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知らない人が死んでもなんとも思わないのに、
知ってる人が死ぬとどうして悲しいのですか。

教えてください。

A 回答 (23件中1~10件)

こんにちは,



 知っている人が死ぬと悲しいのは,

その人との関係が深かったから.

その人を愛していたから

その人と過ごした時間が二度と繰り返されないことがどうしようもなくつらく惜しまれるから

その人と過ごすはずだったかもしれない時間,
その人とするはずだったこと,
それをすることはもう二度となく,
あれもしておけばとか
あの時ああ言えばとか
もっと一緒に過ごせばとか,
大切にすればとか

失われてしまったものを惜しむ気持ちと自分がもっと何かできたのではという後悔.

不全感がのこるのかなぁ.


心理学的に,配偶者の死は,個人にとって最大のストレスイベントと位置づけられています.

喪失体験や悲嘆の研究がされています.

勉強不足であまりお答えできませんが,
本もありますので,関心があれば読んでみてください.


『悲しみに言葉を―喪失とトラウマの心理学』

喪失研究入門―なぜ悲しみに言葉を与えることが必要なのか
用語の定義、解釈作りの視点
親しい人の死による喪失
離婚・離別による喪失
理不尽な暴力による喪失
戦争や大量虐殺による喪失
病気や事故による喪失
貧困、ホームレス、失業

『悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために』


他の人の回答をあまり読んでいないので,回答が重なっていたら申し訳ありせん.


ちらりと目にとまったのですが,

知っている人が殴られたらつらいですが,知らない人が殴られていてもつらいです.

知っている人が死んだら悲しいけれど,

知らない人が死んで,悲しんでいる人を見たら自分も悲しいです.

想いが残るからというのは,とても深い意味を持っているように思います.

一言にすべてを含んでいるというか・・・.

相手に対しても,自分に対しても,未来に対しても,過去に対しても

すべてに対して想いが残る.

想いが残るとなぜ悲しいのでしょう.

達せられなかった,出来なかったこと,しなかったこと
したことすべてに後悔があるからなのかなぁと思います.


想いが残らなければ,知っている人の死も,諦められたりするのかもしれません.


悲しんでいる人は,みんな想いをいだいているのではないかなぁ・・・・.と思ったりします.


たとえば,心理学の説に,ジェームズ = ランゲ説というのがあるんですが,この人は,
『悲しいから泣くのではなく,涙が出るから悲しいのだ』といった人です.

つまり,生理的な反応が起こり,情動がラベリングされるという考え方ですね.

環境に対する身体的な反応こそが情動体験を引き起こす原因であるというのが彼の主張.


喪失体験→悲しい→涙でなく
喪失体験→涙→悲しいという考えです.

生体に情動反応が起こるのは,個体の維持や,個体を危機から守るためとも考えられています.

そうすると,質問者様が悲しいのは,質問者様の生体を守るためと言えます.

個体は,よりよい状態を求めるように動機づけられています.

知り合いを亡くすことは,自分にとっての損失となるので,生理反応が起き,情動がおき,その情動状態は個体を適応的なもの(たとえば,援助を求めるなど)へ
導くために起こっているとも考えられます.

質問者様の,知っている人を亡くしたらつらいのはなぜ?と理論的に理解しようとするのも,
質問者さまが適応的な状態へと動機づけられているからなのかなぁと思いました.

情動体験を知性化することで,感情から遠ざかろうと・・・・.

知性かも防衛機制の一つです.

私個人としては,悲しみを生理反応としてとか捉えても
苦しみは軽減しないと思っています.

そして,つらいこと,苦しいことがあれば,
これは何か意味のあることだ.
でないとこんなことあるはずないと思うのは,喪失体験をした人には当然の反応で,
その意味を探すことに必死になって,立ち直れなかったりすることも・・・.

意味を探すのではなく,徐々に受け入れられるように・・・.

今は難しいかもしれませんが,質問者様の痛みが,
いつか質問者様になじみますように・・・


なんの参考にもならないかもしれませんが・・・.

