A 回答 (49件中31~40件)
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No.18
- 回答日時:
大雑把に全体を眺めるときは、ひとりひとりの思いは社会のなかで、あたかも雑音のようにかき消されてしまう無力感があるのだとおもいます。
これを拾うのは、ひとりひとりの対話にかかっていると思います。
たくさんのものごとの平均的なながれ(より長周期の波長のようなもの)は統計的には、春夏秋冬のような、朝昼夕夜のようなリズムだけは捉えやすいのではないでしょうか。人の営みの総和がなんらかの統計手段で捉えることができるなら、それは社会的な人間のリズムとしてみなされるでしょうか。
夜勤勤めをしなければならないひとには、特別な配慮も必要な気もしています。
ご回答をありがとうございます。
夜勤についても考慮がなされるところなど ほほえましいです。
ところで 計量経済学というのがあって 経済活動については 数量化
(および貨幣価値化)をつうじて 社会的諸関係のありさまを測定する
ようになっています。
ただし これを計画経済として活用することは ソ連などの長期にわた
る壮大な社会的実験(?)によって どうも失敗すると認識されていま
す。
AI がどのようにその知性を発揮して 社会の動きを捉えるか。これにつ
いて わたしはまだ想像も出来ません。
★ 人間のリズム 社会のリズム
☆ これについては おもしろいし 分かりやすいように思えますが。
No.17
- 回答日時:
はい、ここから先がとっても難しいとおもいます。
個性を重視して、A ≡ 1, B ≡ 1, C ≡ 1, D ≡ 1, E ≡ 1 としなければならない、ひとりひとりの尊厳です。
しかし、なんらかの技能や、得意不得意の分野がそれぞれあって、ある議題に対して発言権が多い人と少ないひとが出てきます。
これはひとりひとりの絶対値(1)になにかしらの係数がつくようなものになってしまうのではないか、ともおもわれます。
各自が仕事を終え、お家に帰り、ご飯を食べ、お風呂に入り、寝る支度をして、我を回想するときは完全に (1) を回復すべきだとは思います。一日の仕事がうまくいかず、なにかしらの係数の雑音が残っていて、安眠できないこともあるのかとも考えられます。
ということは 絶対値(1)を決め そこにその属性としての係数を
人に応じて決める・・・といった気の遠くなるような作業になるんで
すかね。
ご回答をありがとうございます。
いやぁ たいへんだ。
係数とその内容としての雑音を さらにいろんなものに仕分けて 定
めていくんですかぁ。
理系は 根気がよい人なんですね。
No.16
- 回答日時:
形式的には n 人のひとがいて、関係の総和は 2^n - 1 だけありそうですね。
n = 5 で考えてみて、関係の総和は 2^5 - 1 = 32 - 1 = 31 となります。
A, B, C, D, E さんというひとがいて、
10000 : A 単体
01000 : B 単体
00100 : C 単体
00010 : D 単体
00001 : E 単体 この単体は 5 種
11000 : A と B の関係
10100 : A と C の関係
…
00011 : D と E の関係 この二者の関係は 10 種
同様に、三者の関係は 10 種、四者の関係は 5 種、五者の関係は 1 種、と考えられます。
A でも B でも C でも D でも E でもない関係が 1 つありますが、これは無限に開いているものの(空間のようなもの)のようにおもいます。
なるほど。そういう計算になるわけですか。
ご回答をありがとうございます。
あと じつは 時間空間がかかわって来ますね。
一定の時空間を任意に無数に採り得る。
情況といったほうがよいでしょうか。
あぁ。しかも その時その場の問題・課題といったことがからまって
います。
経済的・政治的・文化的な主題にも分かれるかも知れません。
数学とかあるいは AI とか この情況の切り取りや それらの設定は
大変な仕事になるようですね。
No.15
- 回答日時:
ハンナ・アレントさんのみた(凡庸な悪)について、理系は文系に政治的判断を全部任せてはいけないことのように思います。
仕事のほかに、心をかよわせる場はとても重要に思います。
ご回答をありがとうございます。
★ 仕事のほかに、心をかよわせる場はとても重要に思います。
☆ なることの重要性ととうとさは 間違いのないことだと思
います。
けれどもという接続詞でつなぐことは まかりならぬことです。
と言いつつ:
★ 理系は文系に政治的判断を全部任せてはいけないことのよ
うに思います。
☆ なる視点は 社会力学じょうよわい。と思います。
理系は 選挙権のある社会人としては 文系の人間とけっきょ
く同じようになるのだと思います。
(逆が 文系人には かなわないのが かなしいことですが)。
けっきょく 国民の一人ひとりあるいは一介の市民が それぞ
れ首相であるという想定じょうの社会 つまり 共同自治 の
境域へとすすんで行くのかも分かりません。
わたしはわたしであるの《わたし》は 昔むかし マルクスと
いう男は 《社会的諸関係の総和》なのだと言いました。
No.14
- 回答日時:
あなたに重くのしかかっているものは
理系はナイフを研ぐことに専心しているが、文系はその研がれたナイフをいかに用いるべきかを考えることに起因していますか?
