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A 回答 (22件中1~10件)

墨子の兼愛のように、善きことに向けて、互いが互いに譲り合う、助け合う、ゆえに互いが互いに認め会う、この事が、経験合理性をもって、共同主観のうちで、デザインとして共有されるのかと言えば、日本人にかぎり、されていると思います。

私は、このデザインが、最も学べるのは、農業、農仕事ではないか、あるいは、ハイデガーの日本人のお弟子さん、川原栄峰さんが、やっていました、ボーイスカウトなどでの身体活動による実感が、ある意味、経験合理としてデザインを実感できるのではないか、と考えています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 墨子の兼愛のように、善きことに向けて、互いが互いに譲り合う、
助け合う、ゆえに互いが互いに認め会う、
☆ 兼愛説 ありましたね。

★ この事が、経験合理性をもって、共同主観のうちで、デザインと
して共有されるのかと言えば、日本人にかぎり、されていると思いま
す。
☆ お互い様といったエートス(感覚)は 一般的でけっこうつよい
ように思えます。


★ 私は、このデザインが、最も学べるのは、農業、農仕事ではない
か、
☆ 協働作業と言いますか あるいは時間をかけて実をみのらせるた
めにはたらきますから。

また 自然界とつねに向き合っていますね。


もっとも稲作は あんがい個人的ないし家族的な仕事であるとも言い
ます。協働作業ないしいわゆる集団性は 水の施設とその管理の問題
だとも。(そういう一面として ふれておきます)。



★ あるいは、ハイデガーの日本人のお弟子さん、川原栄峰さんが、
やっていました、ボーイスカウトなどでの身体活動による実感が、あ
る意味、経験合理としてデザインを実感できるのではないか、と考え
ています。
☆ いろんな種類・方面の活動もあり得るでしょうね。

真言宗の僧侶でもあった人なんですね。


具体的な活動としての展開は いくらでもアイディアを出して行ける
ように思われます。それは たのしみです。

お礼日時:2019/11/06 10:11

事実と解釈があって、事実を巡って解釈に特異な価値観をいれるので、宇宙の仕組みにも、色々な価値観や、そのパースぺくティヴに基づいた解釈の引っ張りあいが行われます。

歴史家のディルタイは、ここに腐心しましたし、後期ニーチェは、この事を、「力への意志」といって、自己の立場を優位にしようとする政治的解釈闘争と断じています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 事実と解釈があって、事実を巡って解釈に特異な価値観をいれるので、
宇宙の仕組みにも、色々な価値観や、そのパースぺくティヴに基づいた解
釈の引っ張りあいが行われます。
☆ そのとおりですね。

しかも そのような価値観・要するに ものごとの好き嫌いや立ち居振る
舞いに付き物のクセ(エートス)が 人間に切っても切れないものだとし
たら それらのあいだの利害関係などを調整しなければなりません。


つまり 政治ないし共同自治です。そしてこの場合 種々の相い対立する
《解釈》を取り扱って そこに普遍的な価値を基礎として一般性を持った
解決策を打ち建てなくてはなりません。





★ 歴史家のディルタイは、ここに腐心しましたし、
☆ なるほど。そういった著作がありました。


★ 後期ニーチェは、この事を、「力への意志」といって、自己の立場を
優位にしようとする政治的解釈闘争と断じています。
☆ そのようですね。

・ ゆづるという受け身のチカラは ないか? 

・ 助け合いには人びとは みちびかれないか?

・ 《神のごとくいかなる者の下にも立つまいと堅く誓った者》のアマア
ガリ・シンドロームに罹ったようなお二階へ上ることのキソヒアヒは――
つまり その意味での《力への意志》競争は―― 果たして 人間性のす
べてか? それ以外には 人間性はないか?

・ 社会の一階と二階とは けっきょく権力や主導性にかんがみて 逆立
ちしていないか?

お礼日時:2019/11/06 09:05

宇宙の仕組み=神のデザインですね。

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この回答へのお礼

ということは そのような趣旨でさらになお 経験合理性で分かるように
人びとそれぞれが 中身を考えて行く必要がありますね。わたしのごとく 
試行錯誤でよいと考えますから。


ひとつの課題は 昔から 弁神論・神義論(テオディツェー)でしょうか。

因果応報の説について それがどこまで有効なのか? など。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/11/06 08:49

宇宙の仕組みのことです。

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この回答へのお礼

ただし 自然科学のいろんな知見のことだとしますと:

ひとつに 良し悪しの価値観を抜きにした《仕組み》です。

要素ごとの因果律は認識しますが そこに人間の価値観を容れた意志行為
を問う場合・すなわち 因果応報をめぐる見解については ゼロとなりま
す。

それでよいか?


