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1. ▲ (ヰキぺ:神) ~~~~~~~~~~~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E

§ 1 概説
① ブリタニカ百科事典:一般に絶対的、超越的な存在

② 広辞苑第六版:人間を超越した威力を持つ、かくれた存在。

③ 大辞泉:人知を超えた絶対的存在
・・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2. 前項の定義に沿って 次のように規定し 話をすすめます。:

 神:超自然・超経験なる何か

3. とすると 神は 人間が認識するということにかかわって ど
う捉えればよいのか? 

4. 認識(知解)は 自然本性としてそなわった精神のハタラキで
あり 意志による経験行為ですから 《超自然・超経験なるもの》は:

 《可知(既知か未知か)》を超えている。

5. では 知り得ないもの(不可知)か? ――けれども神は《知
り得ないと証明されたわけではない》からには: 

 《不可知》であるとは言い切れない。

6. では 何か?

☆ ご見解をどうぞ。

質問者からの補足コメント

  • №9お礼欄のつづき

    ★ 神は 可知(経験による既知と)である部分と、不可知である部分を内包
    する。
    ☆ 神は 非知なる絶対性であることにおいて――経験世界を超えている
    からには―― 可知・不可知なる経験事象を言わば覆い包んでいるとも見
    ることが出来ます。

    あるいはニュートリノのごとく真理なる霊が降り注いでいるかも知れない。

    あるいは例の絵のように 指先と指先とが触れなんとしている状態にある
    かも知れない。

    あるいは 誰かの言うように そこかしこに霊は遍在しているかも。

    さらにあるいは この世界のあらゆる出来事をとおして あたかもその一
    つひとつの物事が われわれに送られて来ている神からのメールであるか
    も。

    すべては 非知なるナゾとしてあります。

    No.9の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/10 11:33
  • №11お礼欄のつづき

    ★ 神は多数側面のFace (フェイス)信仰心と、その顔を持つものなのです。
    ☆ 意味不明。

    ★ 貴方の非知が絶対と呼べる域にない以上
    ☆ 超経験が 概念によって規定すれば 絶対性のことであり これは認
    識のあり方として 《非知》である。という説明の仕方です。


    ☆☆ 神を見た・・・その真実らしさは、本人の主観(真実)枠内でのみ有
    効である。
    ☆ なぜなら 二人の主観が一致して神を知り得たとしたならば 神は人
    間の認識能力を超えていないことになる。


    ☆☆ 理論の限りではそういう事。同じ一つの普遍神です。
    ☆ 絶対性が 二つや三つの別のものに分かれるというわけがない。


    ★ オシヘは間違いのない真理なのか?
    ☆ オシヘは 真理を指し示す《指・シルシ》です。指の先のどこかにあ
    ると想定したその真理へとみちびく補助線です。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2018/09/12 21:54

A 回答 (18件中1~10件)

神の事を知ってる人間が 果たして このサイトに居るのか どうか?・・

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この回答へのお礼

考えてみてください。

世界のこれまでの哲学者が知っているとも限りません。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/09/09 11:03

考えてみてください。



世界のこれまでの哲学者が知っているとも限りません」←考える必要は 俺には無い・・

既に知ってるので・・
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この回答へのお礼

回答をどうぞ。


同じことの繰り返ししか書き込みがない場合には 放っておきます。



ご投稿をありがとうございます。

お礼日時:2018/09/09 11:10

同じことの繰り返ししか書き込みがない場合には 放っておきます」←此処で話す事では無い・・



あなたが正解 不正解に振り分けて遊ぶだけの為に 神の本心を知らせる必要は無い・・
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紙は紙 一般的な日本人なら、それはそこに見ることができますので、可知かな。

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この回答へのお礼

冗談をそこまで落としますかね? 
★☆ 一般的な日本人なら。



でも ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2018/09/09 13:13

少なくとも非知ではないです


と思いますが。


あなたの非知の創作論理は
知り得るか、知り得ないかがわからない

と言ったものですが、
これは言葉に範囲ができてます。
これは知のみを指す

知り得る知は、経験値
未来的にはわかる可能性もある未知。

知り得ない知は、不可知。
これは、それがあるかもわからない。


しかし知である限り、両方に含まれない範囲ができます。

それは、存在が定義できない。
可能性。知でない何かの可能性。

人間では表せれない。
この場合は表現し得るか、表現し得ないかわからない。
となる

また、
不可知は、
神が全能である前提なら
全能故に、その知恵を人に教えれる こと ができることとなる。

それは、人間が不可知と思う範囲が、
時空や真理よりも上位にある
神にとって、
変更可能と呼べる。
その場合が想定できるからです。
範囲と段階の位置を考えてみましょう。

