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日本の縄文時代はおそらく1万7000〜6000年前に始まったと言われていますが、その頃の中国(黄河流域)は何時代と呼ばれていたのか教えてください。

(質問者の考え)
 縄文時代は日本の中で、原人から農耕文化を持ち始めるまでの移行期だと考えています。また中国の黄帝など神話時代が日本の縄文時代に相当すると考えますが、中国ではそんな時代が存在していた証拠が見つかっていません。しかし、日本にあるのだから中国にも縄文時代に相当する時代があったはずだと思います。しかしwikiで調べる限り、神話より以前は北京原人などしか出ません。考察すれば、中国には縄文時代のように原人から農耕をするようになるまでの移行期が存在しないと言うことでしょうか。それとも神話の時代が縄文時代に相当しているのでしょうか。だとすれば日本の縄文時代と弥生時代の区別は無くなりますが。

A 回答 (5件)

ナキアミ3様


「中国 新石器時代」で検索してみてください。
複数の文化期が存在しているのが分かります。
世界的に「新石器時代」というのは、「打製石器」ではなく、「磨製石器」という、研磨等によって石器が作られた、ある程度技術力が発達した時代の事で、おおよそ土器が使用されるようになった時代と一致します。
そして日本の新石器時代は、おおむね縄文時代が合致します。
(世界最古の土器については、日本又は中国のものとされております)

以下が代表的な中国大陸の新石器文化です。
(「紀元前」の表示なので、「今から何年前か」という場合は数字に2000年をプラスして下さい)
紀元前7500年 – 紀元前6100年 彭頭山文化 長江中流域、湖南省北西部
紀元前7000年 – 紀元前5000年 裴李崗文化 黄河中流域、河南省
紀元前6500年 – 紀元前5500年 後李文化 黄河下流域、山東省
紀元前6200年 – 紀元前5400年 興隆窪文化 遼河流域、内モンゴル自治区と遼寧省の境界付近
紀元前6000年 – 紀元前5500年 磁山文化 黄河下流域、河北省南部
紀元前6000年 – 紀元前5000年 河姆渡文化 長江下流域 浙江省余姚市周辺

 上記は、黄河文明の母体となった黄河中流域だけでなく、長江(揚子江)や遼河(満州)などでも独立した技術文化が存在した事を示し、少し時代を下ると、四川盆地にも独自の技術文化が発生しております。

 これより以前の時代は旧石器時代にてあまり発達した「文化」は有りませんが(それどころかホモ・サピエンスではない、旧人も生存)、ハッキリ分からないものの、紀元前9500年頃まで(今から1万1500年前)までは最終氷河期(ヴルム氷期)でしたので、世界の海水面は今より100メートル以上低く、現在の東シナ海の大部分が陸地となっていた事から、海底を調査すれば驚くべき発見が有るのではないかと個人的には期待しております。
※そういえば、古代ギリシアの有名な哲学者プラトンは、「今から9000年前」(=現代から1万1500年前)に、大西洋にあった「大きな陸地」が沈んだ、と主張しています。
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この回答へのお礼

なるほど新石器時代ですか。どうやら私は縄文時代を何か特別な時代だと認識していたみたいです。回答ありがとうございました。

お礼日時:2020/02/27 03:49

史記などの書もありますよね。

海外には考古学では短命といいながら、書いてある人の寿命が信じれないくらいなが人いますね。

数百歳どころか、千歳とか数万歳とかね。

人寿超越が架空でも実際はどのくらいかが知りたい面はあります。
年表を作りたい気分です。

神農・伏羲・女禍とか。

日本でもおそらく紀元2600年はうそですね。
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石器時代



人類史を大雑把に考える上で最終氷期の存在は大きいと思います。最終氷期は10万年前~7万年前に始まり、1万4000年前~1万年前くらいに終わったと考えられています。幅が大きいですが、どれが最新の見解なのかちょっと不明だったので。寒さのピークは2.1万年前くらいのようです。
ちなみに氷河期と氷期は別で、現在はまだ氷河期にあるとされています。氷河期の中でもより寒い時期を氷期と呼びます。これも数十年前までは良く知られていなかったために、ごっちゃにされていて『1万年くらい前まで氷河期だった』みたいな表現もまだ見かけるかもしれません。ちなみに氷河期というのは”地球の極に氷冠がある時期”と記憶しています。閑話。

