使えばいいので
無理にハワイまで行く必要はありません。

ちなみに、日本の戦車もよく「ブリキのおもちゃ」と
馬鹿にされますが、当時の戦車としてはほぼ世界水準程度。
マジノ線突破やポーランド侵攻で使われた
ドイツのⅠ号戦車等と比較しても同程度。
チハ(97式中戦車)は米英軍の主力M3とは、
カタログスペックを見ればやや劣るものの、
当時配備されていた220両は大部分を喪失させています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E4%B8%83 …
また、ソ連との交戦で有名なノモンハンでは
近年はソ連の隠蔽されていた事実が明らかになり、
日本軍の喪失30両に対してソ連側は約400両。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%A2 …
これでも日本の戦車が使えないと思うのでしょうか。
戦車が貧弱に見えるのは当時の運用思想による違いです。
それでも「ライフル銃と手榴弾による白兵戦」しか
していないと本気で思うのでしょうか。

(所詮無理ですけど)充分な兵員と装備、それを援護する艦隊、
補給線の確保と適切な支配体制が維持できれば
その様な戦い方でハワイを占領できると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2018/04/11 04:20

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