いやいや。それは 行き過ぎです。
決して:
★ 重くのしかかっている
☆ わけではありません。違いが感じられるというその印象を つづった
だけのものです。
★ 理系はナイフを研ぐことに専心しているが、文系はその研がれたナイ
フをいかに用いるべきかを考える
☆ 第一印象は ナイフだけに鋭い区分であるように感じましたが 考え
てみれば もっと先へすすめた内容があるかも分かりません。
つまり 早い話が 原爆をつくるというとき 技術は理系で 全体の統括
は 文系です。
技術畑での統括もあるでしょうが 全体の統治は 政治的決断といったよ
うに 文系の流儀で成り立っています。
つまり 理系の人も 権力ないし共同自治の場に進み入った段階では あ
たかも文系であるかのごとく統括・経営という仕事にあたる。わけですよ
ね。
いえ。これらは 分業=すなわち協業という問題だと思います。
文系と理系との区分が どうのこうのという問題ではないと思いますが。
No.13
- 回答日時:
おっしゃるとおり形のようなものは、定規を用いて数値化することは、比較的簡単かも知れなくても、こころはまた難しいようにおもいます。
ただ、わたしたちがここで、文字を電子的に介してこころを通わせている(?)場合は、ケーブルを介しているときには、ただの数値の羅列が一次元データとして送受信されています。言葉があるコードで数値化され、その数値がデコーダーで言葉に戻されて相手が言葉として読み取ります。じっさい、わたしたちは互いに言葉を送り合っていますが、ケーブル内で送受信されているものは意味の分からない数字の羅列です。
だれか仲介者がこの数字の羅列を傍受していて、それを解読しているとしたら、統計的な推測を用いるのではないかと思います。
すこし SF で考えてみると、神経細胞から末端まで電気的信号が送られているとき、この意味の分からない電気のながれを、ある分散している仲介者(自分の意識を構成する一部の集まったもの)がこの解読をしているようにおもいます。
自分のアタマのなかをかけめぐる電気信号を、自分自身がなぜがうまく解読している、という不思議
ご回答をありがとうございます。
これは――つまり いまの問題は―― 個人個人の趣味に近い考え方の
問題ですから その程度に書きますから そのように受け取ってくださ
い。
つまり:
★ だれか仲介者がこの数字の羅列を傍受していて、それを解読してい
るとしたら、統計的な推測を用いるのではないかと思います。
☆ というような《第三者》と言いますか 架空の誰かを想定し その
主体の認識や思考を推量するということ こういう広い意味での《平均》
値の出し方については 文系は 億劫な感じを持ちます。
それだけのことでもありますが。
言いかえると・つまり 同じ趣旨の繰り返しですが:
★ 自分のアタマのなかをかけめぐる電気信号を、自分自身がなぜがう
まく解読している、という不思議
☆ については 素通りします。解読の結果つまりその中身が 文系の
あたまには 重くのしかかるようになっています。
No.12
- 回答日時:
福笑いのようなものをイメージして、これの顔の輪郭の線もなんとか数値化できるようにしないといけないのですが、
二つの目が顔の輪郭の中心より、上にあれば大人のように、下にあれば子供のような印象になるそうです。
目の緯度が決まったら、瞳と瞳の距離が重要な値になりそうな気がします。
瞳と瞳の距離が小さいと肉食動物のような、大きいと草食動物のような雰囲気になるでしょうか。
鼻の縦横比、口の鼻下からの距離、口から顎の先端までの距離もなんとなくひとの区別に使われるでしょうか。
耳の位置、耳の形状、そして、目そのものの形、口そのものの形、頬骨、眉毛の目からの距離や特徴もあるでしょうか。
それらの特徴となりうる変数を扱いたいのですが、これは、アルファベットの 26 に収めることができるでしょうか。
アルファベットの 26 文字で顔の形状や配置をあらわす数値として扱えたのなら、これのいろんな人の顔のデータの平均値も得られるかもしれません。
この顔の平均値のデータでできる(平均顔)は実在しない人の顔になるそうですが、なんとなく整った顔にみえるそうです。
この平均顔のようなものが(普遍なるもの)とは言えないとは思いますが、なんとなく妥当な基準としてありうるような気がします。
そして、わたしたちひとりひとりの顔に戻ってこれを考えるとき、わたしたち個人の特徴はその平均顔からのズレとして認識されるような気がします。
このように考えると、個性と理念はほぼ同時にきまると言えるのでしょうか。
時代顔とか未来顔も考えられるでしょうか。
ご回答をありがとうございます。
ううーむ。むつかしい問題ですね。
さすが 理系の考え方かなと思いましたが たとえば文系は 個人に
注目します。初めからおしまいまで。
ですから 仮りに理念があるとしたら この個人は 持つか持たない
か。
持つなら どのように持つか? ということは どのようにそのたと
えば自由なる理念を 発揮するか?
それは 相手との関係において さまざまであるか?