この回答への補足

検索しました。「ホームズとレイ」の1967年の発表ですね。
そうかあ、やっぱり配偶者の死がいちばん強いストレスなんですね。

そう、知らない人が死んでも悲しくないのに、
それを悲しんでる人を見ると悲しいのです。
同胞意識がそうさせるのでしょうか。
ただ、同じ「悲しい」でも、直接の知人が死んだ場合と、
ちょっと悲しみが違うかもしれません。
喪失感があるかないか?でしょうか。

後悔!その知人の死を考えても涙は出ませんでした。
涙ができるときは、その知人に対する後悔のときでした。
どうして何々できなかったんだろう、
もっと何々してあげればよかった。って。
これは失恋の時と同じかもしれません。

悲しみがストレスイベントであれば、
人はそのストレスを避けようとするはずです。
ならば、人はその後の人生のための学習として、
「後悔」しないように悲しくなる。の。かな。

涙が出るから悲しい。のは、そういう場合もあるでしょうけど、
ちょっと賛同できません。。自分に同情してるみたいで。

はい、きっとこの質問も防衛反応なんだと思います。
僕は意味を探し考えることで、受容してるんだと思います。
ただ、この気持ちが知人の死に向けられたものではなく、
自分の防衛反応のためだ、と思うとやりきれない気持ちにもなります。。

とても参考になりました。

補足日時:2004/12/20 15:25
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こんばんは。


知っている人が亡くなられた場合、その人を中心として結ばれた共同関係の解体と変容を意味します。葬儀はその再編儀式である。のようなことを何かの本に書いてありました。
人間関係の問題ですね。
自分の存在理由が確認できない人間関係、社会関係にいる人は、孤独を噛みしめると思います。

人間は1人だけでは生きていけません。必ず、自分の存在を確認できる他人が必要です。少なくとも僕はそうです。人間が孤独な存在の所以だと思います。(孤独な存在だからこそ、社会を形成しなければならない)

この回答への補足

すみません、孤独と悲しみにどういう関係があるのでしょうか。。

補足日時:2004/12/31 02:03
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>>しかし普段の生活において、例えば会社の同僚の「生死」を意識しながら生活しているでしょうか?



常に意識ということですか?してないとおもいます。


>>その関係を維持したくないから殺すのではないのでしょうか。

そうだとおもいます。
これは人の感情の役目は、関係の「維持」が主だという意見と、そんなに矛盾ないように思います。

ときに、もつれてどーにもならない関係を、効果的にすっきりさせるという意味での「より良い関係」をつくるため、「殺し」を選択しちゃうことがあるんじゃないかと思います。
「衝動殺人」とは、すこし先が考えられなくなって起こるだけで、けして意味なく起こることではないようですし。

ちょっとひねくれてますが・・・。
話がそれてますし・・・。

この回答への補足

悲しみは関係性の維持と関係していると言うことですね。

補足日時:2004/12/31 02:01
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思いつきなんですが、、、


知人の死を悲しむのは、損失を補いたいからです。
損したままでは、納得いかない。
なにかしら、失った分だけ得るものがないと、精神バランスを崩すからでしょう。
悲しければ、補う。
悲しくならなければ、失うばかりです。ダメ人間です。

悲しみを感じやすい人ほど強い、といえます。
それが裏目にでるTPOもありますから、一概には言えませんが。
例えば、友人が殺された場合、安易に復讐をしてしまう可能性が高いとか。

ただ、「意味」とかを求めるのはよくわかりません。
抽象的なものは具体的なものの代用にはなりますが、
ごまかしですね。
失ったものと同価値のものを手に入れるしかないですね。
それが出来ないのなら、出来ないと認めて、代用に走らないほうがいいと思います。

この回答への補足

なるほど、しかしその損失が補えないから悲しいのではないでしょうか。。

補足日時:2004/12/20 16:55
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 学説としてあるのかどうかは分かりませんが、次のような話を聞いたことがあります。


 人は群れを作って種を維持してきた生き物なので、群れたがるメカニズムを持っています。自分にとって有益であると思う人に対しては、もっと関係を維持していたいと思うようになります。そのメカニズムですが、その人と接しているときに、安心感をもたらす脳内物質が分泌され、その状態を心地良く感じることで、さらに、その人と一緒にいることを望むようになります。常にこのような状態にさらされることで、一種の依存状態になります。
 親しい人が亡くなると、脳内物質の分泌が止まり、禁断症状ともいうべき状態になります。これが、悲しいという感情として認識されると考えられます。

この回答への補足

なるほど、脳内物質の欠乏による禁断症状。
わかります。そんな感じです。
その物質が手に入るなら(死んだ人に会えるなら)何でもしようと思います。
麻薬はやったことありませんが、知識で得る麻薬の禁断症状みたいです。

補足日時:2004/12/20 14:57
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#4です。

まだ締められていないようなので、また来てしまいました。

補足欄に書かれた「喪の仕事」「キューブラー・ロスでいうところの5段階」からleiqunniさんが期待されている回答のシルエットがなんとなく想像できた気がします。

leiqunniさんの受けた悲しみが、心の中にあるこれまで経験された「悲しみ」のベクトルと全く違う強烈さや要素を持ったものだったので、そのことを解析(確認?)されたいということだったのですね。

