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山岳用語

って、なんでこんなにドイツ語が多いんですか?

A 回答 (4件)

ある人は、次のように言っています。



第二次世界大戦後は大衆化した日本の登山も、戦前は、エリートのスポーツ。
戦前の日本は、ドイツを模範としていた。
特に医学はドイツが最も進んでいたから、日本でもカルテ(Karte)はドイツ語で書かれていた。
学生さんが、気取ってドイツ語を使っていたのが、定着したって要素が強いんじゃないかな。
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ドイツでワンダーフォーゲル運動というのがありました。

これは戦前近代文明に反抗し、自然に帰ろうというひとつの潮流でした。 ドイツでは野外活動中に歌をうたったり、徒歩で旅行や散歩をしたり、自然と接することを意味していましたが、日本に輸入された時に登山と結びつきました。 日本でも1933年文部省内に奨健会ワンダーフォーゲル部が作られ普及することになります。 立教大学に日本の大学のうち最も最初の学生団体ができました。 山小屋ではなくテントに泊まり自炊しました。 実際の日本の活動とドイツのものとは異なるのですが、元になったワンダーフォーゲル運動がドイツのものだったので、
多くのドイツ語の山岳用語が日本に輸入されたのです。
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ボーイスカウトのスカウト運動が、イギリス人ロバート・ベーデン=パウエルによる若者の社会で有用とされ得る肉体的・精神的スキル向上の手助けを目的とする軍隊式の英国教育運動であり、


ワンダーフォーゲルが、ドイツ人学生カールフィッシャーによる自然主義学生開放運動としてのドイツ式教育運動。

二人の提唱は1908年ごろのほぼ同時期で、二人の提案は相反しているのに同じアウトドア・サバイバル術教育であり、
近代登山とアウトドアレジャーはスカウト運動とワンダーフォーゲルの理念を基に、同時期に爆発的に全世界へ普及しており、
日本へは立教大学ワンダーフォーゲル部設立を皮切りに、学生社会運動の礎にもなっており、昭和初期のインテリゲンチャ大学生によってアルピニズムやスキーなど日本のアウトドアレジャーが持ち込まれ、
1970年代には戦後生まれの大学生による登山ブームと同時に、その登山系大学生により児童教育としてスカウト運動教育が施された結果、
右翼にも左翼にも学生運動家にもヒッピームーブメントにも保護者にも全方位にアウトドア活動が受け入れられ第一次アウトドアブームを迎えました。

なので、ワンダーフォーゲルで用いられるドイツ語が登山用語の標準になっています。
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元々ドイツはアルプス山脈の一部を有していて、スイスのドイツ語圏を含めるとかなりの広さがあります。


マッターホルンはスイスとイタリアの国境で、スイス・ドイツ国境とは反対側ですが、マッターホルンという名称はドイツ語あり、これが国際的に知られている名称であるように、アルプスの登山開発においてドイツ人の果たした役割はかなり大きなものがあるのです。

ようするに19世紀後半から20世紀初頭の登山用品の開発はドイツ人(またはフランス人)が多く、それを直接輸入しました。

また山岳用品が開発されたのは、ワンダーフォーゲル運動が始まったからでもあり、これは山が身近にあるドイツだからこそ始まった運動です。他の方がベーデン=パウエルと比較していますが、ボーイスカウト運動はイギリスではじまり、イギリスは「山」と言えるほどのものがないので、キャンプはしても登山のような運動にはならなかったのです。

日本は明治期に陸軍の軍制や用兵方法などをドイツ式に統一し、山岳地帯の多い日本の軍務とドイツの用兵が一致したため、広くドイツ式の登山方法が輸入されました。ちなみに飯盒もドイツ式を採用したためにあの独特な形になっているのです。

そして、いずれ徴兵される少年たちの活動を支えるために、ワンダーフォーゲル運動が大学などに照会され、ドイツ式の用兵訓練方法・ドイツ式登山用具と相まって日本で「登山用品用語はドイツ式」になったのです。
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