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方丈記を読みますと、
当時、作者の暮らした周辺がとても過酷なことが述べられているようです
京都や周辺にあちこち、死体が転がっていたのだとか、
疫病が流行っていたとか。
そんな中で、作者自身は質素に暮らしたことは記しておりますが、
では、どのようにして食べ物を得ていたのか
具体的なことには触れておりません。

ロビンソン・クルーソーのように、
架空の話ながら、
日々の食料をどのようにして得ていたかについて
具体的に描いているのとは対照的です

畑とか耕していたのか、
お米を恵んでくれる人がいたのか、
あるいは、芭蕉のように俳句とか教えて、
弟子たちから恵んでもらっていたのか

鴨長明にかぎらず、
当時の隠遁者と呼ばれる人々はどのようにして食べていたのでしょうか?

A 回答 (2件)

鴨長明の場合は法界寺に頼っていたのだそうです。


友人である藤原長親でそのお寺で食事やお風呂の世話になっており、寝たり詩作にふける時にその「方丈」で過ごしていたのだとか。
後に再度仕事を持とうと街へ下りたりもしております。

基本的にこの時代の隠遁者なんてそんなもんですよ。
「方丈記」なんていってもその「高みの見物記」でしかないわけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました
世間を鳥瞰しているような
ものの言い方をしているものの
パトロンのような人が近くに居たようですね。

中国などは、
もともと地主でもあった人々が
唐詩などのような漢詩を作ったとも聞いたことがありますが、

鎌倉時代に
荘園制度のようなものが
崩壊していたとはいえ、
そんな
荘園などを管理している権力者などから
おこぼれをいただいているような事実があれば興味深いものです。

お礼日時:2019/06/30 15:09

https://ja.wikipedia.org/wiki/鴨長明
を参照。僧職であれば、「托鉢」という方法もあります。しかし、僧職につくことも無かったので、恵まれなかったのは事実でしょう。とにかく、還暦までは生きたのです。当時としてはむしろ普通以上の生活だったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。還暦とは60歳くらいまで生きていたのですね。
現代も収入の多かった人は、
長生きできる傾向にあると言いますから、
「普通以上」の生活だったというのもうなずけます。

お礼日時:2019/06/30 14:58

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