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哲学として定義してくださいませんか?

宗教を信じるだのキリスト教を信じる・ブディズムを信じるだのと
よく聞きます。

おかしい。オシヘは 考えるもの。概念を思い込んだからと言って
《信じた》ことになるだろうか? 


《考えた》その結果を 思っているのだと言っても それなら理念
やイデアの崇拝者になるに過ぎない。理念や思想という偶像のでは
ないか?

哲学としてただしてください。

質問者からの補足コメント

  • №41お礼欄のおぎないです。


    無条件に受け容れるとき ひとは 考えてもいいんです。批判しても
    構わないんです。

    神のバカ野郎! こんなに災害の起こるのを放っておくなんて! と
    ののしってもいいんです。


    批判するしないにかかわらず 人知を超えて無条件に受け容れる。こ
    れが――なぜなら その対象は 相対世界を超えた絶対性なのですか
    ら 言ってみればわれわれ人間は歯が立たないと言わざるを得ません
    それゆえ―― 信じるなのだと見ます。

    No.41の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2020/01/13 11:19

A 回答 (30件中1~10件)

度々失礼します。

使用する言語は同じでもそれに込めた意味が少しずつずれが生じるのは言葉が生き物である以上当然ですが、私の「無批判」という言葉に込めた意味は「批判しようとすればできるけど、その必要を感じない」状態を含んでいます。つまり、自身にとって、あれこれ考える前に「これだ!」と心に染み込むように納得できる状態を含んでいます。なのであなたの言われる「無条件」と限りなく近いと感じています。蛇足ですが「全ての意味ある命題は反証可能性がなければならない」(カールポパーの言葉)という言葉に鑑み、」批判しようとすれはできるけど、そんな気にならない」状況を有意義なもの、と考えています。しつこく失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 使用する言語は同じでもそれに込めた意味が少しずつずれが生じる
のは言葉が生き物である以上当然ですが、
☆ はい。

★ 私の「無批判」という言葉に込めた意味は「批判しようとすればで
きるけど、その必要を感じない」状態を含んでいます。
☆  びみょうですね。


★ つまり、自身にとって、あれこれ考える前に「これだ!」と心に染
み込むように納得できる状態を含んでいます。
☆ あっ。ここも じつは 前項の表現以上に微妙です。

つまり:
★ 納得できる
☆ というのは 一般には《考える》問題だからです。


★ なのであなたの言われる「無条件」と限りなく近いと感じています。
☆ たぶん 表現の問題なのでしょう。主観としてその言葉に込めた意
味が 書き手・読み手のあいだの解釈をめぐる表現の問題になると そ
の主観は 有効性が半分くらい減価していくかと思います。



★ 蛇足ですが「全ての意味ある命題は反証可能性がなければならない」
(カールポパーの言葉)という言葉に鑑み、」批判しようとすれはできる
けど、
☆ たしかにその問題も起きています。


★ そんな気にならない」状況を有意義なもの、と考えています。しつ
こく失礼しました。
☆ いいえ。どういたしまして。定義というのは ややこしいものと思
います。

反証可能性の問題は じつは この信じるの定義の場合には その対象
がじつは 人知を超え経験世界を超えていますので 仮説法(アブダク
ション)による想定になると思っています。

それゆえ 想定した定義が 一般に経験事象とのあいだで不都合を生じ
ないかたちで通用するとすれば ひとまづ科学的な仮説理論であるとみ
とめられるであろうと思います。

お礼日時:2020/01/13 14:17

「無批判に」うけいれることの方でしょうね

この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


ええっとですね。

☆☆ 無条件に
☆ というのは 人知を超えた何ものかについて思考するしないをも超えて
いかなる条件からも自由に 受け容れることです。


つまり:
★ 無批判に
☆ というのは 批判が うたがい考えることですから 思考の問題になっ
ています。


信じるは 批判するしないに関係なく=無条件に なんだと思います。


げんみつには このようになるかとわたしは思っています。・・・

お礼日時:2020/01/13 11:13

「全てを受け入れること」では?

