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北京の夏「では/には」、スイカを安く買うことができます。

上の例文に、「では」と「には」どっちを使いますか。詳しく教えていただくよう、よろしくお願いします。

質問者からの補足コメント

  • ご回答ありがとうございます。補足ですが、
    ○北京の夏「では」、スイカを安く買うことができます。
    この場合の「で」はスイカを買う動作の時間を表すのではありませんか。
    「現在では、簡単に解決できる問題だ」のように、動作が行われる時期を表していると思いますが。

    この動作が行われる時期を表すというのも、普通は「に」を使いますが、また「で」を使うのも、その違いが分かりにくいです。

    No.4の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/05/07 23:21

A 回答 (10件)

>あ、夏では、スイカを安く買うことができます。


個人的には、夏には、スイカを安く買うことができます、を使います。
「で」は場所、時間、手段を表すといわれますが、手段を拡大解釈して場所、時間も含み。手段≒条件?。
夏の北京では、スイカを安く買うことができます、→ 「で」は場所を表し文法優先で理解する人は理解しやすいいかも。
北京では夏に、スイカを安く買うことができます、→ 北京に限定される内容ではない?。
北京の夏→これだけで主体は北京と感じます、なぜ?、文法では「の」所有格、ならば、北京が所有する夏。
主体「に」目的格、収束を意味するとすれば、そこに目を向ければ、何がある?、「スイカを安く買うことができます」がある。
北京の夏では、→ 瞬間感じるのは、「話にならない、東京の湿度の高い夏の方が・・・」等の内容を連想します、(北京の夏、という手段≒条件)
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#8です。



>「あ、夏では、スイカを安く買うことができます。」この文が間違いなく普通に使える分とすれば、夏の前に「北京の」修飾語を入れても大丈夫ではないでしょうかっとおもいますが...

なるほど。
言われてみればそうかも。
「時期における場面」という特殊な意図を持つ表現なので、逆に大丈夫そうですね。

a:北京では、春は〇〇を安く買うことができます。秋は●●を安く買うことができます。
b:夏は?
a:えっ~と・・・。あ、北京の夏では、スイカを安く買うことができます。
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どちらも間違いです。



〇北京では、夏に(は)スイカを安く買うことができます。
〇北京では、スイカを安く買うことができます。
〇夏に(は)スイカを安く買うことができます。

などと表現するのが正しい日本語。
「に」は動作の行われる時を表わす格助詞。
「で」は動作の行われる場所や場面を表わす格助詞。

■#4さんへの補足を拝見して。
>○北京の夏「では」、スイカを安く買うことができます。
この場合の「で」はスイカを買う動作の時間を表すのではありませんか。
「現在では、簡単に解決できる問題だ」のように、動作が行われる時期を表していると思いますが。

これは、
「現在(という時期における場面)について言うならば、(それは)簡単に解決できる問題だ」
という意味。
「現在」という「時期自体」を表わしているわけではない。
あくまで「場面」です。

・夏では、スイカを安く買うことができます。

という文の場合も、

・夏(という時期における場面)では、スイカを安く買うことができます。

という意味。
日本語として間違いではありませんが、「時期自体」ではなく「時期における場面」を対象にするため、特殊なシチュエーションになるでしょう。

a:春は〇〇を安く買うことができます。秋は●●を安く買うことができます。
b:夏は?
a:えっ~と・・・。あ、夏では、スイカを安く買うことができます。

のような会話。
夏という「時期自体」を表わしつつ、

・夏(という時期)には、スイカを安く買うことができます。

と表現するほうが自然です。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。
「あ、夏では、スイカを安く買うことができます。」この文が間違いなく普通に使える分とすれば、夏の前に「北京の」修飾語を入れても大丈夫ではないでしょうかっとおもいますが...
「北京の夏では」にはちょっと違和感を感じますが。

お礼日時:2019/05/09 23:15

「では」の「で」が時を表すのはかなり限定的です。

「今年(来年)で終わり」「二十歳で結婚」「この夏で最後」
「で」が場所を表すのは、いろいろな場面で使えます。(元は「にて」より出た。)

 そういう理由で、「北京の夏」に「に」がつくと、「夏には」がふさわしく、「北京では」がふさわしい。
 「北京で(は)夏に(は)」というのは落ち着かないので、「は」という主題化の係助詞(金田一春彦なら「副助詞」と言うだろう)をどちらか一つにした方がいいのだが、スイカは季節ものだから夏売っているのは普通であり、東京のように春先でも売っているが、安くはない、というようなことはさておいて、主題化するのは「北京では」でしょうね。
 北京では夏、スイカを安く買うことができます。
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>>○北京の夏「では」、スイカを安く買うことができます。


