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「解離性同一性障害、離人症状について知りたいです」

私は長年、不眠やめまいに悩まされて、心療内科に通っております。

自律神経失調症だと思ってたのですが、

先日、かかりつけのクリニックで医師に診断の詳細を再度、確認したところ

「解離性障害」という言葉が出てきました。

いろいろ調べてみたものの、ストレスにより別人格を作り出す特徴というのは、あまり当てはまっていないように思いました(・・・これは、本人は分からないものなのでしょうか)

自覚しているのは離人症状が強く、3〜5年に1度ほどのスパンで、

・理由なくところ構わず涙が出てしまい、止まらなくなってしまう
・社会生活で、この症状がたびたび起きることで、ストレスが重なり過呼吸を起こす
・外出が怖くなる
・船に乗っているようなめまい
・物体が歪んで見える
・距離感が、分からなくなり、歩いていて物にぶつかる
・乗り物に乗れなくなる、または、乗っていると非常に不快になり、どんどん「自分だけ水槽の中にいる」ような感覚になる→これが、いわゆる離人症状?

質問の意図が分かりづらい文章ですみません。

これからは、自分の持っている弱い部分から逃げずに

ちゃんと向き合って生きていきたいと思い始め、正しい知識を得たいと思い質問しました。

解離性同一性障害や、離人性障害経験者や、
メンタルの病気に詳しい方の回答をお願いします。。。

質問者からの補足コメント

  • 幼少期、母親が父から暴力をふるわれているのは、日常茶飯事でした。

    子供のころから、母親が喜ぶ事をやって育ちました。そうしないと不安で仕方なくなりました。

    大人になり、都合よく操られていた事に気付きました。
    今は、徐々に母親の存在を薄めていますが、たまに葛藤があります。

    それと、自分はあまり覚えていませんが、父親から性的虐待をされていたかもしれなくて、母親がなんとなく私の事を邪魔というか、嫉妬の対象として見ていました。

    今は、もうそんなことも無いですが。。。

      補足日時:2020/01/14 20:47

A 回答 (1件)

> 自覚しているのは離人症状が強く、3〜5年に1度ほどのスパンで、


> ❶ 理由なくところ構わず涙が出てしまい、止まらなくなってしまう
> ❷ 社会生活で、この症状がたびたび起きることで、ストレスが重なり過呼吸を起こす
> ❸ 外出が怖くなる
> ❹ 船に乗っているようなめまい
> ❺ 物体が歪んで見える
> ❻ 距離感が、分からなくなり、歩いていて物にぶつかる
> ❼ 乗り物に乗れなくなる、または、乗っていると非常に不快になり、
> ❼-2  どんどん「自分だけ水槽の中にいる」ような感覚になる → これが、いわゆる離人症状?

1~2年に1回程度の割合でしか経験しないのであれば、そして"1度"が"ある日のあるとき(数分~数時間)"であるならば、気にしない方がイイと思います。 3〜5年に1度ほどならば、なおさらです。
激怒、大笑い、大泣き、悲嘆、強い興奮、ふらつく、眠くない、とても眠い、物忘れで大失敗、ひどい記憶錯誤、根拠のない期待、根拠のない不安や恐怖、耳が聞こえない、声が出ない、臭いが分からない、何かが触っている感じがする、いるはずのない人が自分を喚んでいる声を感じた、手の動きが自分の意志と無関係になる、自分がしたくもないのにやらされて笑い続けている・泣き続けている・破壊行動や乱暴なことをしている・イタズラやイジメを止められない・買い物を止められないなどの(別の自分に支配されている感じ)、夢の中でもないのに自分を外から見ているような第三者的な感覚で自分を感じてしまうなどの異常な感覚としか思えない経験、本当はみたくもないのにじっと見詰めてしまうなどでも、1~2年に1回程度の割合でしか経験しないのであれば、精神障害としてその症状を気にすることはないです。
医者や医療が問題として対処するのは、生活上、社会生活上で不具合や不調、障害となるようなことの(頻度、重症度、期間)がひどい場合です。 

解離性障害には、つぎのようなこともあります。 普通の人でも状況次第で起きます。 「我を忘れて」の状態になることは、たまさか起きることです。 飲酒酩酊、試合や試験・治療の最中、強い恐怖や興奮、疲労がひどいとき、何かに集中しているとき、強い痛みを感じている、何かをしようと気を込めているときも、こうした状態はごく普通に起きます。 次のようなことが、普通の人には起きないようなときにも頻繁に起きて、それが生活に支障を起こしたり、社会的に異常とみなされるような程度で起きると、医療の対象になるだけです。

トランスおよび懇依障害:
(1) トランス:(a)自己同一性の感覚の喪失、(b)身辺の一部が認識出来ない、(c)繰り返し運動・姿勢・会話
(2)葱依障害:霊やなんらかの力や神, または他者にとり瞳かれているという確信
解離性運動障害:(1)随意運動・会話が出来ない(2)協調運動障害や運動失調、起立障害
解離性けいれん:意識は失ってないのに、てんかん発作に類似している不意に起こるけいれん性の運動発作
解離性知覚麻揮および感覚脱失:
(1)正常な皮層感覚(触覚・痛覚・振動覚・温冷覚など)の脱失
(2)視覚,聴覚,嗅覚の脱失
解離性昏迷:随意運動や発語,および光・音・接触に対する正常な反応が著しく減弱