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

ふたつの場合に やはり 分かれるものと思います。

《人知を超えたナゾの何ものか》を 無条件にわが心に受け容れること。
これは――わたしの考えで―― 信じることだと見ます。


世界を・あるいはわれとすべての人びとを――特にその弱点やよくない
ところを――《すべて受け容れること》 これは 人間の考えるにもと
づく意志行為であると思います。


もっとも この意志行為が あたかも霊性としてのナゾのチカラを得る
ことによってのように 成される。ということは 大いにあり得るとも
思います。

あたかも信じるという場から 考えるという生活現実の場へ 何らかの
かたちでつながったウゴキがあるかのように。


こんな感じでとらえています。

お礼日時:2020/01/13 11:01

概念を究極に思い込んでいる状態。

それが信じる


逆に、そこに無意識含めあらゆる疑問が湧く状態とは、
(モヤモヤ感など)


それこそ信仰心も含めた、

100%の信じる状態とは異なる状態。


信じるという属性を、完全に行ったほうが進行として高いかなどは、不明という事です


おおよその人たちにはね。


すべてを知り理解した除隊で疑いが全くないなら、それは全知を有するに似ていますが。


それが、果たして全てなのかは、我ら人類からは測り知れれない。

信じているが究極化しても、それは学んでいるとは限りません。


単なるそういう属性なのでしょう。


信仰するならば、痛みある尊厳を、存在の命を!


問うが故に、難しく、苦しく、そして解けたときに喜びはつながる。

それが理解の共有点でもある
特異点!


歓喜!


そうだからこそ、アトイチさんのほうがこの面は、優れた哲学を有してますかね。


エレメントとして信じるとは、
認識を始めたに、人間一状態を指しますが、


世界や、無意識宇宙からくる
あらゆる近く要素(ファクター、因子)を受け入れることは、尊き疑いの道をも選んだ、我々に許されし、痛みある

派生の枝分かれ道。


ソレじゃおやすみなさい
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 概念を究極に思い込んでいる状態。それが信じる
☆ ダメ。概念は 考えるもの。


★ 逆に、そこに無意識含めあらゆる疑問が湧く状態とは、
(モヤモヤ感など)
☆ これも 一般に 考える状態。

お礼日時:2020/01/13 02:39

もしかしてここでさかな?




確信したという意味で、信じるを使っています。

と回答もらいましたが、

そう、その次に信じているとして、
無条件・無意識に受け入れたる 心の状態はあるのです。



基盤ということにも言い換えれます。


だって、そうだと思っている(信じている(本人は気づかい場合が多いが、同時に)信じている)

となるわけです。


そこで別の議論を出すと、

自分で信じ、切った ものである場合は、

そもそもその定義をかけ合わせた思考をし、疑うことはない。


故に認識とほぼ同義と何度も言っています


蛇足でした、かもね。

貴方に読めないなら、他の人はまぁ、なんとか読めるくらいかな
ここのカテの人は…


それでは!サラダバー、ー


エル ミル システィーア@
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 確信したという意味で、信じるを使っています。
☆ それは 派生的な用法です。



★ そう、その次に信じているとして、
無条件・無意識に受け入れたる 心の状態はあるのです。
☆ 無意識かどうかは 関係ありません。《思考にあらず》が 重要です。




★ ~~~~
基盤ということにも言い換えれます。


だって、そうだと思っている(信じている(本人は気づかい場合が多いが、
同時に)信じている)
~~~
☆ このままでは粗いと思います。




★ ~~~
自分で信じ、切った ものである場合は、

そもそもその定義をかけ合わせた思考をし、疑うことはない。
~~~
☆ そうなると 信じる(非思考)と考える(思考)とのあいだに いっ
たんとしてでも 断層を置くのがよいはずです。

ヒラメキから直観としてそしてそのあとふつうの思考へとつながって行く
場合がります。あるのですが じつはげんみつには ヒラメキを得たとい
う場合そのヒラメキの内容を知り得たなら それはもう思考の領域に入っ
て来ています。


信じるが:
★ 故に認識とほぼ同義と何度も言っています
☆ ということは 基本として あり得ません。

お礼日時:2020/01/12 21:57

あなたのそれは、一般的では無い。

故に公理とは言えません。


それは信仰という状態として問題なさそうですよ


あなたはあなたの信じる自己の哲学を信仰しているに過ぎません。

だから「信じる」に超経験域の意味まで求める


そういうのは陶酔や、美辞麗句に過ぎません。


「信じているものは疑わないのよ」
少女漫画の台詞ですが、これに( ゚д゚)ハッ!とさせられたものです。気付き。


無駄に理論をこねくり回すよりも、その真の理を知る為に、下々に降りた
周りと言葉の意味を共有した会話を心がけなされ。

それが心を近づける事。真の知覚です。


在野に人にへりくだり、周りと強調していく道を模索した、ハル27さんの方がその面でははるかに高い!

世界平和のため私も協力していく予定です。


良ければ、若人の為にも愛のある、説法など、あちらで披露してみませんか?