まあ、神に合わずはわからないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 少なくとも非知ではないです
と思いますが。
☆ その理由説明は 次に来ています。

★ あなたの非知の創作論理は
知り得るか、知り得ないかがわからない
☆ そうです。

★ これは言葉に範囲ができてます。
これは知のみを指す
☆ 意味不明です。



★ 知り得ない知は、不可知。
これは、それがあるかもわからない。
☆ 精確ではありません。

《知り得ないと証明できたものごと》です。



★ この場合は表現し得るか、表現し得ないかわからない。
となる
☆ 人間の言葉による表現は もともと《その何かについて仮りに代理として
(つまり そのもの自体ではなくそのシルシとして)表わす》に過ぎない。

だから ものそれ自体を表現し得ないという場合 シルシによって指し示すか
たちで表わしていると見なされます。

そのもの自体が分かっているのに:
★ 表現し得るか、表現し得ないかわからない
☆ といったことは――表現の性質の上で――起こりません。



★ 不可知は、
神が全能である前提なら
全能故に、その知恵を人に教えれる こと ができることとなる。
☆ 《神が全能である》というのは 人間がそのように想定したということで
す。

その上で・想定にもとづく限りで 推論が成し得るかどうかの問題であり そ
れにしか過ぎません。

★ 人間が不可知と思う範囲が、・・・
☆ 《人間が不可知と思う》という表現では けっきょく不可知の定義として
あいまいなのです。

お礼日時:2018/09/09 19:54

ブラジュロンヌさんの想定する、非知ではないかという神は、どんな能力を有していると考えていますか?



人間にどのように関わっていると思っていますか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ええっと。神について 人間が認識するかどうかの問題――つまり 質問者と
しては《非知》と定義する問題――と 神が
★ どんな能力を有している
☆ かの問題とは 別です。


次のように《仮りに知りこれを表現する》段階を異にいます。:

神について:
【定義】 超自然・超経験なる何か
→【概念による規定】 絶対性・無限
→【属性を推定する】 真理・愛(愛憎を超えた愛)・至高の善(善悪の彼岸)・
          全知全能
→【擬人化による表現】 絶対者
→【さらに想像による描像】 創造主




★ 人間にどのように関わっていると思っていますか?
☆ これは――神と人間たるわれとのカカハリは―― 《信じる》という行為
で表わします。

それは 《無条件で無根拠にて わが心に受け容れること》です。


ただし 神は無いとして受け容れる場合もあります。神は有るという場合と
自由に同等です。

言いかえると 神を信じないという場合――非知として《知り得るか知り得な
いかが知り得ないナゾ》なのですから―― 《信じないと信じる》ということ
を意味します。または 《無い神を信じる》と言っても やはり同じことです。

《超自然・超経験なる何か》と《人間たるわれ》とのカカハリは そのような
内容をふくむ《信じる》という行為に現われます。

ちょっとふるいものですが たとえば次の趣旨説明欄などを参照してみてくだ
さい。
【Q:《信じる》とは 人間にとって どういう行為か?】
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/6729443.html

お礼日時:2018/09/09 20:17

汽笛さんへの回答で、


問題は改善されていることに気づきました。

申し訳ありません。貴方を勘違いしてました。

属性や概念による規定と、
それぞれを別れて認識しているなら、問題ないと思いますね。

えーとしかし、
しかし知り得るか知り得ないかわからない神とは、
神を知り得るか?

と言う論題において
と言う状態でしょう。

神=非知
とは異なる。
これは一個の公式と同じ、
タイトルのある法則性において、の解と呼べる。

また、神を知り得るか知り得ないか、
わからないと言うのは、
絶対の事実にはなり得ない
と思いますよ。

なぜならそれ以外の可能性もあり得る。

例えば体感
超経験をそもそも近くと呼ばない段階があるのかもしれませんし。そこでしか神を理解できない場合もあるかもしれない。

そうなると、「神と走り得るか知り得ないかわからない」とは知り得ない。

となると思います。

信憑性は、確かに切り得るか知り得ないかわからない。非知
が神を捉える、条件となる可能性を上げていける。
つまりは世に浸透していけることはあると思いますが、
やはり、絶対の域にはたどり着けない。
私はそうであると感じます。


