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イスラムの断食(ラマダーン)は、開祖ムハンマドの苦労を追体験するものです。(satoumasaru様のご回答です)
ところで、仏教・キリスト教の開祖の釈迦・キリストとも断食という修行を行いました。
なぜ、仏教・キリスト教では、(少数の信者以外の)ほとんどの信者は、開祖の追体験としての断食を行わないのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

特別な祈り、悪霊追い出しとか癒しや取り成しの祈りをする時は断食しますよ?霊的に鋭くなるから。

でも、断食しなくてもイエス様が十字架に私の罪の為にかかってくれたので辛い修行や追体験無しでイエスが神の子、と信じるだけで救われちゃったので、わーいありがとう♪で感謝と賛美だけです。苦行しません。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
ある程度?の信者は、時により断食するのですね。ただし、<断食しなくても><イエスが神の子、と信じるだけで救われちゃ>うのですね。<苦行しません。>なのですね。<苦行>だけが良い、のではないのですね。

お礼日時:2018/12/11 08:25

私はクリスチャンです。

以前、1ヶ月間断食をしたことがあります。某祈りの家というところで。断食は健康にも良く奨励されています。開祖の追体験のためではありませんが、確かに霊的に研ぎ澄まされました。その後、いろいろ不思議な体験をしました。健康にもなったと思います。おすすめです。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
断食を実践されたのですね。<健康にも良く><霊的に研ぎ澄まされ><不思議な体験>をされたのですね。ムスリンが断食を古くから継続しているのは、そういう良い点が実体験できたから、なのかもしれませんね。しかし、私はたった1食を抜かざるえない時でも、イライラしてしまいます。

お礼日時:2018/12/11 11:07

仏教では、上座部仏教(小乗仏教)では


修行をしたわずかな人しか救われず、一般の人々は救われません。

しかし、釈迦はすべての人々を救いたかったはずである、という思想のもとに誕生したのが大乗仏教です。
大きな乗り物ですべての人々を救う事を目的とします。日本に伝えられた仏教は、
すべてがこの大乗仏教を基本にしています。

ですからあまり厳しい修行を行わないのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<釈迦はすべての人々を救いたかったはずである>
<大乗仏教>では、<大きな乗り物ですべての人々を救う事を目的>
なのですね。日本にはこの<大乗仏教>が伝えられたのですね。
一般の人には<厳しい修行>を求めていないのですね。

お礼日時:2018/12/11 11:15

こんにちは。



禅宗では、開祖・釈迦の追体験として、毎年、12月になると、お坊さんは臘八摂心(ろうはつせっしん)というものがあり、12月1日から8日朝までを一日とみなし、不眠不休の坐禅を行ない食事も制限され生活します。一般の参加も許されていたと思います。

しかし、仏伝では、お釈迦様が断食して肉体を苦しめても何もならないといって、禅定を解いてミルク粥をもらうわけです。それから、もう一度、禅定をやり直したという伝説が残っています。その粥を与えた娘の名前が、ご存知の「スジャータ」というわけです。

周りの人は、挫折したと非難したけれども、お釈迦様は、何事にも極端に走らない「中道」が大事だというのです。大乗仏教にも出てくるお話ですが、上座部仏教のパーリ語(経集3)のお経にもあります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.<禅宗では><不眠不休の坐禅を行ない食事も制限され生活>もあるのですね。
2.<断食して肉体を苦しめても何もならないと><お釈迦様が>体験し悟ったのですね。<「中道」が大事だと>いうことですね。<お釈迦様>らしい(私には)心温まるお話ですね。

お礼日時:2018/12/11 19:58

私はキリスト教系大学を卒業したのですが、入学試験にはそういうものは全くなく、ただの学科試験だけでした。

入った後にいろいろ聞かれて教会もあってさらに同窓生や担当教授とよく議論したけど、信者にもなりませんでした。それでも通用はしていて、単位ももらえて、キリスト教を教える科目でも問題なかった。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
紹介して頂いたご体験を考えているのですが、信仰における高尚なことは、公に学校で教えたり議論をする。しかし、あまり高尚でないことは、信仰者の実施(俗的な)に任せている、と無理やりまとめました。(自分で書いていても少しも確信が持てませんが)

お礼日時:2018/12/14 17:34

イスラム教徒です。


ラマダンは『断飲食して、貧困の人の飢えの苦しみや気持ちを身を持って知りましょう。そしたら貧困者を見かけた時に(気持ちが分かるゆえに)直ぐに助けの手を差し伸べてあげられるでしょう?』という意味のものです。

キリスト教は分かりませんが、ミャンマーなどの仏教のお坊さん達は断食してると耳にした記憶があります(曖昧ですいません)。
ユダヤ教にも断食はあったはずですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<断飲食>は、<気持ちが分かる>すなわち共感の実践なのですね。
仏教やユダヤ教でも(一部かな)<断飲食>を行っているようなのですね。俗世とは別な世界を体験する、ということでしょうかね。

お礼日時:2018/12/15 16:27

腹減るからね。



修行は
その程度
そこそこ中庸で
良いんじゃ無いかいッ?

余り突き詰めると
原理主義で
信者も
「付いてゆけない」って事になるんでは?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<修行はその程度>なのですね。一般信者が<「付いてゆけない」>ことはない程度の実践なのですね。そうはいっても、<腹減るからね>。

お礼日時:2018/12/15 16:32

「断食」


って言ったって、

死ぬまで断食するわけで無いっしょ?

いい加減って言えば
いい加減ですネ。

でも、
いい加減が
「良い加減」なんですね。

「究極の求道」が戒律だったら、
みんな死んでますって!
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございました。
断食といっても<「良い加減」>なのですね。そうでしょうね、教義も即身仏のイスラム版を求めているわけではない、ですからね。

お礼日時:2018/12/15 16:44

信者も人間だからね。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<信者も人間だから>易きにつきやすいですね

お礼日時:2018/12/19 19:18

プロテスタントでは一般に断食は行われませんが、カトリックや正教会や聖公会では、復活祭前の40日間(カトリックでは四旬節、正教会では大斎、聖公会では大斎節と呼ぶ)に食の節制をします。

(完全に食を断つわけではありませんが、肉など特定の食物は食べない、40日の間の特定の日には一日中ごく少量の食べ物しか摂らない、など。)
これは、聖書に書いてあるイエスの40日間の荒れ野での断食に倣って行うものなので、開祖の追体験としての断食と言えるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
<カトリックや正教会や聖公会では>、<食の節制>をするのですね。
これは<開祖の追体験としての断食>に該当するのですね。
理屈ではなく、同じ体験を通して教祖の教えに迫ろう、ということですね。

お礼日時:2018/12/19 19:29

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