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知らない人が死んでもなんとも思わないのに、
知ってる人が死ぬとどうして悲しいのですか。

教えてください。

A 回答 (23件中11~20件)

三たび、#4です。


余談ですが、人の死に対して即「悲しい」と感じられるleiqunniさんを少し羨ましく感じたりもしています。

さて、「悲しい」とか「羨ましい」などといった感情は心の動きであって、そこには「原因」や「理由」はあっても「意味」があるかは分かりません。

感情の「意味」とは一体どういったもの(こと?)でしょう? 
そのことが伝われば、leiqunniさんの意図に合ったご回答を得ることができるのではないでしょうか。

多くの回答者さんが悲しみを感じることに対して多方面から所見を書かれていて、傍の者としてはとても参考になります。

この回答への補足

> 人の死に対して即「悲しい」と感じられるleiqunniさんを少し羨ましく感じたりもしています。

人は知人の死に「悲しみ」を感じないほうが多いのでしょうか?

僕が知っている簡単な例で言えば、手の届かないところになっているぶどうを諦めるとき(あのぶどうは酸っぱい)と考えます。心理学で言うところの防衛機制(合理化)です。同じように人が死んだときの悲しみが研究されていればと、たとえば「喪の仕事」と言う言葉であったり、キューブラー・ロスでいうところの5段階みたいに心理学で分析されていれば。と。

補足日時:2004/12/15 22:36
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#4です。


「知ってる人が死ぬとどうして悲しい」かについて私見を述べたつもりです。
>人によっては知人が死んでも悲しくない人もいる
かどうかは、個々の主観的なことなので意見は述べませんでした。

「人によっては知人が死んでも悲しくない人もいる」かどうかは、leiqunniさんご自身が「知人でも嫌いな人なら悲しくないと思います」とお答えになってらっしゃいます。
ご自身でも思うかどうかは確定されていないようですが、少なくとも考えるかもしれないという余地は残していらっしゃいます。

ご自身の知人を自死で亡くされたそうで、心中お察しいたします。
そして、こうしてご自身の受けた悲しみに真正面から向かわれていること、亡くなられた知人をいかに大切に思っていたかが伺われました。

この回答への補足

> ご自身の人生経験などによって、感じ方も変化していくと思います。
と書いておられたので、読み違えてしまいました。すみません。。

はい、とてもかなしーです。その感情とは別に、この悲しみには意味があるはずだと思いました。[ライフ]に書かずに[教育][心理学]のカテゴリに書いたのもそのためです。

補足日時:2004/12/15 21:07
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#8です。


「知っている人」ではなく、「その人に対する貴方が良いと思う情報をどれだけ持っているか」です。

言い換えれば、貴方が知りえる情報から、その人に対してどれだけ共鳴できる事柄があるか。

そして貴方の頭の中で良いと感じる物を持った人が、この世から消える訳ですから、悲しいと感じる。

また、悲しいというのは、貴方が「嫌だ」と思い、尚且つ「仕方がない」と感じる感情だと思います。

と、ここまで書けば宜しいのでしょうか。
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私見ですが,普通私たちは自分というものが他の人の中に分骨(敢えて分骨と言いますが分身でも分心でもよいかもしれません)されることによって生きていることを忘れています.つまりわれわれは自分というものが何かということが分からないので周囲の人(あなたの言う知っている人)の心の中に移住させてもらおうとしているのではないでしょうか。

真夜中一人で真っ暗なところにいるときに感じる不安もその源泉はここにあると思います.知っている人というのは自分がその人の心の中にあなたの分身あるいは分心が移住あるいは定住している人のことですから,その人が死ねばそこに棲んでいるあなたも一緒に死んでしまうわけです.環境が滅びると生物も滅びるのと同じことです.つまりあなたという生物の生育環境がそれだけ狭くなったことが悲しいわけです.要するに自分が死ぬことが悲しいわけです.知っているというのは有名なタレントも知っている人に入りますが,このタレントがあなたのことを知らなければこのタレントが死んでもそれほど悲しくはないと思います.
 強い人ならば自分が本来棲むことができるのは自分(のからだ?)の中しかないのだいうように考えて、死んでいった人のなかに自分を生前住まわせてくれたことを感謝できるのでしょうが,これは大変難しいことだと思っています.