もうひとつに ではその宇宙の仕組みは 神とどのようにかかわっている
か?

これが 人によって異なるかも知れず 明らかにしておくのがよいと思わ
れます。



ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2019/11/06 08:42

釈迦の生きた2600年前に文字もなかった。


お経とは釈迦と弟子の質疑応答です。 彼らはそれをしっかり記憶し伝承したのでしょう。
法華経は釈迦 晩年のお経です。 色々お経があり日本でもお寺で分かれているようですが、いづれも正しいわけです。 

釈迦が何故答えなかったか、私にもわからないが、彼はすべてを知っていたとおもいます。
しかし、2600年前の民衆に宇宙の悟りを話しても仕方ないと思ったと考えます。

鎌倉時代に日蓮、親鸞、法然とか高僧がでましたが、無学な民衆に高度な教えは無理と思い、 ただただ、南妙法蓮華経と唱えなさいとか、南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に行けると教えたのでしょう。
疫病、戦乱の世で簡略した教えしか説けないのです。  釈迦も答えないのは 無記といって仏典には載せなかったそうです。

釈迦の悟りとは、村娘からおかゆを布施されたときのものとか菩提樹下の悟りとかありますね。
中道への悟りです。  ちなみにあなたは偏っています。

あなたがその様なら、自分が神か仏になりなさい。 実際に人間には仏性という神・仏と同一のものがあるそうです。

        さよなら~
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 釈迦の生きた2600年前に文字もなかった。
☆ あれっ。何だか自信がうすれますが サンスクリットまたはパーリ語
は 文字で伝わっています。(ゴータマ氏は マガダ語だったとしても)。

★ 釈迦が何故答えなかったか、私にもわからないが、彼はすべてを知っ
ていたとおもいます。
☆ 憶測に過ぎません。

★ しかし、2600年前の民衆に宇宙の悟りを話しても仕方ないと思っ
たと考えます。
☆ だったら なおさらインチキが効果的。



★ 鎌倉時代に日蓮、親鸞、法然とか高僧がでましたが、
☆ 日蓮のどこが? 敵はころしてもよいと言っているのですよ。(秋元
御書)。


★ 無学な民衆に高度な教えは無理と思い、
☆ 無学とは もう学ぶことが無いという意味ですよ。


★ ただただ、南妙法蓮華経と唱えなさいとか、
☆ 狂気の沙汰。

★ 南無阿弥陀仏と唱えれば浄土に行けると教えたのでしょう。
☆ それは 法然。親鸞にしては 《はからひ無きを 念仏と言ふ》です。
信仰ゆえに恩恵を享けておのづから口をついて出るのが 念仏です。まさ
か 成仏するために念仏を唱えるとは! 義無きを以って義とすなのです。


★ 疫病、戦乱の世で簡略した教えしか説けないのです。 
☆ ウソです。

★ 釈迦も答えないのは 無記といって仏典には載せなかったそうです。
☆ さとりは 別です。


★ ちなみにあなたは偏っています。
☆ どこが? 中身を明らかにせずに 何を言っている?



★ あなたがその様なら、自分が神か仏になりなさい。
☆ あほらしい。


★ 実際に人間には仏性という神・仏と同一のものがあるそうです。
☆ だったら ゴータマくんは さとりとは何かを明らかにしてもよかっ
た。二千数百年も持ったイカサマ野郎。

        
★☆ さよなら~

お礼日時:2019/11/03 22:24

https://ja.wikipedia.org/wiki/無記   といい悟りとは関係ないので記さなかった。

釈迦と   あみだ様は別でイエスさまの系統です。仏教は自力、浄土系は他力です。

インチキとは驚きです。 ゴーダマ・シッタールタは一万七千まえごろにムー大陸で法を説きました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


弟子のシャーリプトラが ぜひさとりとは何かを説いて欲しいと
懇願しても ゴータマ氏は それを明かすと民衆が混乱するから
と言って 明らかにしなかった。と法華経にあります。


