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仏教ではなく政治の意味での、【中道】の語源について、、、ネットでこの様に書かれていたのですが、『』の事柄は本当なのでしょうか???

中道とは元々、仏教の用語。おしゃか様が
厳しい修行をして体を壊しそうになったので、極端な事をするより、物事は、ほどほどにしたほうが良いと説いたことによる。『これを公明党(=創価学会)が、政治用語で、あるかのように使ったのです。』

質問者からの補足コメント

  • 先程、調べてみたら平凡社の百科事典マイペディアや世界大百科事典 第2版には
    中道【ちゅうどう】
    一般に極端な見解や実践を排して中庸に就くことを求める哲学的立場。〈苦楽中道〉を説く仏教に典型的。左右の政治勢力の中間に立つ政治的立場を指す場合もあり,〈中道政党〉などといわれる。
    ちゅうどう【中道】もともとは道の中央あるいは中庸公正な道の意であるが,政治用語としては,一般的に左右の政治勢力の中間に位置する政治的立場を指す。

    とありますし。

    小学館の大辞泉にも
    ちゅう‐どう〔‐ダウ〕【中道】
    1 一方にかたよらない穏当な考え方・やり方。中正な道。「中道を歩む」「中道を旨とする」

    とありました。
    本当なのだろうか、、、、、( ;´・_・`)

      補足日時:2019/07/23 19:35

A 回答 (3件)

論文検索サイトのCinii(

https://ci.nii.ac.jp/)で「中道政治」をキーワードに検索すると、タイトルに「中道政治」を含む最も古い記事は1948年8月のものです。
公明党が結党以来、中道主義・中道政治を標榜していたのは事実のようですが、創価学会が政治進出を目的として文化部を創設したのが1954年11月、公明党の前身となる政治団体「公明政治連盟」を結成したのは1961年11月で、中道政治ということばの使用が確認できる1948年8月よりだいぶ後のことですから、創価学会や公明党が政治用語として使い始めたというのは誤りだと思います。

以下、「中道政治」をタイトルに含む記事で1948年に出たものです。
「中道政治論の厚顔さを衝く」1948・8 経済新誌
「中道政治の危機」1948・8 新生
「中道政治のフィナーレ―クイユ内閣」1948・9 世界週報
「中道政治力結集」1948・9 速報先見経済
「中道政治とインフレ克服―民主党の経済安定政策」1948・10 実業の日本
「中道政治の理念」1948・10 北海評論
「今日の歴史--中国幣制改革,フランス中道政治の崩壊,ベルリン会談の推移,アメリカでの共産党の活動,モスコー会談」1948・11 国際連合
「中道政治の探究への努力」1948・11 中央公論
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この回答へのお礼

解決しました

お礼日時:2019/07/24 17:20

政治の場合を一言で言えば、


「左派でもなく右派でもない立場」
ということです。複数の政党があった場合、一番真ん中寄りの政党を指す場合もあります。

なお、仏教でいう中道とは「ほどほど」ということではありません。
ブッダは琴の調弦にたとえたと言います。
「琴の弦は、緩んでいては音を出さない。
 かといって、張りすぎてしまうと音がひずむ。
 適度に張った時はじめて良い音を奏でるのである」
この『適度』が中道です。
ブッダは出家する前は王族であり、望むものは何でも叶う生活をしていたそうです。(伝承によればです)
苦行も楽行も極めたブッダならではのセリフです。

政治における「中道派」も、目指しているのはこれでしょう。
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創価学会 壮年部の者です。



公明党は、結党が1964年(昭和39年)ですが、その前身である創価学会内の『文化部』から
国政選挙候補として参選し当選した事が始まりです。

当時は、『55年体制』といわれて与党第一党である『自由民主党』と野党第一党である
『日本社会党』が政権争いをしていた時代です。

そうした中、本来であるならば一番焦点を当てなければならない『民衆』に光を当て
『民衆のための政治』をスローガンに上げ結党されたのが『公明党(公明政治連盟)』なのです。
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