この回答への補足

自分が死ぬのは悲しくありません。死んだ人に会えるのなら、死ぬのは楽しいことですらあります。

補足日時:2004/12/15 06:04
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喪失感、ではないでしょうか。


知っている人が身近であればあるほど、その人に依存していたでしょう。
この時の依存とは一緒にいると落ち着くとか、楽しいとか、頼りになるとかその程度の依存ですが、亡くなってしまった場合、それが二度と叶わなくなります。
死別しなくとも、親しい人と二度と会えない、会話することも出来なくなったら寂しいと思います。程度の差こそあれ、この寂しさも同じです。

NO.8の方の例をお借りすると、映画や小説のお気に入りの登場人物が死んだ場合に悲しいのも、一方的に好意や興味を抱いていたからで、その期待の対象が居なくなってしまうから悲しいのでしょう。
ただ、ニュース等で事故や事件の模様を知って心を痛めるのは、この場合とは違って、自分を当事者に置き換えているのだと思います。
当事者の喪失感を想像して、自分がその立場だったら、と思うから悲しくなるのです。

喪失感ですから別の物や人で埋められる人も居ます。
まったくそれが出来ない人も居ますが、悲しみは次第に薄れていきます。例えるなら波打ち際に掘った穴のように、波が寄せては返すうちに埋まっていきます。
痛みが減るに従い思い出すことも次第に減るでしょうけれど、それは悪いことでも何でもなく、人間の生きるための本能だと思います。
長い人生の中ではこれから先も色々な人との離別が待っているでしょう。その時悲しみが薄れず蓄積していくだけだったら、息をすることも苦しくなってしまいますからね。

この回答への補足

喪失感!そうですね、喪失感ですね。喪失感が大きいと悲しみも大きいといえますね。
人は何かを失うと悲しいということですね。では、失うことへのカウンターパワーが悲しみでしょうか。

補足日時:2004/12/15 05:54
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要因はいくつかあると思いますが、


その人に対して良い情報をどのくらい持っているかが大きな要因だと思います。

例えば、知らない人が死んでもなんとも思わない人に、実はこの人はこういう優しい人で、悲しむ人もこんなに居たのにこのように死にました。と説明をうけると悲しくなる事があると思います。
この情報が貴方にとって共鳴できるものかどうかで悲しみは変わってくるのではないでしょうか。

また、小説で自分をわくわく楽しませてくれた魅力的な人物の死がやってきた時も同じで、実在の人間でもないに悲しい訳です。

もう一つ。
知らない人が死んでもなんとも思わない人でも、自分が親になったり、たくさんの人や人生とめぐり合い「人」というものに含蓄が深まれば、何をか思うようになると思います。
---
私はそういう考えですので #3omokajiippaiの書かれた回答は的を得ていると考えますが、ちょっと失礼ではないですか?
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悲しみの意味ですか。



それは一概には言えませんし、明確な回答を与えることは不可能でしょう。

先ほど話した刺激ー認知的評価ー対処とありますが、まさに対処が悲しみといえるでしょう。

少し難しい言葉になりますが、ハンサーのバランス理論というのがあります。人間と人間または人間と物など様々な事柄を結んでいる理論です。
死去と同時にそんバランスは崩れます。
それと同時に人間のもつ、様々な欲求の中に、愛情と所属の欲求というものも崩れます。
一般の方ならピンとこないかもしれませんが、人間のもつ生得的なものが、悲しみというものを引き起こしています。

しかし、人間とは理論や数値のみでは計り知れない生き物です。

もしも、leiqunniさんがだれか親しい人を亡くし、悲しみがこみ上げてくるなら、それは人間味あふれる正しい感情だと思います。
その人ともう会えない。話もでできない。
そんなときに、悲しいと思え、その人のことを考えることができる。それが人間だから、悲しみはあると思います。

この回答への補足

つまり「人間だから悲しい」ということですね。
いまの心理学でも、その程度しか研究されていないんですね。。

補足日時:2004/12/15 05:49
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こんばんは。



知ってる人って、いろんな思い出があったり、その人のことについての記憶があるかと思います。
その記憶の中で、その人に対しての気持ちというか、好意などが左右されるかと思います。

知人と言っても、いろいろで、毎日顔を合わす人もいれば、そうでない人もいますし、個人的感情ではないかなぁと思います。
嫌いな人が死んでしまったのと大好きな人が死んでしまったのでは悲しみの度合いが全然違うと思いますし・・・
ましてや、死んでしまった状況が悪いと尚更悲しくなったりするのではないでしょうか?