これが特別な状況でもないのに、毎月のように起きる、あるいは年に数回起きるとなったら、そして、そのことのために、不安がひどくなったり、自分が自分らしく行動することに不安を感じて生活がしにくい状態になったら、そのときには、精神科の診療をうけるもの良いと思います。

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> 長年、不眠やめまいに悩まされて心療内科に通っております。(自律神経失調症だと思ってたのです)
> 先日、かかりつけのクリニックで医師に診断の詳細を再度、確認したところ
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> 幼少期、母親が父から暴力をふるわれているのは、日常茶飯事でした。
> 子供のころから、母親が喜ぶ事をやって育ちました。そうしないと不安で仕方なくなりました。

「母親が父から暴力をふるわれている」という実態は、たぶん、PTSDを起こすほどのモノではなかったでしょう。 
「子供のころから、母親が喜ぶ事をやって」ですが、子供でそういうことをしたことのない子供を探す方が難しいでしょう。

「大好きな母が、目の前で泣き叫び父に暴力を振るわれている姿はもう地獄でした。それがトラウマになって、今でもよく夢にも出てきます」というような方もいます。 トラウマはPTSDのTです。(心的外傷)と翻訳されます。
自然災害・人為災害・虐待・暴力を受けたことや、災害・事故・暴力の目撃、あるいは 重い病気や怪我の痛みの経験、歯科治療や注射・治療を受けたときの怖い経験、大失敗や敗退や恥辱を受けた経験などで、落ち込んでそればかりが脳と感情を占有状態にして他のことがまともに出来ないということは、ある程度の時間ならば多くの人が経験することです。 しかし、時間の経過とともに、徐々におさまって、過去の経験は「過去の経験」でしかなくなって、そのうちほとんど現状には影響しなくなります。
でも、半年、1年、3年と経過しても、それが影響し続けるのならば、それなりの治療をした方がイイです。
それは心的障害・トラウマの治療と呼ばれるようです。 
でも、経験したときから間もないときから継続してそうした影響が出続けているのではなく、成人後、ある種の医療関連ぽい健康情報などから症例や病名を聞いたことが関連して、だんだんと、「私も……」と思い、悩み、懊悩し、気煩いするようになったのであれば、心的障害・トラウマの治療ではなくて、現状の思考のクセ・習慣を治す方が有効です。
そして、心的障害・トラウマの治療でも、現状の思考のクセ・習慣を治す方法は有効です。
岸見一郎という人が、アドラー心理学というのを推奨しています。 こんなことを言っています。
> アドラーは次のようにいっています。
> 「いかなる経験もそれ自身では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック―いわゆるトラウマ―に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自らを決定するのである」(『人生の意味の心理学(上)』)
> あることが原因となって、必ずあることが帰結するという考えを"原因論"といいます。災害や事故に遭ったこと、事件の現場に居合わせたこと、また幼い頃に虐待を受けたことなどによって、人は必ず心に傷を受けるというのであれば、過去にある原因を過去に遡って除去できない限り、現在の問題は解決できないことになってしまいます。
> アドラーは、今の自分のあり方について、過去に経験した出来事や生育歴などを原因として持ち出して説明することを"見かけの因果律"と呼んでいます。"見かけの"というのは、"AだからBできない"という時のAとBには実際には何ら因果関係はないと考えるからです。同じ経験をしても、すべての人が同じようになるわけではありません。
> 過去に戻ることはできなくても、これからどう生きるかは自分で自由に決めることができます。
> これからどうすればいいかを考え、目を過去ではなく未来に向けていきましょう。

過去の記憶というのは、多くの場合、あてになりません。 同じとき、同じ場にいたはずの人に確認したり、何かの物証を検証すると、自分の記憶とは違っていることが多いです。 単純に言えば、「過去の記憶」は事実ではなくて、「過去に関して、今の自分が描いている映像や思い」でしかないです。
「母が父に暴力を振るわれ」「母親が喜ぶ事をやらないと不安で仕方なく」と強く思うようになったのが、成人してから後ではないかと思います。
事実がどうであったのかということよりも、「私の幼少期は~~。子供の頃から~~」という"心的思い込み"が、今は強くなっているのです。 
また、どの程度の不眠やめまいなのかが分かりません。
a:「ひどい不眠、ひどいめまい」と実態がある
b:「(不眠やめまい)の実態はさほどのことはないが、(悩まされている)ので心療内科に通って」
心療内科に長年通うというのは、bでしょうか。
そのような「気に病む」「悩んでしまう」ので、"解離性障害"という言葉が出てきたから、これが悩みの種になって調べたりして、それでもまだ気になって、質問を投稿サイトにだして、   そういうことでしょうか。

卑小、尊大、不安、自信満々、強い不信、強い確信などは、「自分自身のことに関して妥当・適正ではない」心的思い込みを表す言葉です。 この種の「自分自身のことに関して妥当・適正ではない」心的思い込みを表す言葉は多いだけでなく、実際に多くの人は、「自分に関していつも妥当・適正」にはなりません。
多くの場合、「自分自身のことに関して妥当・適正ではない」心的思い込みをしているものです。
少々の思い込みはその人の個性として認めるのが妥当です。 問題は、度を超した心的思い込みです。
心的障害・トラウマの治療でも、現状の思考のクセ・習慣を治す方法は有効です。

岸見一郎の推奨のことばを頼りにしてはいかがでしょうか。
(事実の過去は変わりません)
> これからどう生きるかは自分で自由に決めることができます。
> これからどうすればいいかを考え、目を過去ではなく未来に向けていきましょう。
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