ショボ短歌会

(あ) わたしは ちりから出てちりに帰ると言われる人間に生まれて
来ました。でも いまは ヘソがありません。或る期間 ほかの人と同
じように へそがあったので 人と同じように話すことにします。

(い) へそ もしくは へその緒と言えば わたしたちのこの世に現
われ出た歴史的時間ですね。そしてこの自然の誕生のあと 《わたし》
としての誕生もありますね。われを知り その自己に到来します。

(う) これらを踏まえて へそでつながれて生命存在となったときか
らの誕生は この世界へのわたしのイリ(入り)です。このイリは 両
親にとって授かりですし わたしにとって恵みです。

(え) そうしておそらく へその緒は あとからの確認としてでも 
この恵みによるイリに対するわたしの領収証書・兼・感謝状です。自己
到来のときは 世界‐内-存在に成ったというヤツです。

(お) こうして わたしの生は ちりに帰るまで 恵みとその受け取
りとの呼応によって 《世界へのイリなるとき》の現在が持続します。
これを 永遠の現在と言うのではないでしょうか。



(か) ちりから ちりまでの言わば線分としてのわたしの生も こう
して イリの持続としての現在過程となって 現われます。この線分と
しての時空間は 言われるようにわたしの固有時です。固有時である限
りで――そのわたしなる主観の動態である限りで―― すでに永遠の現
在過程が持続します。ちりの以前も ちりの以後も もはやどうでもよ
いとうそぶくことが出来るほど この現在動態という時空間は とうと
いものであるようです。
そのことを へそとへその緒が象徴しています。



 
(き) ところで わたしは その後 へそを失くしました。
それは どういうことだったのでしょう。
そのときの事情は いまだによく分かりませんが いまの情況に応じて
考えるなら 少し思うことがあります。

(く) へそを失くした。もしくは へその緒を粗末にしてしまった。
となると どういうことになるか。

(け) おそらくそれは わが誕生にかんして どうでもよいと主張し
ています。生誕をわがこととし受け取り証を出すことをなさなかった。
しかも さらに その生誕という歴史的時間を 難なく超えてしまう。
わたしは どこかの誰かの生まれ変わりではないかと想像力をたくまし
くして考えたりする。
どうせなら また再び三たびわたしは生まれてくる。いま そんなに騒
ぐことはない。と うそぶくことになります。



(こ) これは 生まれてきたその自然本性でいいやと〔は〕言ってい
るわけですが その自然本性と言いますか 要するにこの《わたし》な
る存在について まだどこまでも 受領証書を出さないまま(一たん出
したものを引っ込めたかたちで) そうしていることです。自己到来を
忘却する。自己還帰しない。自己を確認しない。


 
(さ) わが固有時としての現在過程ではない。この宇宙における《わ
たし》なる固有の時空間が 永遠の現在として推移するのではなく そ
うではなく ただ生まれ落ちたその状態としての現在が そのまま――
ということは感謝状はおろか領収証を発行しないまま―― 永遠につづ
くというふうに思いなしている。

(し) したがって ちりから出たというときより前の時間やら ちり
に帰るというそのときより後の時間やらにも――たしかに 人間の想像
力にものを言わせて―― 《自由に》遊泳するかのごとく わがたまし
いを遊ばせている。




(す) これは つまり《現在の永遠》なる理論は 《イリの持続たる
永遠の現在》なる思想よりも 幅が広く度量が大きい感じがする。とい
うことらしい。果たして そうか?

(せ) へその緒を失くしたわたしは どこか ゆめの中に遊んでいる
ということか。うつしき青人草として生まれ来たその《うつつ》のこと
を分かっていないのだろうか? わたしは はっきり言ってしまえば 
ゾンビか幽霊かなのか?

A 回答 (17件中11~17件)

へそがなくても、重心はあるのでしょうか?

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

そうですね。重力=つまり 自由意志 というものが すでにニセモノ
になっているおそれがあります。

剣で言えば 竹光ですね。

重心もあやふやなんだと思います。

お礼日時:2018/07/16 20:18

おかあさんの胎内にあるとき、欲しいものが入って来て、要らなくなったものがでていく不思議な通路ですよね。



このおへその部分は、言ってみれば、口からごはんを食べて、口からうんこを吐き出すようなしくみでしょうか。

食べ物と、うんこは混ざってほしくないように思います。


少し前に、触媒のようなはなしがあったように思いますが、わたしたちが感覚として捉えている触媒はカッチカチのものを感じていますが、合成、分解される分子からみたら、触媒は、フッカフカのマットレスに感じられるのかもしれません。


イメージとしては、子どもたちが地面にチョークで円を描いて、ケン、ケン、パ、ケン、パ、ケン、パ、ケン、ケン、パ、とジャンプして、となりの円に飛び移るようなものを思い浮かべています。
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この回答へのお礼

そういった仕組みが 描かれるのですね。


ご回答をありがとうございます。


でも ひょっとしてこのヘソ(または ヘソの緒)を完全に捨ててしまう
ひともいるのではないか?

比喩として言ってです。

もしそうしたとしたら どうなるか? 負の側面を見て これをおおげさ
にして描き出したものです。

お礼日時:2018/07/16 16:18

むしろ、秩序的なはたらきをなすものにっとっては、おへそばかりが存在しているのではないか、と考えました。

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この回答へのお礼

へそは ちからの源泉ですかね。


ご回答をありがとうございます。



リカちゃん人形は 最初にへそがついていたのが 途中でどういうわけか
へそがなくなったそうですね。

その人形の気持ちで しゃべっているお話です。

お礼日時:2018/07/16 15:50

エネルギーが秩序のようなものをもつには、物質の表面がなんらかの秩序をもった構成になっているかもしれない。

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この回答へのお礼

・・・なんですか。


うまくお返しできない。・・・



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/16 15:21

はらたいらさんに 1000 点!

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この回答へのお礼

ええっと。はらたいらは 知っているけれど。

本命がアタリってこと?

ヘソ無し問題での本命とは????




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/16 12:00

宇宙人じゃないですか

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この回答へのお礼

宇宙の中にいますから そうかも。




ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/16 11:48

へ ソう

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この回答へのお礼

つまんなかった? 





ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2018/07/16 11:06

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