宜しくお願い申し上げます

m(_ _)m


多くの賢き人を求めています


ここの回答は以上です。

お休みなさい
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ あなたのそれは、一般的では無い。故に公理とは言えません。
☆ 公理という用語の使い方が あいまいです。

その人の持論で特に基礎を成し基本的な内容であるものは 命題と言います。
そして 仮説としての理論のことです。

公理というのは 必ずしも証明がなし得ないけれども みんながみとめる命
題として議論の前提を成すと見なされたものを言います。

自由あるいは良心といった概念が それです。




★ それは信仰という状態として問題なさそうですよ
☆ 信仰は 信教・良心の自由として とりあえずすべて問題ないと見なさ
れます。


★ あなたはあなたの信じる自己の哲学を信仰しているに過ぎません。
☆ 哲学という経験科学(ないし思想)を無条件に受け容れることはありま
せん。あくまで有条件で(つまり 考え検証して)みとめるのです。

というまちがいを別とすれば 誰もにあてはまる当たり前のことを言ったに
過ぎません。



★ だから「信じる」に超経験域の意味まで求める
そういうのは陶酔や、美辞麗句に過ぎません。
☆ 非思考ゆえ 美辞麗句は関係ありません。陶酔は 信じるとは別の問題
です。信じる行為は 経験世界において経験事象としておこなわれます。



★ 「信じているものは疑わないのよ」
☆ 確信のことでないならば うたがうのは 考えるの問題です。いろんな
条件について検討します。

条件を立てない信じるとは 関係ありません。


★ 無駄に理論をこねくり回すよりも、その真の理を知る為に、下々に降り
た周りと言葉の意味を共有した会話を心がけなされ。
☆ 《無駄に話をこねくり回していますよ》と言ってあげています。

お礼日時:2020/01/12 22:11

信じないの反対


対義語が、ない

うん、まぁ、正しい、くもありますか"


信じるの反対は疑うでもあります。
これは文法上の関係。

もし、無いが真実だとするならば!

信じるとは、同義語において

在る!(有る)ヲ指します


かね。


これを認める場合はこうです。

(あと、先程は話しの途中でいなくなって申し訳ない。時間が何部私にはあまりとれものでね)



有る場合、
存在とは、信じているからあるとなりますね。


何処に?

あなたの中に、私の中に、


信じるの反対は疑うでも
あり、

信じないでもあり

そして、存在しないでもある
(ウチに無い)


更に言うと、信じると夢見るは同じ系統。
 可能性同義の関係です。


さて、常識的な文法から見て
信じるの反対とは、疑うと、
信じないである。

愛するの反対は、愛さないと、無関心である。


ここは、疑いようもない。

しかし、哲学域の会話では疑ってもよいのです。


まぁ、一般用法の話はなぜそれが哲学息と違うのか?

それすら、我々こぎとは哲学していけばいい話。

一般人に逆に我ら深奥側のものが、それは異なるよと言う、のは、あまり良くない。


もっと熟成を待って話すべきです。(それが基本的な、士道(因みなこれは学士道)と呼べます



知覚&認識&信じる、信仰について


私は、絶対座標クオリアの研究で一律、高尚な学資同意機での回答という域まではたどり着いています。
(球体化した、クオリア状の座標に、概念のポイントを指定すると、対義語たる、対角の位置が見つかります。それをさらに分類して、完全な対義語位置と、精神の分類を調べました)


今後 これは基礎なので覚えたほうが良さそ。

みなさんもお願い致しますね。



認識するとは?(まぁ、知覚と同等の言葉)


理を信じます。

すると、それを【是】として『信じている』が発生します!
 

理は皆、是正


〜よりもそれが正しいと、認識している 「起こり」です


認識は、無意識に対して繰り返しの起こり、

何度も繰り返す波の波長にもよる。重ねた 知覚状況


ここは一般的に、
「知る」よりも
認識するのほうが深く正しいものと考えてください。


認識しておるとは、正しいと
重ねて認め、識、である知識として、基本的な基盤としてあなたの頭の中に置かれている状態を指します。



例えば新しい話を聞いて、あなたがその内容(話)を知ったとしても、

それを信じているのかは、微妙となりますね。


繰り返し、「疑う」という

別角度の力を、その識に掛け合わせていきます。


そして、何度も疑って認めたからと、信じるのです。

【知覚】した認識であると


つまりあなたの言う通りの、理性に置いて、疑うは起こりますが、

これらも全て理性面。

認識するとは、無意識などの猜疑などを、汲み取り深めていく知識。


または、これは知覚同等と言いましたので、


言い方の多少の異なりは認められますが、

本質としては、

どちらに尊厳を置くかで、言葉の高さを用い、作り上げていくだけなのでしょう。


似て非なる部分を解読して、我々は心理へと至る(誘うべきは、さらに工程たち、肯定)高弟、まずは高きに至る階段を登り、初め、近付きし者に、それを知恵なさいという意味合いです



お分かりでしょうか?