続いて、不可知ですが、

知り得ないと確定した状態

それは、現在一つも見つかっていません。
そりゃそうだ見つかったら不可知じゃないもの。
なので、不可知があるかはわからないで問題ない。
と思いますね。


しかし、
既知、未知、不可知

これ以外がない、
とは、
絶対とは言い切れない。
私はそう思います。

これを決めた人も、予想のできなかった外側の思想、
それが生まれる可能性はある。
一つの発想、それに対する
ノット、オア、アンド、イフ
これらで基本的に
言語は、作られたと考えます。

今回
少なくともそれ以外に一つあることはわかっている

少なくても貴方はそう言う

非知

知り得るか知り得ないかわからない。

これも概念で定義すれば、確かにそれ以外が見つかったと呼べる。

まぁ、私はこれは未知の可能性もあると考えますけどね。
未知の最も外枠側、
不可知と、接触点があるかもしれない知恵の 見方。

ただし、
それでも、全ての分類を提示できたとは限らない。


なので神が、前述の通り、知以外の何かでしか説明がつかない、といった、可能性もあり得ると考えます。

「知り得るか知り得ないかわからない」
と言う一つの概念を貴方は知っている。

しかし、相対の経験で出せる答えなので、
絶対とは言い切れない。

信憑性を上げるなら、
基盤を大事に、
属性などの定義は、
わかりやすかったです。
あとはそれらの相関性
ですかね

我が心のまま〜と言うのは、
信じたいから信じると言うだけで、
根拠というものとは遠い。
あるとしても、超直感の類
と呼べませんでしょうか?


それでは失礼。

決選投票の期間は、
互いに 投票の支援活動を頑張りましょうや

おやすみなさい


エル ミル システィーア✨
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~
汽笛さんへの回答で、
問題は改善されていることに気づきました。

申し訳ありません。貴方を勘違いしてました。

属性や概念による規定と、
それぞれを別れて認識しているなら、問題ないと思いますね。
~~~
☆ ようござんした。


★ 絶対の事実にはなり得ない
☆ 絶対性は 超経験。《事実》は 相対性なる経験世界のものごと。



★ そうなると、「神とは知り得るか知り得ないかわからない」とは知り得ない。
となると思います。
☆ いえ。そのときも 分かるか分からないかが分からないとなるはずです。


★ やはり、絶対の域にはたどり着けない。
☆ 《超経験 あるいは 絶対性》とは そこに《たどり着くかどうか たどり
着けるかどうか》とは 関係ありません。超えているのですから。



★ ~~~~
不可知ですが、

知り得ないと確定した状態

それは、現在一つも見つかっていません。
~~~
☆ 数学の定理で これこれの解は知り得ないと証明しえたものがあるかに聞い
ています。ただし 申し訳ありませんが 不確かです。




★ ~~~
既知、未知、不可知

これ以外がない、
とは、
絶対とは言い切れない。
~~~~
☆ 非知のほかに 出せばよいだけです。





★ ~~~
「知り得るか知り得ないかわからない」
と言う一つの概念を貴方は知っている。

しかし、相対の経験で出せる答えなので、
絶対とは言い切れない。
~~~
☆ たとえば《永遠》。つまり 《無限》ですが 人間は誰も永遠を生きた者は
いない。それでも 有限で相対的な人間の言葉で――シルシとして―― 無限・
絶対なる何かを 指し示すかたちで 表現し得ます。

シルシもしくは指し示す指を見るのではなく 指の先を見るようにしましょう。



★ 我が心のまま〜と言うのは、
信じたいから信じると言うだけで、
根拠というものとは遠い。
あるとしても、超直感の類
と呼べませんでしょうか?
☆ 《直感・直観あるいはヒラメキ》 これは 《信じる》という状態(動態)
において どこからかわれにやって来るイメージもしくは知です。

お礼日時:2018/09/09 22:34

あなた達が 神を知るのは不可能・・と 見た・・



何故なら 神は赤ん坊でも理解出来る存在・・

くだらない哲学の はしくれの勉強では 神は見えない・・

哲学を極めるのなら 最後まで極めた時に神は見えるが 途中では 神は絶対に見えない・・
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やはり、下のユニバーさんがいう通り、


神は 真理哲学を多少紐解いた程度では、体感できないのか
も知れませんね。

ふふふ、わーし走ってますけど



貴方は事実を
経験している。

しかし、これはつまり、
相対性なる経験世界の物事.
だとしても、

つまりは確率に過ぎないわけです ね。

確立という一般公共と貴方の見立てによる、
より信憑性の高い、論理がある。

それを人は事実と、信じられる。
この世界の内実でしょう。

故に、基盤的確立の高い理論の上に、
仮想的な、構想を練り、
出した答えを見つけ
この信憑性が高い
と、人々に説明する。
それが根拠と呼ばれる論基!

