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第一次大戦でも、朝鮮戦争でも、日本においては、輸出が伸び好景気となりました。
なぜ、第二次大戦勃発時においてはそのようにならなかったのでしょうか? 日独伊三国同盟のせいでしょうか?
一方、米国もニューディール政策の効果がいまひとつであるため、参戦を強く望んだそうですが、英国やソ連への輸出で特需は生まれなかったのでしょうか?どうしても参戦が必要だったのでしょうか?軍費は国債が2/3、増税が1/3で賄ったそうですが。

A 回答 (10件)

軍需産業は潤ったはずですよ。

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この回答へのお礼

さっそくのご教示ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/29 19:15

経済を 語るなら、



勝っていた時期と、
負け始めた 以降を、
同一視して、

十把 一絡げに、
語っては いけませんよ。
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経済封鎖があったからではないかな?


今で言うところの
経済制圧かな
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この回答へのお礼

ありがとうございます。それが本質のようですね。米英に屈服して、特需で儲けるという道はえらばなかったのですね。

お礼日時:2019/01/29 19:14

最大の顧客と戦争を始めたからです。

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この回答へのお礼

ご教示ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/29 19:13

第二次大戦勃発前から日本の輸出は急激に伸びています。

 日本の貿易は昭和7年まで常に輸入超過の貿易赤字でしたが、 昭和8年から輸出超過に転じ、輸出入額とも急激に伸び、第二次大戦勃発後の1940(昭和15年)まで日本の貿易は好調でした。 しかし、日本が参戦した1941(昭和16年)以降は、再び大幅な輸入超過に転じるとともに、貿易自体が急速に縮小しました。
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当事国は需要より消費が多いからだよ

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>なぜ、第二次大戦勃発時においてはそのようにならなかったのでしょうか?


戦争直前、日本はアメリカから経済制裁を受け、さらにアメリカ、そして同根のイギリスと「断交」しています。
当然貿易も止まります。(ABCD包囲陣)
アメリカ、イギリスからの石油輸入が止まった日本はそれを埋め合わせるため、南方の石油資源を狙いました。(南方進出)
中国とは10年以上前から、泥沼の戦争状態です。

>英国やソ連への輸出で特需は生まれなかったのでしょうか?
アメリカのことですか?
アメリカはたくさん売りました。
その時の富をもって、戦後第一等の超大国にのし上がりました。
一方、日本に売れるものはありませんでした。
工業製品や農業製品は国内消費分も賄えず配給制が敷かれます。
当時輸出の主力だった絹糸も、やはり国内消費分すら賄えず、スフなどという粗悪繊維の登場となります。

絹糸程度なら英国もソ連も自国経済圏で賄えます。


アメリカはイギリスとの誼からヨーロッパ戦線に参加したがっていましたが、モンロー主義のため阻まれていました。
そのため日本にアメリカを先制攻撃させ、防衛戦争を発動し、ひいては日本と軍事同盟を結んでいるドイツにも宣戦する、というシナリオがあったようです。
日本人は黄色いサルで人間でないから、どう扱っても国内からは文句は出ない、殺すハードルが低い。
しかもそのサルが北西太平洋で勢力を伸ばしているのは、面白いことではない。
サルを挫きヨーロッパにも参戦できる、一石二鳥の作戦だったわけです。

それにまんまと乗せられるのだから日本人はサルと言われて当然なのだが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。経済制裁されていれば、特需などありませんね。

お礼日時:2019/01/29 19:12

そもそも第二次世界大戦の原因が、世界恐慌だから・・。



かいつまんで言うと、第一次世界大戦くらいまでは、第二次産業が中心であり、また「戦争をすれば儲かる」「戦争して勢力拡大(植民地支配)すれば儲かる」と言うのが、列強など、当時の先進国の考え方だったんだけれども。

第二次世界大戦の直前は、金融経済なども成長してきて。
ところが、金融市場はまだ発展途上であり、銀行なども体力が弱く、ちょっと不景気になれば、バタバタと倒産。
それが引き金になって世界恐慌に陥ったので、やや極論すれば、「景気が悪いなら、戦争して稼げばいいじゃん!/植民地を増やそうぜ!」みたいな感じ。

もう少し細かく言えば、既に植民地を多く持っていた米英仏は、自国の利権を守るため、ブロック経済化して。
一方、それらに遅れをとっていた日独あたりは、利権から締め出されてしまったので、そこに参入すべく、対立構造化した訳です。

すなわち、「景気拡大路線の中での戦争」と、「景気対策としての戦争」の違いとか。
経済の中心が、第二次産業から第三次産業へシフトする過渡期であったなど、状況や環境がかなり異なっています。

そう言う視点で捉えれば、戦後に勃発した朝鮮戦争は日本の復興期であって、製造業を中心とした景気拡大路線なので、第二次世界大戦「以前」の状況,環境に近いです。
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日独伊の三国同盟はアメリカに弾かれて、敵の敵は味方なりで同盟を結んだのだろう。


同盟を組む前からアメリカに喧嘩を売られており、日本の大東亜戦争は始まっていたのです。
日本の幕末以前からの海外からの脅しによる脅威を、現代の日本人には分からないでしょう。
日本という国は資源に乏しい国であり、よその国からしか得られないというハンデが有ります。
現在も電気を得るために化石燃料をどれだけ輸入しているか知っている人は少ない、その癖をして原発には理解が無いのは困ったものです。
日本は明日にでも電気を止められ国民が死んでいくのは見えているのです、それを理解できないから反対運動をしているくせに貿易赤字が分からないのですよ。
これから先は日本の技術を教えてしまったが上に伸びてきた国、お隣さんグループに悩まされそうです。
何せ資源だけは有りますからね、あとスパイも沢山います。
泥棒産業の勝ちです、元手無しですから。
日本のような国はあのような国とは付き合ってはいけないのです、作った者は分解すると壊れてしまう技術も必要なんですよ。
アメリカはそうゆうところに長けているし、自分に有利な国際法を作るのが旨いんです。
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第一次大戦でも、朝鮮戦争でも、日本においては、


輸出が伸び好景気となりました。
なぜ、第二次大戦勃発時においてはそのようにならなかったのでしょうか? 
日独伊三国同盟のせいでしょうか?
 ↑
戦争が必ず好景気をもたらすものでは
ありません。

景気がぱっとせず、しかも国外で戦争をやる
時に、好景気になるのです。



一方、米国もニューディール政策の効果がいまひとつであるため、
参戦を強く望んだそうですが、
英国やソ連への輸出で特需は生まれなかったのでしょうか?
  ↑
生まれましたよ。
だから、戦争後、米国は見事な景気回復を
成し遂げています。



どうしても参戦が必要だったのでしょうか?
軍費は国債が2/3、増税が1/3で賄ったそうですが。
  ↑
米国の話ですね。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

また、米国は英国フランスなどにも大量の資金を
貸し付けており、彼等が敗戦になれば、貸し金が焦げ付く
可能性がありました。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きずり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。
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この回答へのお礼

詳しいご教示ありがとうございます。

お礼日時:2019/01/29 19:15

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