ありがとうございます❗言葉足らずですみません。
中国人のいるところ、関帝廟があることは知っているのです。現在では、たいがいは道教のお寺です。歴史の最初の方は仏教寺院で祭られていたようなのですが。また、台湾では、現在でも、仏教寺院でも祭られていることも知っているのですが。日本では、黄檗宗だけかもしれません。
隠元が中国の当時の様式を持ち込んだのか、それとも、隠元の時代の日本に住んでいた中国の人が黄檗宗のお寺に頼んで作ってもらったのでしょうか?当時中国の人がどれだけ日本にいたのか知りませんが。
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すべてかどうか調べてません。隠元の時代の中国の仏教寺院の特長ですかね⁉中には、媽祖廟がある黄檗宗のお寺もあるようですね❗
長崎の黄檗宗のお寺は華僑の人たちが中国から僧侶を招いて、建てたものなので、ことによれば、華僑の人たちが、関帝廟や媽祖廟を同時に建ててもらったのかなと推測できます。ネットでしか調べてませんので、明確な記述が見つかりません。
黄檗宗のお寺は、大阪や京都にもありますね。多分隠元が絡んでいるのだろうと思いますが、調べが足りなくてすみません。やはり、関帝廟があったり、関羽が祭られていたりします。京都の黄檗山万福寺には関羽の像が祭られてますよね。当時、大阪や京都にも華僑の人たちがいて、廟を作ってくれと頼んだのですかね⁉それとも、隠元の時代の中国では、関帝廟を作るのが一般的だったのですかね⁉関帝信仰が古くからあることは知っています。確か、隠元は臨済宗の僧侶ですよね。
実際に現場に足を運んで、調べるべきですかね?なに宗のお寺か、調べてませんが、足利尊氏が取り寄せた関帝像もあるようですね。
少しマニアックに考え過ぎたようですね。関帝と黄檗宗との関係は、ぼちぼち調べて行きます。ありがとうございました❗