それが我々のやっていることの、総じて、数字的な見方になります。

それがないのではない。
そう表すことができる
(貴方の見方は、まだこの部分の確立 性 がないと思いますよ)

なので、同じわからないにしても、

知り得るか知り得ないかわからない。(80パーセント (今回の代用確率なので、信憑性は、乏しく、〜より比べて上と。比べるためです)

知り得るか知り得ないかわからないとも証明できない可能性が高い。
(90パーセント)

と私は位置付けたわけです。

しかし、不可知であり、解けないという証明を終えた、定理がいくつかある
という情報は初耳でしたネ
ありがとうございました。

本当かどうかは不明ですが。


さて、もう少しまとめると、
今回の件からも、

人間が作り出した
(既知、不可知などの知覚認識などなも)
言葉として足りない言葉、
新たな概念がある
場合がある。
それは未発見であり未知である。

ある可能性があると言ったが、
重要視すべきは、
ある可能性が消えない!
という点。

これを枠組みの外側、私的にはそこを強調する
外輪論と呼んでいます。
人はこの外輪なるものをよく、ないと考えがちです。

私が不可知で知り得るはずがないと考えた
ように、
ブラジュロンヌさんが
非知
を発見するまでは (おそらく重要なのは発見より、主張したことですが。皆気づいても着眼が薄かったと思われます かね)
既知と不可知しか、知覚
というものの分類はない。
と信じていたように。

外側は可能性が残されるを、
軽視しない方が良いという
観点を主張します。
(基盤知識的に外輪(論)を茶軍状態にしておいてもらうということで学士レベルなら、問題を忌避できそう)

続いて、前提という絶対について!

質問概念問題 において、それは絶対なのです。

前提として神は、
存在するなら、
知覚(認識)の側面
では、可知や不可知、非知では、誰と表すべきか?

と貴方は要約するとそう質問しているとも言える (短略要約ですね)


その場合において、

神はいるならと前提定義しているのだから、

私が、神の考察 (〜%)を出した際、貴方の返答はおかしい。第1回等に対する返答ですが) と呼べると思いますよ。

前提の神はある場合、
で話しているのだから、
続いて、神は
全能である確率はいくらか、
ぐらいなのか。

そして全能である場合、
人に教えれる

という回答に対して、
私は〈できる or できない〉
〈合ってる or 合っていない〉
これで答えるべきなのです。


自分で前提として神を語っているのに、その絶対性を覆す発言をする。
まだ貴方は、論基にブレが生じている。とも思われましたね。(35%程度)

ちなみに、貴方の神の捉え方の一側面にある通り、
私は神は全能だと思います。

しかし、全能を名乗るヤハウェイや、
その他の、全能と呼ばれる神々、これ以外は、
日本の神とて、全能とは言い切れない、
それは確率が、やや低い神がある。
可能性もあり得るという言い回しです。かね

しかし、あらゆる宗教問題を回避するため、
私は、こう付け加えてます

各宗教 主審クラスの神であれば 全能(99.8%)と。

仮に
まあ、貴方のいう通り全ての神が、一つの神だと証明される日がいつか来るにしても、
現在、ではそれも信憑性確率(事実事象、自称?)の域をでず ですね、
高確率としか呼べない。
(私という対話対等 者が言うのであれば。それは、それも
この質問スレでの中が信憑性は確立できない、確率となる。私の感じ方ですから)

さてと、
本当は、確率数字に頼るのはあまり好きではありません。
確率は数字、数学は慣れないものだと頭が痛くなるもの、原因は、おそらく
確立の数字が細かな規定 にあるかどうか、脳内で迷いが生じるから。過程と言えどもね。(89パーセント.これはなんちゃて、感)

数理、信憑性
しかし実質、王道の原理として、今、我々はこれの中にいる状態。
そこの認識はありましたか?

あとは外輪。

人間はまだ不完全な言葉、しか持っておらず、のちに作られる概念、それ用の言語からも、新たな見方を探る必要性がある!

