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空海が渡中する際に船が難破して違う場所に漂着した際に国書を失っていたが、空海が国書を書き上げて中国の皇帝に提出して公式の国からの派遣者だと認められたそうですがその空海が書いた国書は中国に残っているのでしょうか?

A 回答 (2件)

中国には残ってません。

空海の弟子の真済が編纂した「性霊集」巻五に収録されているだけです。空海自身が控えを作って保管していたのではないかと推測されています。なお、空海が書いたのは皇帝宛ての国書ではなく、船が着いた福州の観察使に宛てた弁明書です。どんな事情があろうと天皇が皇帝に宛てて書く国書を勝手に書いたりするのは反逆罪並の大罪です。
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この回答へのお礼

みなさん有難う御座いました

お礼日時:2018/07/08 22:31

> 空海が書いた国書


そうしたものは、もともと存在しないのでしょう。

> 空海が国書を書き上げて中国の皇帝に提出して公式の国からの派遣者だと認められたそうですが
空海が書き提出したものは、嘆願書(状況説明)のようなものらしいです。
『性霊集』に残る有名な「大使、福州ノ観察使ニ与フル為ノ書」を空海は書いたらしいです。
http://www.mikkyo21f.gr.jp/kukai-life/cat35/post …
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/819438/3?tocO …
中国側にその文書が残っているのかは不明です。(たぶん 実存はしてないのでしょう)

遣唐使印符を持つ副使の乗った第二船は、予定通り明州に着き運河で長安の都へ行っています。
遣唐大使の藤原葛野麻呂は第一船に乗船していて赤岸鎮に漂着したため、身分を地方役人に立証できずに自筆で状況説明書を書いて出したが、それでは理解が得られず、空海が状況説明を藤原葛野麻呂の草案としてしたためたらしいです。
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