これを読める者たちよ。
私は、わたし(渡し)
かつてそれを先人の高度領域より、学びしものです。

もちろん自分の組み上げし叡智を用いて。

階梯、登りましょう!



認識するとは信じることの積み重ね。

されども疑う自制心がなければ組み立てられ上げ得ない。


他人の話を鵜呑みにする段階は、信じている、かも知れません(それが他人を尊厳を立てて、進行しているとも言える
感謝の状態(もちろん感謝無くとも、疑う知恵なき状態、)とも言えるはず かも ですね。鴨河野…
刈谷の鳫に気をつけよう。


寝言は寝て言いますか。


信じているとは、一種の透水です


人間は信じる相手に尊厳を勝手に手渡します。
多分に


するとね


それ以外どうでもいいように見えてしまう。
ココに気をつけよう!

それはその相手のためでもなく自分の寝癖の悪さか、もしれませわよ



依存と信仰の注意とは

恐れてうわ待っているからと相手を見ないこと


常に、自身を成長させるためにも、
人は本来プライドないし、自制心(理性)によって状況や法則を疑うべきなのです。


信じるならば救われる、べき理論を信じましょうね。

是正とは何を言っても単なる正義からは逃れられません


あるいは、是 とは、 正義の尊厳をわずかに省いた概念概略かもしれませんね。(コスモシスズム)


信じる事は、この脳内にしかない世界、それでも、たしかにあったと信じたもの(法則性や存在(聖・性))


サーガ、それを見つめ続けまた新たなる答えにたどり着かんとする己が信念の道の生き方。


信仰するならば、無駄な
識の 重ね 掛け は、省く必要がある。


ブラジュロンヌ鄕


信じるにそこまでの尊厳は、先ずは与えるべきではありませんよ。

と多分に主張しておきましょう。(私の1意思、石)


1手置きましょう。封じ手ですね、次回までの。



信じるに尊厳を置くものがいて初めて進行とは尊くなるもの。(→右 黄色)+α

そこまで行かない単なる
信じている状態とは


疑うことなく知識たる認識を始めたに過ぎない、とね。


さてどうでしょうか?


知恵の実・尊しといえばこの論法 全体的に階梯が上がり、やはり人間たる霊長級の考えとは尊いと、もしやなるかもしれませねな。

(話す【場】似て考えましょう!)


そうでなければこう呼ぶレベル

謙虚(青、低い数)に己が知恵を誇らぬためにも、

知る(存在)事を、疑う前の、知覚階梯段階の一種であり

深く信じるべきものが何かをまだ見つけていないものほど
、探すは疑う理性のほうが尊いと、かね…


そのぐらいにしておきましょう


あらゆる概念を近くする際

他の概念を例題(見立てに)
近づけ、そして、比べて考察する


それが考えるという事。

まず言葉を学んだのだから、


まだ学びたての者たちには、わかりやすくを教え、そして考えさせる努力こそ、当たる
中域の者は考えましょう。


それが、世界を救う知恵


叡智!(尊厳を上げた言葉)


尊厳は是正面からたやすく溶けなかった言葉。

重ね高い、回答…


その辺りですね。当たり前な事です



概念とは、深くあるというよりもまずこう見るべき


いくらでも、深められる考察にて

何十もの意味をなしていく。


それが深い話のできる人


昔の人から見るところの超経験粋なのでしょうか???かね



特のある懐深い話、

そろそろあなたにもできる年頃では、ないでしょうかぁね



賢者募集中!


はるさんの会議に参加して皆さん、己の知恵の研鑽をしましょう!


歴史に名を刻めるかもしれませんよ



真理への到達…

後少しか…  !?



こうご期待


メルクリウスでしぇた〜、ー✯


エルミルシスティーア
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 信じないの反対
対義語が、ない
☆ 信じる・信じないの相手が なにしろ絶対性のことですから 相対性
なる存在の側からおこなう行為については ひとつの意味しかないという
ことになります。

《絶対性なるナゾ ‐ われ》というカカハリについては 絶対性の部分を人
間がどうにか改造するということは あり得ません。



★ 信じるの反対は疑うでもあります。
これは文法上の関係。
☆ そのとおり。

★ ~~~
もし、無いが真実だとするならば!

