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現代文 檸檬 梶井基次郎さんの問題です! このプリントの空欄全てわかる方いますか? 教えて下さい! お願いします!

「現代文 檸檬 梶井基次郎さんの問題です!」の質問画像

A 回答 (1件)

これは本文がなければ答えられない問題では。

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Q夏目漱石の『こころ』の問題です。

これは高校時代、期末テストに出た問題なのですが、
答え合わせの時ちょうど病気で入院してて、未だに正解がわからないままなんですよ。(笑)
それで半分は諦めて忘れていたのですが、このことを思い出し、ネットの時代でみなさんに聞ける時代になったので質問してみます!。

場面は、Kが「覚悟」という言葉を発したあたりからです。
問題:「新しい光りで覚悟の二字を眺め返してみた私は・・・」
この“覚悟”の、以前と以後の解釈は、どういうものか?
という問題でした。
その時に回答したのは、
◆<以前>
Kがお嬢さんに対して進んでいくという事。
◆<以後>
Kが、お嬢さんへの恋をあきらめ、今まで通りの道へ進んで行くということ。
この2つです。
もちろん、2つともはずれてしまったのですが笑(^_^;)・・・
10数年ぶりに解決出来ると思うので!笑、どうぞよろしくお願いします!。

Aベストアンサー

こんばんは。
わたしの思うところを書きますと、
質問者さんの書かれた解答は、
ちょうど逆だったのではないかなあと思います。

先生の
「君の心でそれを止めるだけの覚悟がなければ。
一体君は君の平生の主張をどうするつもりなのか」
という言葉に対して
Kは
「覚悟ならない事もない」
と答えています。

そしてあとになって「新しい光で覚悟の二字を眺め返してみた」先生は
「Kがお嬢さんに対して進んで行くという意味にその言葉を解釈しました。
果断に富んだ彼の性格が、
恋の方面に発揮されるのがすなわち彼の覚悟だろうと
一図に思い込んでしまったのです。」
とあります。
そして先生はあせって「奥さん、お嬢さんを私に下さい」
の行動に出ました。

ですから、質問者さんの答えはちょうど逆だったのではないかなあ
と思います。

でもその時Kが言った「覚悟」の意味は
そのどちらでもなかったわけですよね・・・・・

Q梶井基次郎の「檸檬」では、なぜ丸善を爆破しようとしたのか。

檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった。まだ見ぬ未来である丸善を前に、不吉な塊を感じた梶井は、手に負える西洋(檸檬)で手に負えない西洋(丸善)を爆破しようとしたのではないだろうか。

という風に自分は考えたのですが、言葉足らずでしょうか?
どなたか教えてください。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった

上記のように解釈される所以は何でしょうか?
あまりよくわかりません。多くの文学者が
西欧を向いていた頃に梶井がその雰囲気の中で活動していたことはありますが。
福永武彦は
檸檬の冒頭「『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた』は梶井の「一種世紀末的なデカダンス」を表している。それは梶井の全作品を流れる主調低音である。」と言っています。
その闇の中で唯一彼が見出した光が檸檬。
その檸檬を持って少し幸福になった私は「平常あんなに避けてゐた丸善がその時の私には易やすと入れるやうに思へた」のだが丸善に入るとその「幸福な感情は
段々逃げて行つた」画本がつまらなく見える。
それで画本を積み重ねた上に檸檬を置く。「そして
それは上出来だった」彼はそれをそのままにして丸善をあとにする。
これは「闇(不安)からのロマンティックな脱出で
ある」と評している人もいますし私もそう思います。
梶井がボードレールやセザンヌに傾倒していたのは確かですが、(檸檬は非常に絵画的)
「西欧」の観点でこの作品を捉えた評論は読んだ記憶がありません。参考までに。

>檸檬は梶井にとって、自分の手に入るほどの西洋の象徴であった。しかし、梶井にとって丸善の存在は手に負えない西洋であった

上記のように解釈される所以は何でしょうか?
あまりよくわかりません。多くの文学者が
西欧を向いていた頃に梶井がその雰囲気の中で活動していたことはありますが。
福永武彦は
檸檬の冒頭「『えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧へつけてゐた』は梶井の「一種世紀末的なデカダンス」を表している。それは梶井の全作品を流れる主調低音である。」と言っています。
その闇...続きを読む

Q夏目漱石の『こころ』テスト問題

こんどの期末試験で夏目漱石の「こころ」がでます。
そこで、インターネット上でどのような問題が出やすいのかなど検索してみたのですがいい結果が得られません。
どなたかよいページを知っているかたいらっしゃったら教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ネットで出そうな問題を検索して
山かけしようなんて駄目ですよ。

