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中世では、日本の僧が今の中国などへ仏教を学びに行く事ってあったんですか?

A 回答 (7件)

成尋が著した平安時代後期(宋時代)の中国大陸旅行記[参天台五台山記]などは有名ですね。


彼は宋の神宗に優遇されて向こうで没し、善慧大師の号を賜わりました。
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遣隋使、遣唐使。

行政官の役目があった貴族階級や武士が日本を長期にわたり日本を留守にできないので、消去法として、渡海するのは、僧が多くなります。
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中国が再統一されて、隋・唐王朝が成立すると、日本(倭)は遣隋使・遣唐使を派遣しました(平安時代前期まで)。

正使である遣唐大使等の他、当時唐は世界最先端国であったので、これを学ぶため、留学生・留学僧が派遣されました。代表的な僧としては天台宗の開祖最澄や真言宗の開祖空海がいました。
遣唐使が廃止されて、唐も滅亡して日本からの正規の国交は断絶しましたが、以後も僧は自費で中国に渡り、仏教を学びました。鎌倉時代でのこの代表は臨済宗の開祖栄西や曹洞宗の開祖道元です。
なお、吉備真備は留学生として唐に学び、帰国して右大臣まで昇進します。玄宗皇帝に見いだされて唐の高官となり、帰国を果たせず彼の地に死したのは阿倍仲麻呂です。
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あったんです。



空海、最澄などが有名です。

当時の中国は世界一の先進国でした。
今の米国以上の国でした。

だから、仏教に限らず、政治、経済、薬学
などなど、色々なモノを学びに、日本人
の各層のエリートが渡海して、中国で
勉強しました。

朝貢外交を展開していた、中国側もこれを歓迎し、
留学生、留学僧の学費だけでなく、生活費の総てを
面倒見ました。
小遣いまで与えていました。

僧侶ではありませんでしたが、吉備真備などは
倍率数千倍といわれた科挙試験に合格し
中国の高官にまで出世しました。

井上靖「天平の甍」がお勧めです。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2019/03/29 07:05

あります。


だから、孫悟空などがあるのです。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2019/03/28 17:05

804年(平安時代:延暦23年)伝教大師(最澄)、弘法大師(空海)等が弟子等をつれて


遣唐使として中国に入った。
帰国後、伝教大師(最澄)は比叡山に延暦寺を本山として日本天台宗を、弘法大師(空海)は
高野山金剛峯寺、東寺などを中心とした真言宗を開宗した。

また、この頃から鎌倉時代にかけては、中国国内の不安定な時期もあり、中国の僧が
日本に渡ってきたり、幕府が中国から僧を呼び日本に禅などを定着させたケースも
あります。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2019/03/28 17:04

辞書を調べると日本で言うところの中世とは平安末期から室町時代とあるけどこれでいいのかしら?



有名どころでは鎌倉時代の道元が南宋へ渡ったとあるわよ
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2019/03/28 17:06

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