人類がアフリカ大陸から全世界に広まったと考えられているのが約5万年前ですので、そのころは地球全体が寒かったということですね。最終氷期が終わってから、8000年前くらいに農業と酪農が始まったと考えられています。8000年くらい前というのは、最終氷期が終わって温かくなったのが北米大陸の氷床が溶けた影響で全世界的に再び寒くなった時期で、その影響で農業や酪農が始まったと考えられてたりします。
話がそれますが、最近ではギョベクリ・テペ遺跡(9000年前)のように、農業開始前の社会で分業・階級差のあった形跡が見つかっていて興味深いところです。
縄文時代は1.6万年前くらいからということなので、そのころはまだ氷期ですね。日本に人類が到達したのが2万円前くらい(早くても4万年前)なので、人類がやってきてしらばくして発生した文化みたいな感じでしょうか。くりの木などを栽培していたところもあったようですが、基本的に農業も酪農もない時代ですね。

石器時代は、旧石器・中石器・新石器などと分かれますが、地域によって時代は大きく変わります。それぞれの分け方も、研究している所(国)などによって違ったりするようなので、世界的に考えるのは難しそうです。石器時代の後は青銅器時代ですが、日本は青銅器時代が無かった(非常に短かった)ために馴染みが薄いですね。中国では5000年前(紀元前3100年頃)くらいから青銅器時代になっていったようです。
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考古学は割と最近の学問だ。


欧州では18世紀末から始まり、日本ではモースによる大森貝塚の発掘調査が嚆矢とされる。

中国における考古学的発見と発掘調査が行われ始めたのは、20世紀に入ってからで20世紀前半に欧米や日本の考古学者が中国北方で黄河文明や遼河文明の遺跡を相次いで発見したのが始まりだ。南部の長江文明が発見されたのは20世紀後半のことで、まだ50年くらいしか経っていない。
中国北部や西部は砂漠化が進行している影響もあるが、国土が広大なだけに未開拓の部分が非常に多い。しかし、中国も経済発展と国土開発が進み、ようやく考古学的発掘調査に力を入れられるようになってきた。長江文明以外にも、黄河文明・夏王朝のものと思われる二里頭遺跡の発見、遺跡始皇帝関連の兵馬俑の発見など大発見が相次ぎ、今世紀に入ってからも三国時代・魏の曹操の墳墓が発見されている。

以上のように、中国大陸には質・量ともに凄まじい考古学的遺物が眠ったままの状態と考えれる。

日本の縄文時代に相当する区分は、まだ整理されていない状態と云えるだろう。
現状は、中国の最初の正史である「史記」に準じて区分されているにすぎないが、長江文明は単なる蛮族のように描かれているだけだ。
史記的には黄帝など三皇五帝時代であり、それと考古学的な黄河文明など各エリアの文明名が並列化されているに過ぎない。

質問に対する回答は、中国で日本の縄文期に相当する時代のおそろしく幅広い時代の、それも非常に広いエリアでの考古学的発見と研究が進まなければ答えようがない。質問のような時代が、日本にあって中国になかったはずはないので、いずれ必ず発見されるだろう。
我々が生きている間に、その一端でも進展があると良いですね。
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天皇のいる日本と違い、中国には1つの系統で時間軸を構成するような歴史観が存在しないのだろうと思います。

この点はヨーロッパ等にも無いことですから、日本のように皇室中心の歴史観はかなり異常なのかも知れません。
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