「大好きだった知人を自殺で亡くしました」とありましたが、大好きだったということと、自殺という点が納得がいかないとか、残念とか、さみしいとか、そういう気持ちと混ざってるのではないですか?

「この悲しみにはどんな意味があると言えるのでしょうか」ということですが、やはり大好きだったということではないでしょうか?
その人に対しての気持ちがあればあるほど、悲しみは大きいと思います。
それだけ大事な人だった・・・ということではないでしょうか?

私も昔、彼氏を亡くしました。
このまま結婚できたらいいね~なんて言ってたのに、突然理由もなく別れて欲しいと言われ、納得が出来ず、何度も理由を聞いたのですが言ってくれず、最終的には音信不通になりました。
私は理由もわからず、苦しみましたが、彼は余命半年と宣告されてたそうです。
持病があることは聞いてましたが、そんなに悪いと思ってなく、元気そうだったので気がつきませんでした。
彼が亡くなって1年ほど経ってから、彼が使ってたパソコンを使った弟さんが偶然、彼が私に送った別れることに対しての謝罪のメールを偶然見つけ、迷ったけど知らせたほうがいいかと思って・・・とメールをくださりました。
そのおかげで彼の死となぜ突然別れて欲しいと言ったかがわかったのと同時に、なぜそんな大事なことをひとりで抱え込んでたのかという気持ちや、あの時、別れることに対してきちんと話し合えばよかったかなぁと後悔したりしました。

でも、落ち着いてから考えると、私にとってはこの方がよかったのかも・・・と思います。
余命を宣告された彼をそばで支えるだけの力が私にはなかったと思います。
悲しみも別れて2年近く経ったこともあって、毎日泣き続けるということもなかったですが・・・

悲しみって、自分の中でその人に対しての気持ちの占める範囲なんじゃないでしょうか?

気持ちが癒えるには時間がかかるかと思いますが、少しずつ癒えて行くと思います。
ただ思い出して泣いてしまうこともある場合がありますが・・・

この回答への補足

はい、悲しいのは悲しいです。それは好きの度合いや思い出の量に比例すると思います。
でも、それは、なぜなのでしょうか?

補足日時:2004/12/15 05:33
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むずかしい質問ですね。

でもいろいろ考えてみたけど結論は
知らないひとが殴られてもなんとも思わないのに友達がなぐられたらむかつく・・
のと同じなのかな?でも死の悲しみって時間以外には癒されない気がします。私も「死」については考えることがよくありますが(別に自殺願望があるとかじゃないですよf^_^;)結局答えってないような気がします。自分で考えてみてなにか分かったらそれが答えだと思います。
回答にならなくてすみません。。また的外れな意見でしたら失礼しました。

この回答への補足

では、知らないひとが殴られてもなんとも思わないのに友達がなぐられたらむかつくのはなぜでしょうか?

補足日時:2004/12/15 05:18
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私見です。


体の中で悲しいと感じる(感じない)ところは心です。
心の中に居た人が亡くなると、心のその部分が空虚になって“悲しい”と感じたりするのだと思います。
死別は離別と異なり二度と会えないことが決まっているので、心の欠落が大きかったりするのかもしれません。
知らない人の場合でも、その死の状況をどう捉えるかによって、悲しいと感じるときもあるかもしれません。
ご自身の人生経験などによって、感じ方も変化していくと思います。

この回答への補足

つまり人によっては知人が死んでも悲しくない人もいる、という意見でしょうか?

補足日時:2004/12/14 04:24
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