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景色に見えるのは様々な性質の光(電磁波)ですよね。その様々な性質が

目を通して或いは他の音などを通して脳にその見えててるもののぞうが浮かびます(見えるままに)

これはやはり外の性質が中の性質として捉えられた、大宇宙の性質が脳の小宇宙として

映ったのではないでしょうか?

実査ににはいってきたのは光や音です それが山や川、街や村に見えるのですから

性質としての情報が脳や心に入ってきたのではないでしょうか?

A 回答 (2件)

実査ににはいってきたのは光や音です 


それが山や川、街や村に見えるのですから
 ↑
山や川に見えるのは、脳の中に既に
山や川が存在していたからです。

入ってくるのは、単なる光ですが、それが
山や川に見えるのは、永年の学習の結果、
脳に山や川が存在していたからです。

産まれたばかりの赤ちゃんには、山、川は
判らないと思います。




性質としての情報が脳や心に入ってきたのではないでしょうか?
  ↑
我々がみているのは、脳の中に既に存在する
山、川によって加工、修正された山であり
川です。

死を直前に感じると、その加工、修正が無くなり
ダイレクトな山、川をみることになる、という
説があります。
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この回答へのお礼

Thank you

何度も山や川を観ないと 山や川の概念は生まれないでしょうね

しかし実際にそれらの経験を通して様々な山や川が見えるのですから

どんな川かとか、どんな山かというのはその光によって脳に届けられた情報による訳じゃないですか?

それらの性質が光を媒介として脳まで届く そして「山」や「川」と言う概念+実情の情報がはいってくるのでしょう?

お礼日時:2019/09/25 14:48

自分自身も含めて、結局全ては「何か」なんですよ。


「何か」というモデル。
『「何か」というモデル』という何か。
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この回答へのお礼

ありがとう

私はその何かを エネルギーと性質で出来ていると考えています。

お礼日時:2019/09/25 14:43

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