信じるとは、同義語において

在る!(有る)ヲ指します


かね。
~~~
☆ 分かりにくいですが 文法上の・論理関係のみとしての《信じる=有
る》と《信じない=無い》とが 互いに同等としてあり得ます。



★ 信じると夢見るは同じ系統。可能性同義の関係です。
☆ その場合の夢見るは 想定する(仮説として理論立てる)という意味
でしょう。




★ 知覚&認識&信じる、信仰について
☆ 
信じる:霊性:非思考の庭:《知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ= 非知》
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
考える:理性:思考の緑野:《可知(既知&未知)&不可知(知り得ないと証明された)》
感じる:感性:感性の原野:センスス・コムニス(共通感覚= 知覚)


☆ うたがう≒考える。 知覚が 認識という意味を持つ場合があるよう
です。



★ 正しい・正義
☆ とは何か? を定義すべき。





★ 何度も疑って認めたからと、信じるのです。
☆ それは 有条件で確信したという意味で信じるを使っている。もとは 
《無条件で心に受け容れること》を信じると言う。




★ 信じたもの(法則性や存在(聖・性))
☆ 法則性は 経験事象にかんする要素などの変化過程をめぐる規則性。
ゆえに 考えるものであって 信じるものではない。




★ はるさんの会議
☆ 白痴会議です。

お礼日時:2020/01/12 21:03

良く生きるとは、何事も自分の頭で考え、行動するという事です


つまり、他人に惑わされない生き方をする事です
そうすれば争う事もなく、今日という日を後悔する事なく最大限に生きる事が出来ます
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 良く生きるとは、何事も自分の頭で考え、行動するという事です
☆ まじめに考えまじめに回答しておられるということが そのまま
分かるようなその内容に――どうしても いぢわるぢぢいだからなの
でしょうか―― 茶々を入れたくなります。

だれも反対しませんが しかもそれは 教科書の中の言葉〔ではなく
しっかりと考えて表わされた文章であるにもかかわらず そう見られ
ても不思議ではないような言葉〕ではないでしょうか?


★ つまり、他人に惑わされない生き方をする事です
☆ そうですね。他人を惑わすヤカラは・そして残念ながら惑わされ
る人たちも おそらく一部でしかないのでしょう。


大部分は 中間層としておおむねあやまちの無い社会生活をおくる人
びとであるかと思います。


もしそうなら そのしっかり者の中間層を取りあげこれをほめたたえ
これからも支持しつつみづからも実践してゆくのだ。――という具体
的な回答内容になるかと思います。


★ そうすれば争う事もなく、今日という日を後悔する事なく最大限
に生きる事が出来ます
☆ となると――わたしは 勝手な早合点の天才なのですが―― お
応えは ふたつに一つです。

① 一部のけしからん奴らは いつまでも再犯を繰り返すしかない人
間であり ほうっておく。という解答。

② 一部とは言え社会の根幹をゆるがすような不法行為や犯罪が絶え
ない。だから どうするんだ? というツッコミを入れられるという
問題。



☆ 日本国としてともかく平和をまもる。とは言え 世界の情勢に頬
被りしていて いいことはない。で やっぱり どうすんだ? と訊
かれる。


《よく生きる》の《よく》とは けっこうむつかしいと思うんですが。

お礼日時:2020/01/12 10:55

愛を互いによく生きるということ素敵な概念ですね心に響きました


それでこそ、ただ生きるのではなく、より良く生きる事に結びつくのだと思います
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 愛を互いによく生きるということ素敵な概念ですね心に響きました
☆ ありがとうございます。


★ それでこそ、ただ生きるのではなく、より良く生きる事に結びつく
のだと思います
☆ そうなんだと思いますが――基本としてそうなるのだと思うのです
が―― 難問も出てきます。

★ よく〔生きる〕
☆ とは何か? どういうことなのか? です。


理論と実践の問題でしょうか。(そうかんたんには 行かないのでしょ
うね。他人事のような言い方ですが)。

お礼日時:2020/01/12 10:06

信じるとは愛する事


普遍的な人間愛です
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

たぶん――わたしの感覚で言うんですが―― 《信じるなら 自己をそして
他の人びとをとうとび ゐやまひ 重んじる》と思います。

あるいはつまり 信じるなら 《われも生きる。なれも生きる。かれも生き
る。そして 互いによく生きる》というふうに日々の生活を送るようになる。
かと思います。

つまり 信じるなら ひとを愛する。


ただし この《信じる》は ほとんど目に見えないところで起きることです
ので げんみつに言えば その信じるの結果である愛するを そのまま定義
のようにして述べておられる。のではないか。

★ 信じるとは愛する事



そして:
★ 普遍的な人間愛です
☆ となる。

もっとも この普遍性が じっさいの生活の中では やっかいな問題につな
がりかねないように思われるのですが。

ありがとうございました。

お礼日時:2020/01/12 02:49

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