なぜなら 相手が自由をどう考えどう扱っているかや あるいは 実
際に生活の上でそのいまどの程度自由でいるか? を捉え その度合
いに応じて こちらは こちらの自由をどう発揮して行けばよいかを
考える。
だから すべて相手に応じ情況に応じて まちまちである。
けれども 確かに《自由》なる理念は 普遍的であって 誰もに一
様に理念が理念であると考えられる。
そういった事情をまづ具体的に現実的に持って来て 考えるでしょ
うね。
おそらく 文系のあたまは 《平均》ということをどうでもよいと
考えがちでしょうね。
No.11
- 回答日時:
わたしがはじめにみるものは、おとうさん、おかあさん。
そして、おじいちゃん、おばあちゃん。
そして、おにいちゃん、おねえちゃん。
そして、近所のおじちゃん、おばちゃん。
動くものには輪郭があって、動かないものは背景だ。
動くものの輪郭の重要な輪郭はタマゴを逆にしたもの(顔)の真ん中に黒い穴(目)が二つ空いている。
黒い穴の二つのあいだから、下に、棒のようなもの(鼻)が伸びていて、その下のほうに黒いものが二つ見える。
この黒いものの下に、奇妙な裂け目があって、それが不思議に動いている。
この裂け目の不思議な動きといっしょに、なにかが聞こえる。
不思議な動きをするものは実はこれだけではなくて、次第にほかのそれらも、不思議な音と関係するように動いているのがわかるようになってきた。
小学校に入ってから、友達ができて、その友達のことがすこしづつわかるようになると、遠くからやってくる友達が、その歩き方でもわかるようになった。
なにかしらの、個性とともに、それらの平均的ななにかも(無意識的に)認識されているようにも思われます。
ご回答をありがとうございます。
★ ~~~~~
不思議な動きをするものは実はこれだけではなくて、次第にほかのそれら
も、不思議な音と関係するように動いているのがわかるようになってきた。
小学校に入ってから、友達ができて、その友達のことがすこしづつわかる
ようになると、遠くからやってくる友達が、その歩き方でもわかるように
なった。
なにかしらの、個性とともに、それらの平均的ななにかも(無意識的に)認
識されているようにも思われます。
~~~~~~~
☆ 経験知ですね。
あるいは その継続性として:
▲ ヰキぺ:《自然の斉一性原理》
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%84%B6 …
☆ があると思います。
(なお 《斉一性の原理》というのがあり これは まぎらわしいですが
心理学の問題ですので 別です)。
経験知は 《考える》と《感じる》の世界です。
ほかに 《信じる》――非思考の庭――があるように思われます。
No.10
- 回答日時:
ひとりひとりには、やはりなにかしらの個性があって、それ自身がなにかしらの調和を目指している。
近づいてみるとき、あるいは、ある一人をみるとき、自体顕照のようにある。
すこし遠くから、たくさんの個性をみるときそれは桜梅桃李に映るように思えます。
全体としての調和が最初にみえるのか、ひとりひとりのめぐみとして個性の調和が先にみえてくるのかどちらだと思われますか。
ご回答をありがとうございます。
★ 全体としての調和が最初にみえるのか、ひとりひとりのめぐみとして
個性の調和が先にみえてくるのかどちらだと思われますか。
☆ これは じつは 大きな・むつかしい問題だと思います。
たとえば 書かれているように:
★ ~~~~~~~~
ひとりひとりには、やはりなにかしらの個性があって、それ自身がなにかし
らの調和を目指している。
近づいてみるとき、あるいは、ある一人をみるとき、自体顕照のようにある。
すこし遠くから、たくさんの個性をみるときそれは桜梅桃李に映るように思
えます。
~~~~~
☆ こうした捉え方に ふつう・自然に成るように思われますが――そして
間違っていないように思われますが―― 突っ込んで考えると それほどか
んたんではないように思っています。間違いだと言うためにではなく。
何を言おうとしているかというと そもそも:
★ 全体としての調和が・・・みえる
☆ とか
★ ひとりひとりのめぐみとして個性の調和が・・・みえてくる
☆ とかいうことが 実際には むつかしい。
理念としてそのような絵柄を描いてもよいように思えるのですが――だから
間違ってはいないように思えるのですが―― 現実と どう対応しているか
というと それほど単純ではない・・・ように思えて来ています。
ほかの人のことは 分からないですよ。
そして 自分じしんのことでさえ 分かったように思えていても それが
果たしてどういうことなのかと問えば やはりむつかしい。
言いかえると われがわれである・われがわれに還るこの自己還帰なるコト
は 確かに起こっていると思われます。間違いなく。
でも それは 一瞬の直観ですね。ヒラメキですね。
自己との和解や世界との和解 あるいは 全体としての調和が《成った》と
感じそう思うのですが 実際問題としてはむしろ《非思考の庭〔なる動態〕》
において そのコトは起きている。
きよらかなおそれの内に 和解や調和を見たかに思われる。
コギト(われ考える)よりも クレド(われ信じる)としてそのイメージの
ようなものが得られたように わたしたちはそれぞれ思っている。のではな
いかと。
《われは 統覚主体だ》だとかと すでに言っていながら ここではこんな
弱音を吐いているとは どういうことか?・・・
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