ここは哲学者の皆様なら、当たり前に、見つめておいてほしい、ここは読める人なら、問題なきレベルかと思います。

今あるもので全てが表せれる、
そう錯覚しては、すぐに内輪にこもり、奢りの面ができます。

私にももちろんできますが、
果たしてブラジュロンヌさんは、
こんくらいの 謙虚性を
論基に必要とする点は、見つけられていましたでしょうか?

んでは質問に対する結論、
として提示する
としますけど ネー申ーす!
ぐ、世界は平和になる。

みんなの努力によりて!


神は、知覚・認識上の側面からは、どう捉えるべきか。

逆転して、発送面

神は価値!
神は真理!

さて置き、
神は 可知(経験による既知と)である部分と、不可知である部分を内包する。
非知の可能性も高きもの。
(真理は恐らく、すでに 何%かは溶けていると言う観点による)

非知でない可能性は、恐らく0.03%くらい。のものだが、
ここを完全に信憑性にて、納めるすべはない。"
永遠の問いに近いだろう。か"

なお信憑性をあげない言葉は、単なる頑迷な独り言である。
人間が既知である 経験に基づく知でしか論考・考察をできない点に論拠を置く (97パーセント)

これを6.に対する回答としよう、マス!



貴方の返答は、支離滅裂、論理において飛躍が多い。それは恐らく貴方の内部では解決している
仮面性
のある
知覚なのょうな気もしますが、
無理に全てに近い
相手の言論に ☆をつけて
返答としないでほしい。

論理本質となる真髄を相手に伝えれば、
そこから、間違いは自身で訂正できるものです。

親切なようで、わかりにくいと申しておきましょう。

ここまでの貴方の回答、
私に言わせれば65点でしたね。
頑張ってください、
私も頑張りましょう。



あと、少し気になった点からの考察、

人が宇宙なるとしたら、
これを前提に起き、

こう言う状態、と呼べそうではないですか?(同意は不要ですけどね。)

自身の知 覚 を満たし
、宇宙を見ている状態、
それを 宇宙と一体となるときは、
(その王道たる規定値を満たし)
自分の感覚で宇宙を見ているのではなく、
宇宙は自分を知覚しているになる。
それは自分が、宇宙と変化したから、
つまり、変わったと呼べる
一定の階梯を満たした 段階で

人(自分)が宇宙にいる
ではなく宇宙という我、が
人という自身の殻を感じている。
こうやって内側となって理解する。

まるで天使に近い
クリオネみたいに。

捕食の際、カの存在は、
口が表面から内面ななる、裏返るようになるという。
宇宙を感じる という裏側、
宇宙が感じる。となる。

これも予想 (よそう!渡しってますけどね)

クリオネさんは尊き存在かもしれませんが、全て裏返るのはいつも良いとは言いきれない。マナーがなければ、いじめが起こる。

口で戦争をしようと子供達に
伝えるのは良くない。

彼らの認識できるレベルをこちらが認識して、
話は進めましょう。

話はステージ4
貴方のステージはどの程度ですかね。

物差しで測るみたいに、物怖じせずに、物色、目測して、
申し訳なきと、
神に感謝と謝罪して起きましょう。

変化とは、それほどまでに、自分と変質しjてしまう事。
時に成長!聖なる定め!

皆さま、有難う ございました


投票募集中!!

少しでも今回の意見が良いと思ったら、ブラジュロンヌさんの、マドモアゼルさえとは?の意思投票ページ!

そこから、応援してください!!なぁ。お願い致します!、!

人少なすぎて困っ とるんです。
宣伝サボりすぎましたか、

まさか、まだあの程度の長さの文を読むことができない人がいる という事なのか?


発生側 コスモス
真実正義

急ぎますね。論 創造

ではまた、まだ何処かで。

もうすぐ、去らねばならぬな
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 下のユニバーさん
☆ 迷惑投稿人。


