この人頭いいなと思ったエピソード

鎌倉幕府と平氏政権の似ているところと違うところを教えてください。

A 回答 (2件)

同じところ


・両者ともに武士
・元々出自や婚姻関係などで似たところもある。

違うところ
・源氏は東国武士の棟梁(御恩と奉公が確立したのは後期で、言わば棟梁は「中小企業連合会会長のような立場」でカリスマ性や集中力が常に求められた。平氏は「平家にあらずんば人にあらず」というように武士団ではなく、平氏という血筋を大切にした。裏切者が出ない分、平氏以外での優秀な人材の活用が難しくなった。
・源頼朝を支えた有力御家人の北条氏を始め東国武士は特に上下関係は無い、実力主義で「俺が俺が」の世界。平家は天皇家と婚姻関係を結んだり血筋や長幼の序を大事にして本家、長男を大切にする。
・平家は京都を地場にし、名声や公家との婚姻を重視し堕落した。源氏はそれを参考に、鎌倉を地場とし強力な軍事力を確保することで天皇や公家を抑制することに成功した。
・平氏は既存の法律(天皇が作った)を守り、源氏は武士の法律を作りそれを守った。
・平氏はどちらかというと海に強く、源氏は馬や山に強い。
・平氏は貿易に強く、源氏は弱い。
・平氏は身内に甘いが、源氏は厳しい(源頼朝は兄弟筋の木曽義仲や源頼朝を討った)
・平氏はイケメン頭脳優秀者人格者が多いと評判だった(そのせいで正攻法で源氏と戦いすぎて負け続けたのもある)。源氏はとにかく勝ちにこだわりシビアだった。



天皇家もそうですが、大将(上司)や武士も親や長男を大事にするのはせいぜい武士らしさを失った江戸以降です。
要するにそういう儒教的精神というのは為政者がクーデターを食わないために作ったファンタジーですね。本来、実際の武士は長きにわたって政治闘争により、自分の大将や親や兄を殺したりしています。
そしてこの武士の基盤と言うのは源氏と言うよりは北条氏であって、これは要するに当時は日本の秘境とも言える土地であった鎌倉の豪族なわけです。
北には蝦夷と言う蛮族が住んでおり、頼朝はじめ政治犯の流刑地でもあります。当然質実剛健で華美を嫌う文化が生まれました。
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この回答へのお礼

詳しく丁寧にありがとうございます。
とても分かりやすかったです。

お礼日時:2018/12/14 19:29

まるで学校の宿題みたいな質問だねー。

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