そうやって探すより
ノートを見直して授業内容を確認したり
副教材を解いた方が余程テストに対応できます。
そもそも、教科書を読んで、ノートを確認して……という作業は
ネットを探しまわるよりはるかに労力のいらない仕事で
点数に結びつきますよ。

あと、「テストにでそうな問題」が載っているサイトなんて
そう滅多にあるものではありません。
勿論、「こころ」についての論評を載せているサイトや
授業実践を載せているサイトはあります。
そういうサイトを参考にするのも一つの手ですが、
これもおすすめしたい方法ではありません。
なるべくなら、自分の手で勉強するのが一番よいのです。
国語のテスト勉強は他の教科に比べて時間もかかりませんし。

Q梶井基次郎の檸檬

梶井基次郎の檸檬を読んでいるのですが、よくわからない表現があります。

何か華やかな美しい音楽の快速調の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている

という部分です。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」=主人公にとって美しいと思える果物

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」=後に書いてある「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」ということから「美しい果実(いくつかの量)が石化したように積まれている」

ということでよいのでしょうか?
教えてください、お願いします。

Aベストアンサー

たしか、京都寺町にある果物屋の陳列光景でしたね。
この陳列台は急斜面になっていたはずで、そこを思い浮かべながら解釈されるとわかりやすくなるように思います。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」
=主人公にとって美しいと思える果物【の陳列状況】
だろうと思います。
つまり、斜面が急なので今にもそれぞれの果物が転がり落ちそうな危うい印象のまま陳列されている、という動的なニュアンスを「快速調の流れ」と表現したのでしょう。

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差しつけられて、あんな色彩やあんなヴォリウムに凝り固まったというふうに」
=そのような危うさの中に陳列されているにも拘わらず落ちないのは、
「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを差しつけられ」
「あんな【鮮やかな】色彩やあんな【不安定なままの】ヴォリウムに凝り固まった」
とでも思いたいぐらいである。

ということでしょう。
「青物もやはり奥へゆけばゆくほど堆高く積まれている」
という箇所は、あくまで、青物も果物のような陳列のされ方をしている、という付随的な描写に過ぎないと思います。
 

たしか、京都寺町にある果物屋の陳列光景でしたね。
この陳列台は急斜面になっていたはずで、そこを思い浮かべながら解釈されるとわかりやすくなるように思います。

「華やかな美しい音楽の快速調の流れ」
=主人公にとって美しいと思える果物【の陳列状況】
だろうと思います。
つまり、斜面が急なので今にもそれぞれの果物が転がり落ちそうな危うい印象のまま陳列されている、という動的なニュアンスを「快速調の流れ」と表現したのでしょう。

「見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面的なものを差...続きを読む

Q梶井基次郎『檸檬』 「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」とは?

梶井基次郎の『檸檬』に、
「私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。」(『ちくま日本文学全集 梶井基次郎』より)

とあります。

この文中の「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」とはどのようなものでしょうか。

書籍によっては語句注釈があるかと思い、複数のテキストを確認してみたのですが、注釈のあるものが少なく、付いていてもこの部分の説明はないものばかりでした。(この後に出てくる「びいどろ」や「南京玉」などには付いていたのですが。)

前後の文章から察するに、花火の種類(図柄?)かな?と思うのですが、うまく想像できません。
ネットで検索もしてみましたが、検索のかけ方が悪いのか、そもそもの(花火の種類という)前提が間違っているのか、それらしいものにヒットしません。

そこでどなたか、ここに登場している「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」が何(どのようなもの)であるか知っている、もしくは、これらの解説が載っている書籍やサイトなどを知っているという方がおられましたら、どうぞお教えください。よろしくお願いします。

梶井基次郎の『檸檬』に、
「私はまたあの花火という奴が好きになった。花火そのものは第二段として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、様ざまの縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆った。」(『ちくま日本文学全集 梶井基次郎』より)

とあります。

この文中の「中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき」とはどのようなものでしょうか。

書籍によっては語句注釈があるかと思い...続きを読む

Aベストアンサー

Robert Ulmerという人の英訳です。質問者さん同様に「花火の名前」と解しているようです。

I also found solace in gazing at packages of cheap fireworks. Some came in garish striped bundles of red, purple, gold, and blue and had names like ‘Falling Stars of Chusanji Temple’, ‘Flower Wars’, and ‘Withered Pampas’. Others, called ‘rat firecrackers’, were stacked like pinwheels in a box. Things such as these held a strange appeal.


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