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世界には日本と違い明日食べる物さえなく多くの子供達が栄養失調で死んでいます。そのような現状を私はメディアからの情報で知っています。しかし、実際そのような人のためにボランティア活動をすることもなく寄付をするのも悲惨な現状をテレビで見て一時的にかわいそうだと思った後だけです。安い物を買って余った分を寄付に回そうと思うこともなくブランド物を買ったりしています。 
最近そんな自分の偽善者ぶりに気づきました。所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか?誰か教えてください。

A 回答 (15件中1~10件)

皆、誰でも自分の事で精一杯だと思います。


でも、その日常生活の中で、ささやかでも他人の事を思って何か行動できる人は、私は偽善者ではなく、素敵な人だと思いますよ^^
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>所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか?誰か教えてください。



人それぞれでしょう。今のあなたが他人の為に生きられないだけです、他の人間とあなたご自身を一緒にしないでください。質問をするのなら、私という人間は他人の為には生きられないのでしょうか?と聞いてください。

あなたがボランティア活動することがないのは面倒だから、寄付をするのは自分の一時的な気持ちを安定させたいから、好きに生きたらいいじゃないですか、偽善者と言われるのが嫌みたいに書いてますが、本音と建前をうまく使って偽善者で何が悪いと心の中で胸張って生きたらいいと思います。
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私も昔、ちょっとしたボランティア活動に参加する際、そういうことを考えたことがあります。


自己満足じゃないか?とか、偽善じゃないか?とか・・・

けれども、それを考えること自体が傲慢だということに気付きました。
自分を納得させるための理由を持つことが何かの役に立つでしょうか?

助けを必要とする人には、助けてくれる相手が善者であっても、偽善者であっても関係ないとは思いませんか?
そんなことを考えている間にも何かできることがあるかも知れませんし、例えば、目の前で溺れている人がいるときに、そのような事を考えますでしょうか?

ボランティアによって得られるものは「人を助けた喜び」以上である必要はないと思います。
また、その喜びを感じられれば、感じない人よりも人生を楽しく生きられると思っています。
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だってアレじゃないですか、しかたないですよ。

コンビニとかにおいてる募金箱、アレにおつりとか寄付しても実感?ないじゃないですか、。なんかマグロ?(すいません)学校で英文法の授業みたいな、似てると思います。
 TVの中の子ども達は、あなたの世界では一メディアだと、あなた自身が言っているじゃないですか。TVの中の無力な子ども達よりも冷蔵庫裏からうっかり這い出てきたゴキブリに慈悲はかけれないでしょうか?マザーテレサがゴキブリをたたく図は想像が難しいです。
 それに、我々のようなアメリカ的な先進諸国民の生活を維持するため、アフリカで砂漠はひろがり、水は腐り、戦争が続き、餓鬼のような子どもたちがさらに干ばつと疫病で苦しみます。CARE(国際ボランティア)?などをゴチャゴチャ放送しるのは、その事実から目をそらすためともとれます(CAREの活動は否定しません)。私たちの消費量を半分に減らせば餓鬼の子どもはいなくなります。『募金すれば善いんじゃないです。』お金を動かすという事は消費社会を動かす事ですから、お金を使わない事(稼ぐ事も)が彼らを助ける事になります(言いすぎですが、これくらいに取るほうがいいと思います)。
回答が最後になりましたが、僕の意見は「生きれます」です。なぜなら、「生きる」ことは「あなたの世界(視点)で生きる」ということが前提であるので、なので「他人のためになっていると感じること」が「あなたの生きがい」になれば、あなたは人のために生きていけます。それは、あなたのためであり、「あなたの世界の他人」のためになるのです。

 
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違うと思います


誰にとっても価値基準は違うと思います
あなたにとってその事は 感情は動かされても 行動を起こさなくてはいけないと思うほど 重要じゃなかったと言うだけだと思います
どっかの知らない人の命より 自分の欲しい物当たり前だと思います
そこで人を助けたとしても 自分が気持ち良いからやってるんだから
結局は同じだと思います
他人の幸せが自分の幸せか ブランド品などを買うのが自分の幸せかその違いで
人は自分が気持ちよくなるため 生きてるんだと思います
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偽善者という言葉はちょっと的外れのような気がします