この上なくとうとい知恵のさとりを得たとみづから宣言したのに
です。アホか! と言わなければならない問題です。



信じるとは 人知を超えたナゾの何ものかを無条件に無根拠にて
わが心に受け容れることです。非思考です。

そして 考える思考と感じる感性とが 別にはたらいています。

非思考の信仰については 誰もが《他力 しかも 絶対他力》で
しかないのです。

思考および感性の経験行為にかんしては 自分で考えるに決まっ
ているからには 誰もが自力(および人びととの協働)によるこ
とも決まっています。

お礼日時:2019/11/03 20:59

あなたは暇なのか、頭が良すぎるのか解りませんが、うろ覚えですが、だいぶ前にお釈迦さま?かな、ある人が宇宙は有限か、無限かとか聞いたらしいのです。



その時の答えは、そんな事は貴方には関係ない、貴方は今、周りの人と調和することです。家庭はうまくいっているのか?目の前にあることを考えなさいといったそうです。

大事なことは今です。

<毒矢のたとえ>  www.mahayogi.org/tokyo/yoga/cula-malunkyaputta-sutta/

訂正・  天の川銀河ね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

あたまが よいのです。おおまかに言って。

お釈迦さまが わるいのです。と言うよりも インチキをはたらいています。

まわりの人たちは そのゴータマ氏が 身分制には反対であり人間性をとう
とぶ思想に立っていましたから あとのインチキの部分については大目に見
て捉えていました。


人びとはあとで ブッダター(仏性)を立てるようになりました。ゴータマ
氏はそれを説くことはなかった。(ブッダであることの神通力のような話を
していましたが)。

また アミターバ・タターガタ(阿弥陀如来)をやはり後世の名も無い民衆
が立てるようになりました。

ゴータマ思想を修正したのです。

お礼日時:2019/11/03 20:19

宇宙は無限だし、神とは意識だと思います。

 この天の系銀河太陽系に地球があり色んな星に
宇宙人がいます。
かれらは地球より1000年も進んだ科学をもっています。
神とよばれるのは人間の形などしていません   かくあれという 意識であり、光です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 宇宙は無限だし、
☆ ところが 無限には 可能無限と真無限とがあります。

人知を超えた超経験の場が絶対性であり無限だというのが 真無限です。

ところが あくまで経験世界の中で どこまでも――たとえば円周率の
小数点以下が限りなくつづくというように――終わることなくつづいて
いる場合があります。これが 可能無限です。

ですから たとえば π は 3と4との間におさまる経験事象としての
数値であるに過ぎません。

宇宙も 経験事象であるかぎり 経験的な相対的な可能無限です。



★ 神とは意識だと思います。 
☆ 《神》といった言葉で 何らかのものを表象することはあり得ます。
感覚として何かをイメージすることもできます。

つまり そのような表象やイメージについてわれわれは思いとして確認
するかのごとく思う・つまり意識することがあり得ます。

ですが ではその《〈神〉という言葉やその意識》が 神なのか? お
そらく大方の意見は ちがう となるでしょうね。

神は その文字でもあるいはその発音でもないはずです。そう簡単に規
定することは出来ないのではないでしょうか。


★ ~~~~
この天の系銀河太陽系に地球があり色んな星に宇宙人がいます。
かれらは地球より1000年も進んだ科学をもっています。
神とよばれるのは人間の形などしていません   かくあれという 意
識であり、光です。
~~~~~
☆ というと おそらく《理想概念 つまり 理念〔のようなもの〕》
をイメージしておられるのでしょうか。

たぶん 理念は神という正解に到る道しるべであるかも知れませんが
神そのものではないのではないか? こう思いますが。

お礼日時:2019/11/03 17:58

宇宙とは神の別名です


そして宇宙とは物質主体ではなくて
精神性主体なのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 宇宙とは神の別名です
☆ まさか! だとしたら いつからそうなりましたか?

宇宙とは 世界と言っているのと同じですよ。


★ そして宇宙とは物質主体ではなくて
精神性主体なのです。
☆ どちらも あります。ひとは 身と心とから成っています。

お礼日時:2019/11/01 18:02

宇宙の法則とは「永遠」です。


宇宙には果てがなく無限です。
宇宙には時間の始まりも終わりもありません。
物質の存在が無限に続きます。
人類の科学的知識ではその概念さえも解明されることはないでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 宇宙の法則とは「永遠」です。
☆ でも その《宇宙の法則》とはそもそも何ですか?


★ 宇宙には果てがなく無限です。
☆ そうだとしても その無限は 可能無限であって じっさいには
経験事象であって相対的なものに過ぎません。

円周率が 小数点以下かぎりなく数字がつづく・・・ということは 
そうは言っても その数じたいとしては 3と4との間におさまりま
す。

それと同じように 果てがない宇宙だからと言って 絶対性としての
真無限ではないでしょう。



★ 宇宙には時間の始まりも終わりもありません。
☆ これも いまの議論と同じです。たとえそうだとしても 数とし
て一なら一の積み重ねであるに過ぎません。絶対性としての永遠では
ないのです。

いつまでも死なないということと 絶対性としての生命とは 別のこ
とでしょう。次元がちがいます。


★ 物質の存在が無限に続きます。
☆ それもあり得ます。というだけのことです。人間は誰もそのこと
を見届けることなど出来っこありませんが。


★ 人類の科学的知識ではその概念さえも解明されることはないでし
ょう。
☆ 経験事象として果てが無く限りなくつづくというのは ただの可
能無限です。そういう概念です。

お礼日時:2019/11/01 15:09

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