心理学とは無縁の素人が失礼しました。

もう少し回答が集まるといいですね。

この回答への補足

はい、その通りです。

「人間だから悲しい」と言ってしまうのは簡単すぎて、
それも悲しいことです。

僕も心理学は門外漢なので、
僕と同じことを考えて、
研究している人もいるのではないか、
と思い質問しました。

補足日時:2004/12/20 14:49
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補足、拝見いたしました。



感情とは、絶対的基準ではなく
相対的基準のようです
つまり、なれるのです。

夏の寒さと、冬の暑さは、感情で比較しません。

イラクで人を殺したアメリカ兵が
精神的苦痛を訴えていると聞きますが、

労働が人を阻害するのはマルクスや
内山節さんを読んで見ると良いかと思います。
それでは、良いお年をお迎えください。

この回答への補足

すみません、おっしゃりたいことがよくわかりません。。

補足日時:2004/12/17 01:00
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「失うと悲しい」という感情がなければ、『人間関係』は維持できないからです。


他にも「嫉妬心」や「共感」や「怒り」や「思いやり」や「羞恥心」などなど、人間の持つ感情の多くは 『人間関係』を維持したり、よりよくしたりするために存在していると思います。
だから、関係ない人が死んでも悲しくないのは当然です。

人間は『群の生物』の最たるもんですから、『関係』はこの上なく重要なんです。
多少鬱陶しくても、感情とはうまく付き合わなくてはいけません。
個人的意見としては、「悲しい」という感情はすこし過剰な気がします。
反対の「喜び」も過剰だからでしょうか?

この回答への補足

あ、「人間関係の維持」と言う立場ですからね。しかし普段の生活において、例えば会社の同僚の「生死」を意識しながら生活しているでしょうか?また、好きだからこそ、人間関係を維持したいからこそ殺してしまったということもあります。

人間は郡、社会をなしますが、その社会が戦争で人を殺します。その関係を維持したくないから殺すのではないのでしょうか。

補足日時:2004/12/17 00:55
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再度コメントします.あなたは故人に会えたら死ぬことも楽しいといわれますが、これはレトリックなのでしょうか.あなたが死んだら悲しむ人がいるのではないでしょうか.この辺に別の大きな矛盾が潜んでいる様に感じます.私にももう一度会いたいと思う故人が何人もいます。

(これは過去形で書くべきなのでしょうか)。生前親しかった人達が死んでしまったことは悲しいのですがなぜか悲しいということを意識することが傲慢な感じがして、自分も死ぬのだなと思うことにしています.自分が不死であると考えれば故人が死んだことを悲しいと言えますが、悲しいと考えることはいずれこの故人達に「再会」しなければならないことを忘れている「生者の奢り」のように感じてしまうのです.あなたが故人に会えたら楽しいというのがレトリックでないとすればあなたも死ぬのだから悲しいのもずっとは続かないという意味では正しいことを語っているのだなとも思われます.

この回答への補足

大好きな人が死にました。その人に会えるのなら、僕は死ぬことは楽しいです。周囲の人は悲しむと思いますが。

悲しみはずっとは続きませんが、死ぬことができれば、いますぐその人に会えます。

補足日時:2004/12/17 00:52
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心理学には知りたいと言う意味で関心があるだけで、このカテに回答する能力がないのですが、


社会学の中に、同類意識の研究があります。
同類意識と同胞感情が社会を結合させる要素とされます。

このご質問の一つの回答として
同胞感情の強度の違いと答えることが可能かと思います。

なお、>知らない人が死んでもなんとも思わないのに、
知らない人の死は、「知る」事は出来ません、つまり失ったものの対象がないのですから、直接的な感情も発生しないのでしょう。
ただ、知らない人でも、犯罪や事故で死んだ人に直面すれば(事実的に知れば)、同朋感情から悲しみが湧くのが、人間にとっての本性と思いますが。

悲しみそのものの構造については、専門の書籍でも回答はないと思いますよ、究極的には「物質と精神」言い換えれば、脳の中の物理的変化が如何にして感情となるのか、私が聞きたいぐらいです。

失礼致しました。

この回答への補足

なるほど、同類意識と同胞感情ですか。

鎌倉時代の頃は、親の死体でも道端に放置したそうです。そうなると、心理学より社会学の範疇かもしれませんね。

医者や看護婦さんは自分の担当の患者さんの死に触れることが多いと思います。戦争中ではもっとです。そこら辺の研究はなされていないのでしょうか。。

補足日時:2004/12/16 16:43
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