結論から申しますとそのとうりです。
自分の為にいきることが人間という動物に科せられた義務
と言うことです。何事も人のためと思いながらもよくよく
考えると自分の為だと言うことがわかります。
例えば栄養失調で死んでいく子供の事を知ると助けて
あげなければと言う気持ちが生まれる、そしてその事が
自分の中で大きなウェイトを占めて何か出来ないかと思う
そして寄付をする、そして寄付をしたことで多少の
安堵感を得る、結局自分の心の平穏を保つ為にしたことに
なる。ボランティアにしてもしかり、ホームレスに金を
配って歩くやつはいない、感謝されないからである。
ボランティアをする事で良い気持ちになるからするので
あって、決して自分の生活を犠牲にしてまでする人は
いない、これが私の本音です。
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お気楽に。



ここを毎日クリックすれば
多少でも参加できます。

参考リンク:ハンガーサイト(日本語)

本家:ハンガーサイト(英語)
http://www.thehungersite.com/
更新中のようですね。

>所詮人間は他人の為には生きられないのでしょうか?
他人の為には生きられないのであれば存在意義は
無いでしょう。
年齢とともに考え方は変わります。

参考URL:http://www.kh.rim.or.jp/~dtnp_rm/ngos_and_npos/h …
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 他の方々も書いてますが、あなたは偽善者という訳では


ないでしょう。ただ、
>世界には日本と違い明日食べる物さえなく多くの子供達が栄養失調で死んでいます。そのような現状を私はメディアからの情報で知っています。しかし、実際そのような人のためにボランティア活動をすることもなく寄付をするのも悲惨な現状をテレビで見て一時的にかわいそうだと思った後だけです。
 という発想はあまり持たない方が良いと思います。何故ならば、1つには例え私達に比べて困窮しているといっても彼らは彼らは彼らなりの生活習慣や風習があり、困窮なのは、その結果から生じた結果が自分だけでなく、子孫にまではね返って来ているからに過ぎないからです。もう一つは彼らが彼らの生活習慣や風習に拘る余りにより効率の良い暮らし方を拒んでいる事も上げられます。ボランティアはあくまでもサポーターに過ぎません。ボランティアを受け入れる側がサポートを拒めばそれ以上の事は出来ませんし、他国の文明や文化を破壊する事は、やはり人道的にも許される事ではないからです。
 ですから、かわいそうなどという思いはどちらかというと的外れなのかもしれませんね。
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その気持ちが次の始まりだと思います。

決して偽善者ではないですよ。
同じ日に植えた種が、全部同じ育ち方をしないように、人の育ち方や考え方も
違って当たり前ですよ。違う者同士が出会って関係ができることが素晴らしい事ですよね。
わたしは、カンボジアを考える会に入って現地の農業支援の国内サポートを
しています。また、この活動をしてから素晴らしい人にたくさん出会えました。
その会の中にも現地で汗を流している人、会の中で資金調達を
考える人、カンボジアへの支援を広報活動する人、事務作業の手伝いの人、
資金カンパで会を支える人等様々です。
私達にとってカンパは励みにも直接的な支援にもなります。最初に出来る
素敵な協力ではないでしょうか。今、どの団体も資金不足に悩んでいます。
国はODA世界1位と自慢しますが、有効に活用されているかは疑問です。
身近なボランティア組織はお金がない分、何をしているかはっきり
わかります。もっとあればたくさんやりたいことができるのですが・・・
次は、どこに寄付しようかでいいじゃないですか。
そのうち興味が出たら、本も読むかもしれないし、活動したくなるかも
しれません。活動している人の話はおもしろいですよ。
現地の人との触れ合いは私の宝物です。自分の会でもスタディーツアーと言う物を
行っていますが、普通の旅行社の旅では味わえない楽しさがあります。是非どうぞ。
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いえ、あなたは何もしていないのですから、


偽善者でも何でもありません。ただの無関心人間です。

私はいろいろとボランティアをやってます。
そんなのして何が楽しいの?
と、たまに聞かれるのですが、
そんなときは「ボクは根っからの偽善者だから」と答えています。
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