★ 確率
☆ は 経験事象。

★ 信憑性
☆ も経験事象。有効


★ 知り得るか知り得ないかわからない。
☆ ゆえに――あたらしい視点をお教えしますが―― ひとは神を知ったと
思うことがある。のです。

おれは神を見たという自己表現を持つことまでは それを誰も否定できませ
ん。

ただしその真実らしさは 本人の主観真実の枠内でだけ有効です。

じつは この・神についての主観真実を言葉にして表現しその内容をオシヘ
とする場合が出て来ます。これが 宗教です。

つまり もし宗教のオシヘが神についての間違いのない真理だとしますと
その人は 神を知り得たと主張していることになる。

ところが 人間の知り得る神は 神の定義に反している。
つまり 宗教という宗教は 精神錯乱でなければ イカサマです。



★ 外輪・外側
☆ 《内と外》は やはり経験事象にとどまります。《外》と言っても知
り得る(可知)のですから。


★ 神はいるならと前提定義している
☆ ふつうどの言語でも《かみ》という言葉が持たれている。ではそれは
どういう意味か? これに対して 定義したということです。

超経験なので 経験事象について前提を置くといったかたちではなく そ
うではなく はじめにズバッと定義を想定において成しています。

★ 神の考察
☆ は この想定における定義をしたうえで それを前提とすると どう
いうことが神について《考えられる》か? という段階に移っています。


★ 神は全能
☆ というのは 《絶対性》とわれわれ人間ないし経験世界とのあいだに
は 絶対のへだたりがある。ゆえに 絶対性のほうには 全知全能といっ
た属性が付与され得る。というもの。

経験世界を見ている絶対者は 何が起こるか・起こったか・どうなるか。
そのすべてが分かっているといった推理を人間が持つということです。

人間が神についてそのように忖度しているということです。それ以上のこ
とではありません。

《無い神》派は そんなことにはお構いなしということです。



★ 貴方のいう通り全ての神が、一つの神だと
☆ 論理の限りでは そういうことです。同じひとつの普遍神です。


つづく

お礼日時:2018/09/10 11:30

神は、ここで使われている用語“可知”であるはず。


なぜならば生命の「親」だから。
さらに広げて解釈すれば、創造主。宇宙の生みの親だから。

超越、威力、禍福、畏怖、などは感覚が古いといえます。
遺物ですね。

今は、人の心は神の心と同質である、と受け止める事が出来るくらいに、知性は育っていると思います。

私がここで使う「神」はイコール善、ではありません。
善も悪も分け隔てられる前の状態です。
善悪は、人間の感覚によって発生するのではないでしょうか。

元に戻って、、、創造主によって生み出された人間のその精神は、創造主=神の精神と同質であるはずと、思えます。

同質ならば、“可知”といえるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 神は、ここで使われている用語“可知”であるはず。
☆ なるほど。わたしから見れば 《主観(主観真実)》としてのひとつの
見方だと思います。

☆☆(№9お礼欄) ~~~
◆ 知り得るか知り得ないかわからない。
☆ ゆえに――あたらしい視点をお教えしますが―― ひとは神を知ったと
思うことがある。のです。

おれは神を見たという自己表現を持つことまでは それを誰も否定できませ
ん。

ただしその真実らしさは 本人の主観真実の枠内でだけ有効です。

じつは この・神についての主観真実を言葉にして表現しその内容をオシヘ
とする場合が出て来ます。これが 宗教です。

つまり もし宗教のオシヘが神についての間違いのない真理だとしますと
その人は 神を知り得たと主張していることになる。

ところが 人間の知り得る神は 神の定義に反している。
つまり 宗教という宗教は 精神錯乱でなければ イカサマです。
~~~
☆ ただし 汽笛さんは 理由を述べておられます。

★ なぜならば生命の「親」だから。
さらに広げて解釈すれば、創造主。宇宙の生みの親だから。
☆ 反論だけしますが この理由だけだと 次のようになると思います。

つまり 《絶対性》と《人間たるわれ》とのカカハリは その間に絶対の隔
たりがあるからには 《親と子 創造主と被造物 生命のみなもととその恩
恵を享ける者》といった関係として捉え得るはずです。

それでも 子は親が何であるか? 何を思っているのか? まだ分からない
でいます。《非知》ではないでしょうか?

★ 超越、威力、禍福、畏怖、などは感覚が古いといえます。遺物ですね。

★ 私がここで使う「神」はイコール善、ではありません。
善も悪も分け隔てられる前の状態です。
善悪は、人間の感覚によって発生するのではないでしょうか。
☆ これらについて はい です。

★ 今は、人の心は神の心と同質である、と受け止める事が出来るくらいに、
知性は育っていると思います。
★ ~~~
元に戻って、、、創造主によって生み出された人間のその精神は、創造主=
神の精神と同質であるはずと、思えます。

同質ならば、“可知”といえるでしょう。
~~~
☆ ただし 同次元ではないですね。

人たるわれは 神の知恵をふくむ霊を分有するのではないかと。

お礼日時:2018/09/10 16:06

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