この場合の「で」はスイカを買う動作の時間を表すのではありませんか。

先に回答の通り、
格助詞「で」は手段・方法・理由などの認識を表わします。
この「で」の対象が夏という時期なので時間を表わすように誤解しますがしますが、「学校で勉強します。」「車で行きます。」などと同じで、手段・方法として捉えた表現です。
「に」は時間的な位置付けの認識を表わします。

>>「現在では、簡単に解決できる問題だ」のように、動作が行われる時期を表していると思いますが。
これも、過去などと比べて現在という条件ではという方法・条件としての認識を表わすもので、直接に時期を表わすものではありません。

>>この動作が行われる時期を表すというのも、普通は「に」を使いますが、また「で」を使うのも、その違いが分かりにくいです。
「現在≪に≫は、簡単に解決できる問題だ」とは言いません。「現在になっても、行方不明だ。」のように、時間的、静的な対象として捉える時≪に≫「に」を使用します。

格助詞の前の語自体が時間的か、空間的かという形式的、表面的な側面で格助詞が使用されるのではなく、話者がその対象をどのように捉えるかで決まるもので、その点を理解しないと違いが分かりません。■
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どちらも使いません。


どちらの文章も、意味は伝わるかもしれませんが、
日本語として成り立っていません。
文章そのものが間違っています。
他の言語ではそういう言い回しで、
正しい文章が作れるのかもしれませんが、
日本語では「北京の夏」を主語にもってきて、
「スイカが安く買える」とつなげることはできません。

あえて、「北京の夏」を使うとすれば、
「北京の夏、それはスイカが安くなる時期です」
のようにするしかありません。
あまりいい表現とも思えませんが。

日本語では、
「北京では夏にスイカを安く買うことができます」
「北京では夏場はスイカの値段が安くなります」
こういう言い方をします。

この内容では、「には」まず使いません。
「には」を使うとしたら、普通は
「北京には有名なXXがあります」
「北京にはたくさんの人が住んでいます」
のような文章になります。
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どちらも使用します。


言語は話者の認識の表現なので、対象の捉え方が異なれば表現が異なり、意味が異なります。

格助詞「に」は空間的・時間的な位置付けの認識を表わし、対象を静的に捉え表現します。

格助詞「で」は手段・方法・理由などの認識を表わします。

○北京の夏「では」、スイカを安く買うことができます。
この「で」は「北京の夏」をスイカを買う手段・方法として捉えた表現で、「は」は特殊性の認識を表わす副助詞で、「西安の夏」ではなく、「北京の夏」という「北京の夏」の特殊性の認識を表わします。

○北京の夏「には」、スイカを安く買うことができます。
の「に」は「北京の夏」を空間的・時間的に位置付け、静的な対象として捉え、スイカを買うことができる時空間として表現しています。「は」は前文と同じ副助詞です。

なお、他の回答の誤解を招くリスクがある不適切な表現というのは、言葉足らずというだけのことです。■
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。補足ですが、
○北京の夏「では」、スイカを安く買うことができます。
この場合の「で」はスイカを買う動作の時間を表すのではありませんか。
「現在では、簡単に解決できる問題だ」のように、動作が行われる時期を表していると思いますが。

この動作が行われる時期を表すというのも、普通は「に」を使いますね、また「で」を使うのもあって、その違いが分かりにくいです。

お礼日時:2019/05/07 23:23

「では」は、二通りに解析できます。


1.格助詞「で」+係助詞「は」、「普通の手段―成功しない」(この場合「で」は格助詞として手段を表します)
2.断定の助動詞「だ」の連用形+係助詞「は」、「それはおもちゃ―ない」(後ろに「ない・ある」などの補助用言が付加されることに注意してください)

「には」は上記同様断定+係助詞「は」の解析も可能ですが、それは古語の場合です。現代語では上記1の格助詞+係助詞に限られます。

さて、ご提示の文ですが、現代の文ですから「には」は、格助詞「に」が時間季節を表せるので問題なく使用できます。その時期は当然安く買える、恒常的な条件と結果の意味となります。これに対し「では」ですが、「ない・ある」などの補助用言が付加され「北京の夏であれば」「北京の夏でなければ」ということになります。条件文としてはかなり範囲を絞り「その時だけ可能」の意味を強調する表現となります。
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どちらも文章としてはおかしいでしょう。



「北京の夏 “には” 安く買えるスイカが出回ります」
「北京 “では” 夏にスイカを安く買うことが出来ます」

参考まで。
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>北京の夏「では/には」、スイカを安く買うことができます。


 いずれの場合も、誤解を招くリスクがある不適切な表現になります。

「北京の夏」という店が、スイカを販売する際の季節変動を意味するような
 文章になっています。

 初夏は値段が高いものの、真夏になると値下がりして安く買うことができる
 ということを伝えたい場合、
「北京でも夏になればスイカを安く買うことが出来ます。」という感じになるかと。
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